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4-14 置いていかれた者




 外での所用を済ませ、屋敷の中に戻るころには、既に夜の入りだった。

 今夜は屋敷の中にいることに決める。また呪詛がケルベロスの、あるいは他の形を纏って訪れるかもしれない。

 切り取られた手が脳裏をよぎる。どこかでまた犠牲は出るかもしれないが、いまのノアにはそれを止める力はない。


(後手後手だ……)

 見えない敵の厄介さと、己の無力さを思い知る。

 闇から現れる相手を払うことはできても、その出所はいまだわからないままだ。

 きっと今夜は徹夜になる。夜が来る前に少し寝ておくことにした。

(アニラに時間が来たら起こしてもらうように頼んで、疲れに効くのと眠気に効くのと効果を高めるのを何種類か混ぜて……)


「エレノア様」

 徹夜用の薬の調合を考えながら廊下を歩いていると、執事のマークスがすれ違いざまに声をかけてきた。

「お顔の色が優れないようです。お医者様をお呼びしましょうか」

 医療系錬金術師が疲れた顔をしているなんて大恥だ。

 慌てて体裁を整える。


「私はだいじょうぶです。それよりも、マリーさんの具合はどうですか?」

 レジーナが帰った後に倒れて部屋で休んでいると聞いている。

「お心遣い痛み入ります。少し休ませていただければ、すぐに働けましょう」

「無理はさせないようにしてください」

 あんなものを見てショックを受けないはずがない。

 ノアは職業柄見慣れているが、それでも平気なわけではない。


「……エレノア様、マリーが何かご迷惑をおかけしていませんか」

「迷惑だなんてそんな。マリーさんはよくやってくれていると思います」

「もしエレノア様に無礼を働くことがありましたら、遠慮なくお申し付けください」

 一瞬、息が詰まる。

「そんなこと――」

 ない、と言おうとしたが、この老齢の使用人の目はすでにすべてを見抜いているようだった。

「マリーはいまだに分不相応な夢を見ているのです」




 分不相応な夢。

 それが何かは聞けなかったが。

 ノアがいないところでの言葉や、態度の端々からなんとなく感じ取れた。

(たぶん、ヴィクトルのことを――)

 ひとり廊下を歩きながら、ぶんぶんと頭を振る。


 いまはそれどころではない。

 この屋敷の人々を呪詛から守ることがいまノアがやるべきことだ。そのためにも夜が深まる前に仮眠を取らなければ。

 アニラはこの時間きっと夕食の準備の手伝いをしている。キッチンに向かおうとしたところ、階段を下りる途中で、両手に洗濯済みのリネンを抱えたアニラを見つけた。ウサギに似た長い耳が動くたびに揺れている。


「アニラ、少しいい?」

 声をかけながら、階段を降り切る。

「ノア様、いかがされましたか」

「マリーさんの様子はどう?」

 アニラはぴくりと長い耳を揺らす。


「そうですね。少し元気がないみたいです」

 笑顔がぎこちない。

 アニラとマリーは同じメイドだが、アニラはフローゼン領で生まれ育ち、領地の邸で雇われていた。帝都に来たのも初めてで、慣れない場所での仕事になっている。

 マリーは帝都生まれでずっとこの屋敷の管理をしていたのでアニラを指導もしてくれているのだが、もしかしたらうまくいっていないのかもしれない。


「そう……アニラはだいじょうぶ?」

「はい! せっかく帝都に連れてきていただいたんですもの。バリバリ働きますよー」

「ありがとう。アニラがいっしょに来てくれて、本当によかったわ。でも無理はしないでね。何かあったら、いつでも言って」


「はい!」

 花が咲くような笑顔が浮かぶ。

 夜に起こしてもらうように頼むつもりだったが、余計な仕事を頼むのはやめておくことにして、マリーの部屋の場所だけ聞いた。




 マリーの部屋の前に立ち、扉をノックする。

「マリー、少しいい?」

 部屋の中で人が動く気配がする。ノアはゆっくりと扉を開く。

「エレノア様?」

 使用人用の部屋の中、マリーがベッドの上で身体を起こす。


「休んでいるところごめんなさい。具合はどう?」

「…………」

 マリーはベッドから降り、真っ直ぐに立つ。まるで対峙するかのように。

「エレノア様こそ」


 暗がりの中でも、マリーの顔色が悪いことは見て取れる。

 多少距離があっても、眼が昏いことに気づくことができる。その奥にある鋭い光も。

 マリーはいま、非常に機嫌が悪い。

「どうして、そんな平然とされているのですか」

「いちおう医者みたいなことをしていたから。慣れているだけ」

 血にも傷にも、病にも、死にも。人より多少慣れている。それだけだ。


 マリーは苛立ったように拳を握り締めた。

「あなたは、なんなのですか」

 ――三百年前から来た、滅びた王国の錬金術師。

 マリーが聞きたいのはこんなことではない、というのは何となくわかる。

 長年領地に戻っていた侯爵がいきなり連れてきた婚約者。

 身元もはっきりしない、どこの誰かもわからない女。


(うん、怪しい)

 本当ならこの世に存在しない人間だ。

 ノアが目が覚めてから会った人々は、本当なら出会うはずのなかった人々だ。

 自分を封印した経緯や、それからの歴史を思えば、自分がここにいることを運命や奇跡といったきれいな言葉では取り繕えない。

 ――時代の異物。


「何も知らないくせに……旦那様の苦しみも重責も」

 震える声には恨みがこもっていた。

「そうね。私は何も知らない」

 ヴィクトルとの出会いはまったくの偶然だった。

 あの瞬間に目覚め、外に出ていなければ、一生出会うことはなかった。ヴィクトルはきっとあの場所で死んでいただろうから。傷と病と毒のすべてで。


 出会う前のことはほとんど知らない。時折話に出てくるのを聞くだけで。

「過去のことはあなたの方がずっと詳しいと思う」

 飛んできた枕が顔に当たる。

「…………」

 ゆっくりと顔面から床に落ちかけたそれを、反射的に受け止めた。


(うーん……)

 虚を突かれてしまって何も言葉が出てこない。

 枕とはいえ女主人候補に攻撃してくるのは迂闊だとは思うが。

 ここは毅然と対応するべきところだろうか。

 ただ、相手はどう見ても正常な精神状態ではない。


「置いていかれた私の苦しみなんて……」

 泣き声としゃくり上げる声が部屋に響く。

 マリーはマークスと二人で帝都の侯爵邸を守っていた。主の戻る場所を。

 それは信頼してのことだと思うが、マリーは連れて行ってもらいたかったのだろう。領地へ。離れたくなかったのだろう。ヴィクトルと。


 ――身体の怪我はいくらでも治せる。

 心に負った傷や病はどうすれば治せるのだろう。

「邪魔をしてごめんなさい」

 枕を手近な椅子の上に置く。

 いまはそっとしておくことにした。弱っている時に刺激するべきではない。


 扉を開け、部屋から出る。

 近くの壁に両手をついて、小さくため息をつく。

 錬金術師になってからは引きこもりがちだった弊害か。人間関係は、苦手だ。


「ノア」

 よく響く、聞きなれた声に顔を上げる。

「ヴィクトル……」

 すでに正装は解いていて、黒いシャツに黒のベストと濃青のタイという服装だ。


 マリーの様子を見に来たのだろうか。

 見っともない恰好をしているところを見られてしまった。姿勢を正し、場を離れようとしたところ、進行方向を塞がれる。

「話したいことがある。書斎まで来てほしい」





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