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4-15 闇に蠢く三つ頭




 改まって何の話だろう。

 疑問を抱えながらヴィクトルと共に書斎に入ると、ヴィクトルは机の引き出しから筒状に巻かれた紙を取り出した。

「今日、大皇宮の使者が持ってきたものだ」

「私が読んでいいの?」

「あなた宛だ」


 差し出されたそれを受け取り、巻いてある紐をほどく。丸まっていた厚手の紙は、手の中で勝手に広がっていく。

 それは簡素な手紙だった。

 艶のある紙に青みがかったインクで、帝国の文字で綴られた、礼儀も何もない手紙。


 大皇宮の空中庭園にノアを――エレノア・ベリリウスを招待すると書かれているだけの。

 サインは、ノアの良く知る名前だった。

 王国で国家錬金術師だった、神代の錬金術師と同じ名が書かれていた。

 ――マグナファリス。


 本人か。

 別人か。

 招待状ひとつではわからない。無駄なことには労力を払わないこの簡素さには、本人らしさが滲み出ていたが。

「わかった。行ってくる」

 快く承諾すると、ヴィクトルは安心するどころか浮かない顔をした。


「どういう関係なんだ」

「ヴィクトルは全然知らない?」

「名と存在は知っている。皇帝陛下お抱えの学者だ」

「ああ、いまはそうなのね」

 書かれた名前をなぞる。


「この人は私の錬金術の先生の、先生。私に錬金術の才能があるって見出してくれた恩師で、王国の錬金術の祖よ」

 亜空間ポーチを開発したのもマグナファリスだ。

 ヴィクトルはますます渋い顔をする。

「あなたを疑うわけではないが……俄かには信じがたい」

 苦笑する。

「無理もないわ。こんなおとぎ話みたいな話」


 王国時代、同じ『錬金術師の庭』にいた錬金術師たちも、信じているものはほとんどいなかった。特に若い錬金術師は。

「王国建国以前から生きているって言われていたから、いまも生きていてもおかしくないわ。名前を継いだ別人かもしれないけれど」

 どちらにしろ、会えばわかる。


 招待状を巻き直し、机の上に置く。

「ねえヴィクトル、裏社交界って知ってる?」

 話をするのにいい機会だと思って、聞く。

 整った顔が微妙に強張った。

「誰から聞いた」

「レジーナさん」


 軽くため息をつき、机に座るようにして体重を預け、腕を組む。

「自分たちこそが正統だと誇りを抱き、戯れに興じる古い貴族の集まりだ」

 いつになく辛辣な物言いだ。

 確かにその集会とヴィクトルの相性は最悪だろう。


 ヴィクトルに流れるフローゼンの血は、王国の王家の末裔の血であり。王国を裏切り帝国に寝返った、裏切り者であり功労者の血だ。その働きによって授けられた侯爵位。

 古い貴族からは蔑みと嫉妬の対象であろうことは容易に想像できる。


 扉がノックされる。

「失礼します。至急ご確認いただきたいことが――」

「入れ」

 扉を開けたのは、アリオスから帝都まで随伴してきた若い警備兵だ。手には槍を携えている。その表情は少し緊張していた。


「武器を放せ」

 ヴィクトルの命令に、警備兵は戸惑って声を詰まらせる。

「稚拙な擬態は不愉快だ」

 警備兵からすっと表情が消えた。人形のような感情のない顔で、槍の切っ先をヴィクトルに向ける。


「――――ッ」

 首の神経を捉え、力を込め、揺らす。

 偽兵士の身体が、雷に打たれたかのように震え、床に倒れる。

「神経を麻痺させたわ。当分は動けない」

 すぐ自殺に走る暗殺者への対策と、自衛のために考えた技だ。うまくいって良かったと、内心胸を撫でおろす。


「鮮やかな手並みだな」

「ありがとう。ヴィクトルこそどうしてすぐに偽者ってわかったの?」

 ノアは違和感をまったく感じなかった。

「全員覚えているだけだ」

「なるほど」


 痙攣して動けない偽兵士を注視する。

 自害用の毒を仕込んでいるならいまのうちに解毒しないといけない。麻痺が解ける前に拘束も。近づこうとしたとき、廊下の先からこちらに向かってくる足音が聞こえた。


 何も言わずに書斎に踏み込んできた警備兵は、水が流れるような動作で、手に持っていた槍を床に倒れている偽兵士の心臓に突き立てる。

 槍の先を抜き、血に濡れた刃をくるりと回して自分の首をさくりと切った。


「な……」

 うめき声が喉に張り付く。

 あまりにも鮮やかな手並みだった。疑問が浮かぶ暇さえなかった。

 あっという間に二人分の死と血が充満する。

 悪夢のような光景に、身体が動かなくなる。

 いますぐ治療すれば助けられるかもしれない。そう思って近づこうとするノアの手を、ヴィクトルが引き止めた。


 死と、血と。

 そしてどこからか吹き込んだ悪意が混ざり、濁り、昏き闇となる。

 風が吹く。音のない声を乗せて。

 呪詛が闇に宿り、泥になり。

 命が吹き込まれたかのように、形を得ていく。三つ頭の巨大な犬――ケルベロスの形に。


 幻影であり夜霧であり、呪いであり殺意であり。

「く……っ」

 実体化しないように呪素の流動を止め、分解を行う。しかし新鮮な死に歓喜して集う呪素の勢いは凄まじかった。輝く魂を屠ろうと、集う。集う。嵐のように。

 悪意と呪いがそれを煽り、利用して。死を呼ぶ呪いが完成していく。


(だいじょうぶ)

 黒い風を見据える。

 これくらいならまだ何とかなる。

 ケルベロスの動きを抑制し、結びつこうとする呪いを分解し、霧散させる。

 人影が、ケルベロスの向こう側で揺らめいた。


 開きっぱなしの扉のところで、誰かが立っている。

 纏めていない長い髪を、ゆったりとしたワンピースの裾や袖を風に揺らして。

「マリー? 何をしている」

 マリーは無言のまま、血だまりの床を、死体を踏み越えて歩いてくる。ケルベロスの身体の中を通り抜け、ねっとりとした闇を身体に纏わせて。


 虚ろな眼で、ナイフを手にして。

 弾むように床を蹴る。めり、と床がひしゃげた。

 ナイフを正面に構え、光のような速さでノアに向かってくる。

 血走った眼が、ナイフが、殺意が。


 完全に取り憑かれている。止めなければと思うのに、速すぎて捉えられない。

 声なき咆哮を上げて、明確な殺意を抱いて。

 怪我をさせずに止めるのは無理だ。ならばいっそ、受けて――

 防壁を作ろうとした刹那、更に速度が増す。間に合わない。


 強い力で引っ張られる。

 立ち位置が入れ代わる。庇い立つヴィクトルを突き飛ばす前に、ナイフが刺さる生々しい音が耳に届いた。

 腰部の肉を裂き、骨を傷つけ、ナイフが深々と刺さる。

 血が、滴る。


 ナイフが楔となり、肉体に亀裂を生じさせ。

 零れ出る血に群がるように、呪詛が傷口から一気にヴィクトルの内側に喰らいつく。

 昏い嵐が吹き荒び、吸い込まれるようにケルベロスも消え。

 気絶したマリーの中から黒い影が溢れ出し、消えて。

 呪詛が、成就した。




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