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4-17 夜の幻影




 雲の浮かぶ夜だった。

 月が薄雲に隠れては、また現れる。窓の外にある影が、薄くなり、濃くなる。

 ここは二階だ。外は壁でテラスもなく、近くに足場となる木もない。

「…………」

 窓辺に寄り、窓を開ける。


「やあ。侯爵はそろそろ死んだかな?」

 暗灰色のマントで身を包んだ、緑色の瞳の青年が、晴れ晴れとした笑顔で訪ねてくる。

 どうやら壁の一部を錬金術で変形させたようだ。足場をつくり、体勢を安定させている。

 ノアはこの青年を知っている。


 ――ファントム。

 帝国の高位貴族に仕え、以前ヴィクトルの誘拐に加担し、侯爵領に隣接するバルクレイ伯爵領の先代夫人を異形のものに変えた錬金術師。

「ファントムさんも帝都に来ていたのね」

「僕はどこにでもいるさ。光と影の間を渡って、君のそばに」

「今度はどんな用?」

 返答次第ではノアにも覚悟がある。


「そんな顔しないでよ。今日はどんな様子か気になって見に来ただけさ」

 飄々とした雰囲気に、緊張感のない表情。

 ファントムは窓枠に手をかけ、ノアの顔を見上げてくる。

「裏社交界はフローゼン侯爵の話題で持ちきりだよ。何日で死ぬか、どんな風に死ぬかの賭けが熱いね」

 感情に波が立つ。怒りによって。


「死なせないわ」

「君がそう言うならそうなるんだろうなぁ。僕が一人勝ちしたいところだけど、親の総取りになりそうだ」

 嘆息しながら頭にかぶっていたフードを外す。

 茶色の髪が緩やかな風にさらさらと揺れた。


 本当に、何をしに来たのだろう。

 当惑したが、敵意がないのならこちらからも手を出すつもりはなかった。問い詰めたいことも山ほどあったが、追及するには手札が足りないものばかりだ。下手に手を出せば、こちらが翻弄される。

「ファントムさん」

 月光に照らされた顔を見つめると、嬉しそうに口元に笑みを刻む。


「どうしてヴィクトルを殺したい人たちがこんなにいるのかしら」

「フローゼン領は魅力的だからねぇ」

「ここからあんなに遠いのに?」

「豊かな土地、屈強な兵士、活発な商業。発展した街と、旧王国の遺産。不気味な赤い空も解消された。それらを手に入れるのに一番手っ取り早いのが暗殺なわけさ」

「短絡的すぎる」


 領主を暗殺したところで簡単に手に入るわけがない。そもそも侯爵領は帝国領だ。皇帝が黙認するはずがない。

「シンプルなほど効果的だろう?」

 ファントムの笑みが深くなる。


「侯爵には子どもも家族もいない。結婚する気配もなかった。有力貴族の親戚もいない。つまり後継者がいない」

「…………」

「暗殺が成功したら手勢に駆けつけさせて、実効支配してしまえばよかった。辺境で皇帝の目も手もすぐには届かない。周囲は脆弱で敵にもならない貴族ばかり。豊潤な果実は労なく手に入る」


 そんなに上手くいくだろうか。

 アリオスの兵士はファントムも言ったとおり屈強だ。有事の際や領主不在時の体制や、指揮系統も整っている。最近は元将軍の指導もあり練度は増々高まっている。

 そんなに簡単には支配されない。

 もちろんそれは短期間だけだ。時間が経てば混乱は収まる。大きな力に飲み込まれて。


「皇帝陛下がそれを許すの?」

 そんな暴力的な手法を許すとは思えない。それを許せば国内は荒れ、力のある貴族はさらに台頭していく。それは皇帝の権力を脅かしかねない。

「皇帝といえども――おっと失言だ。聞かなかったことにして。代わりに――」

 ファントムは苦笑しながら人差し指を口元に当てる。


「単に嫌っている人もいる。気に入らない人もいる。死を利用しようとしている人もいる。奴隷を奪われた人もいる。愛憎もある。彼はある意味完璧だから、敵も多いのさ」

 羨望は嫉妬に変わる。

 ノアが見るヴィクトルは、星だ。

 天上にあり、地上の民を導く星だ。その星を地に堕とし、消し去りたいと思う者もいるだろう。


「でも、君がいた。死にかけの侯爵を何度も助け、滅びかけた街を何度も救える女神が」

「…………」

 どこで監視していたのだろう。

「彼らはまだ君の価値には気づいていないだろうけどね。君こそが錬金術師だと気づいている人は、まだそんなにいない」


「報告していないの」

「僕だって、すべての手札を明らかにはしない」

 ならばできる限り己の価値は秘密にしておかなければならないと、心に決めた。

 手札は最後まで隠しておくべきだ。


「ねえ、フローゼン侯爵の何が気に入ったの?」

「放っておけないところ」

「まさかの庇護欲」

 乾いた笑い声。

 緑の瞳がすっと細まり、ノアを見据えた。


「君が望むなら、暗殺者を組織ごと潰してあげようか」

「あなたにメリットがないわ」

「君の信頼を得られる。これ以上の報酬はないさ。ああ、信じていない顔だ。悲しいな」

「私に、ご主人様を裏切るほどの価値はないと思うけれど」


「君に翻弄されたあの日から、君のことで胸がいっぱいでね」

 ファントムの言葉は、すべてに虚実が入り混じっているようで、本気なのか戯言なのかわからない。

 彼の立場を考えても信用することはできない。

 光と闇を渡る幻影は、自らの立ち位置を器用に移動し、惑わせる。


「肺をごっそり洗われる感覚が好きなら、トルネリアにもう一度呪ってもらう?」

「ははっ。君は本当にエキサイティングだ」

「レジーナさんに引き渡してもいいけれど」

「こんなときに他の人の名前を出すものじゃないよ」

 口元が引きつっている。


「裏社交界はどこで行われているの」

「一緒に来るかい?」

 手が差し伸べられる。窓の外から。影がかかっていたその手が、現れた月の明かりに照らされる。

「…………」


 この手を取れば。

 硬直した状態を変えられるだろうか。

 忌々しい連鎖を止められるのだろうか。

 負の連鎖を、呪詛の連鎖を。今度こそ――


「我が婚約者を誘惑しようとはいい度胸だ」




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