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4-21 猛毒の海




 戻ってきた視力で応接室の中を見る。

 床に倒れたままの使用人が七人、まだ回復する兆しはない。

 座っていたはずのローゼットは姿を消し、クオンもいなくなっている。

 扉は開いたままになっていた。


「逃げられた?」

「逃げはしない」

 浮き足立ったノアを、立ち上がったヴィクトルの断言が引き留める。

「彼女を庇護できるものはどこにもいない。公爵家さえ受け入れはしないだろう」


 使い捨てにされる道具ということだろうか。

 利用されるだけされて、最後には切り捨てられる。

 やってきたことは許されないことばかりとは言え、あまりにも哀れだ。


 ローゼットと共に姿を消したクオンのことも気になる。クオンはずっと様子がおかしかった。

 もしクオンの本当の主君がローゼットで、それをずっと隠してヴィクトルの下にいたのなら、いつ後ろから刺されていてもおかしくはなかったはずなのに、クオンからは何の殺意も感じなかった。

 フローゼン領にいるときも、帝都に来る道中も、ふたりで行動した時も、この屋敷に来た時も。姿を消す前ですら。


(うん、クオンさんはきっとだいじょうぶ)

 まずは少年の保護だ。ソファの後ろに回り込み、陰で座り込んで震えている少年の前に座る。クオンが確保してくれた少年を。

 橋のところで会ったときよりも、ずっと憔悴している。頬がこけて、生気が失われていた。

 胸が痛む。


「ごめんなさい、ちょっと見せてね」

 口に噛まされた布を取る。

 包帯が巻かれた右腕を見る。

 診察するときと同じように、深く。


 包帯の下は丁寧に手当てが施されている。とはいえまだ傷口は新しく、塞がるには至っていない。強い傷みもあるだろう。ノアはいまできるだけの治療を少年に施した。骨、血管、神経、筋肉、皮膚。

「ごめんなさい……」

 賢者の石を持たないいまのノアには、失った四肢は作り直せない。

 傷口を治療し、痛みをまぎらわせるのが精いっぱいだ。


「あったかい……」

 ぽつりと呟かれた、その言葉こそが暖かい。

 涙が出そうになるのを堪える。泣いている場合ではない。

「少年、名は」

 背後からの声に、肩が震える。


「……ナギ」

「良い名だ。ナギ、他に捕らわれている者はいるか」

「う、ううん、連れてこられたのはオレだけ……です」

 ナギと名乗った少年は俯いたまま戸惑い気味に答える。


「歩けるか」

 顔を上げ、ヴィクトルを見上げ、こくりと頷く。その眼には、微かにだが光が戻ってきていた。

「ならばついてこい。決して離れるな」

 ナギはよろめきながらも、ソファを支えにしながら自分の力で立ち上がった。



##



 応接室を出て、ローゼットを探して屋敷の中を歩く。

 前を進むヴィクトルの足取りに迷いはない。まるでこの屋敷の間取りも、ローゼットがどこにいるかわかっているかのようだ。

 いつもよりは速度が遅いのは、ついてくるナギを気遣っているからか。

 泣き言ひとつ言わずにヴィクトルの後ろをついていくナギを、後ろから見守る。


 ヴィクトルは階段を上って二階へ行き、奥の廊下へ向かう。

 ――ローゼットはそこにいた。

 赤い絨毯が敷かれた長い廊下には、金の額縁で彩られた肖像画が等間隔にずらりと並んでいた。歴代の当主のものだろうと推測される肖像画の端に、現当主であるローゼットが立っていた。こちらに背を向けて。ひとりで。クオンの姿を探すが、どこにもいない。

 血の匂いがした。




「デルフィークの歴史は今宵終わります」

 二番目に新しい肖像画の前で、こちらに背を向けたままローゼットは言う。

 肖像画に書かれている人物は、髭を蓄えた男性だった。一番新しい肖像画は美しいローゼットの姿。となれば先代当主となるのだろう。父親、兄弟かもしれない。


 ローゼットの肩が震える。虚空を見上げ、甲高い笑い声を上げる。

 その声は歓喜に満ち、終焉を歓迎している。

 その声は悲痛な嘆き、終焉を悲しんでいる。

 相反する感情が、お互いを尊重して共存していた。


「ローゼット様」

 声をかけても反応はない。ただ笑い続けている。

 このまま拘束して警察に連れて行こうか――そんな考えが頭をよぎったとき、不吉な煙が階段を通って上ってきた。

 木材が焼ける香ばしい匂いと、炎の気配。


「まさか、火事……?」

 じわじわと階下が熱を帯び、窓の外にも立ち上る煙が見える。

 ローゼットはただ笑い続けている。炎の気配に気づいていないはずがないのに。

 もしやこの火はローゼットの意思に沿う放火なのか。すべてを終わらせるために。


(すべて燃やす気?)

 愕然とする。

 この風の強い夜に火事になればどうなるか。普通に考えて屋敷は全焼、飛び火する可能性もある。

 そして一番最初に犠牲になるのは、応接室で無力化している伯爵家の使用人たちだ。


(まずい)

 猶予はない。一刻も早く鎮火させるか、せめてここから逃げなければ。

「ローゼット様!」

 声の限りに叫ぶ。境界を越えようとしている彼女を呼び戻すために。


「…………」

 喉が痛むほど振り絞った声が届いたのか、ぴたりと笑い声が止まる。

 ローゼットがゆっくりと振り返り、ノアは息を飲んだ。短い悲鳴を上げたナギを背後に庇う。


 揺れる黒髪の向こうにあった美しい微笑みは、儚くもあり、寂しそうでもあり、満足げでもあった。

 青いドレスの胸には黒い花が咲き、花弁が長く下に垂れていた。

 花の中心にはナイフが深々と刺さっていた。心臓を貫いて。


 即死しているはずの傷を負い、ローゼットは優雅に笑う。痛みも血の喪失も感じていないかのように。

「死の淵に一度きり、超越した力を授かれる短剣……あの方のおっしゃられた通り」

 胸を突くナイフを、ノアは知っている。


 このナイフを見たのは三度目。

 何の変哲もない刃で身体を傷つけたものは、いずれもすぐさま人の形を失い、伝説で語られる生物の姿に変質した。蛇の魔女メドゥーサや、炎の魔人イフリートのような、力を持つ生き物に。

 このナイフでバルクレイ先代伯爵夫人を傷つけたファントムは、これを賢者の石の失敗作と言っていた。

 賢者の石。失敗作とされたものでも、その力は人知を超えた。


 どくん、どくん、と。

 心臓の音が強く響く。

 自分のものかローゼットのものか、区別がつかない。


 致死の傷を負って平然と佇んでいること以外は、ローゼットはいままで見てきた超越者と違い、人間の形を保っていた。しかしもう人ではない。

 この家を漂う呪素が、渦となってローゼットの周りに集まっていく。青いドレスの裾を黒く染める。

 豊かな黒髪を揺らす白肌の高貴な女性は、まるで昏き毒の海に立っている人魚のようだった。


「ふふっ、なんて素敵な夜でしょう」

 青い瞳が黒く染まる。眼球まですべて。

 壊したはずの右手がヴィクトルに差し出される。

「フローゼン侯爵。滅びの国の王よ。その貴き魂をわたくしにくださいませ」





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