4-12 丘の上の孤児院
「どうして僕があなたの世話を……」
朝の爽やかな空気の中、クオンは不満を隠そうともしない陰鬱な顔でため息をつく。
「ヴィクトルの命令だからがんばって」
行動は迅速に。ノアは朝食後に早速動き出した。充分な睡眠と朝食とコーヒーで気力に溢れている。
(そういえばマリーさん、いつもと少し様子が違ったなぁ)
まだ人通りの少ない街並みを歩きながら、ふと思い出す。
ノアを起こしにきたときに、部屋のソファで寝ていたヴィクトルを見てから、どこか態度がよそよそしい。気にはなるが、ノアが直接声をかけても逆効果かもしれない。今度ニールかマークスにそれとなく聞いてみることにする。
「それで何をお探しですか」
「怪しい人物」
「ざっくりしすぎです。順を追って説明してください」
当然のように怒られる。
「私は昨夜、呪詛に狙われたんだけれど――あ、呪詛ってわかる?」
「ええ、なんとなくは。え? なんで生きてるんですか?」
「そこはそれ。なんとなく」
「誤魔化し方下手ですか」
聞き流す。
「呪詛には生贄が必要なの。言いたくないけれど、ここなら獣人の孤児ほど都合のいい存在はないわ」
帝都の獣人の、孤児。
あってはならないことだが、消えても、いなくなっても、誰も気にしない存在だというのが現実だ。
「呪詛にお詳しいんですね」
「昔聞きかじっただけの知識よ」
「……なるほど。それは置いておくとして、あの子どもの言葉を信じているんですか」
――獣人は孤児院に入ると殺される。
――仲間が身なりのいい男に連れていかれて、消えた。
「嘘をついたって、あの子に利はない」
多少の混乱を引き起こし、同情を買えるかもしれないが、それだけだ。
「わかりました。孤児を攫っていそうな怪しい人物か、先日の子どもを探すということですね」
「うん、お願い」
「だからその恰好なんですね」
「呪われた本人が元気に歩き回っていたら、呪詛は失敗したと言っているようなものだもの」
髪の色を髪粉で茶色に変えてひとつ縛りに。
特製眼鏡で赤い目を、こちらも茶色に変えて。
口紅で唇の色を変えて。
ノアをよく知る人物でなければ気づかないように変装している。
これら変装のための化粧品はかつての同僚であるグロリアから貰ったものだ。
(そういえば、グロリアどうしたんだろう)
帝都にまでは付いてきたが、その後は黒猫の姿を見かけていない。神出鬼没なところがあるとはいえ。
(錬金術師を探しているのかしら)
自分を猫の器から解放できる錬金術師を。
橋の周辺はすでに市が立ち、買い物をする人間で賑わっていた。これからもどんどん人通りが増えていくだろう。
人と人の間を歩きながら、周辺を探す。時折路地裏にも入りながら。
だが、目につくのは純粋な人間の子どもだけで、獣人の子どもも、路上で生活しているような子どももいない。
そもそも獣人自体がほとんどいない。帝都では獣人は奴隷同然の労働者階級だと聞く。獣人は獣人で集まるコミュニティがあるのかもしれない。
「この辺りにはいませんね」
探し始めてすぐにクオンが言う。
「匂いでわかります。別の場所に移動したのかもしれませんが」
クオンは犬系の獣人だ。匂いにはノアよりもよほど敏感だ。
「そう……」
「どうしますか。まだここを探しますか」
早く帰りたい、と雰囲気で訴えてくる。ノアは気づかないふりをした。
「獣人を保護している孤児院に行きたい」
ローゼット伯爵が運営しているという孤児院が、この帝都で唯一獣人を保護していると聞いている。そちらで保護されているのかもしれない。それならそれで安心できる。
とにかく、気になることは片っ端から確認していきたい。
「わかりました。ご案内します」
「場所を知っているの?」
「僕も長く帝都で暮らしていましたから。少し距離がありますが、馬車を拾いますか?」
「平気。歩けるわ」
馬車で動くと目立つ。御者も巻き込むことになるかもしれない。
慎重を期して徒歩で向かうことにした。
(ゴーレムくんにっ、乗りたいっ!)
クオンに案内されたのは帝都郊外の丘だった。坂道を歩き、額に汗を感じながら、ノアは自分の浅慮を悔やむ。
空は快晴。ピクニック日和。気温はどんどん上がっていく。
馬車を提案されただけのことはある。脚力強化しているとはいえ、上り坂の歩き続けるのは体力的に厳しい。
(ゴーレムくんにっ、乗りたいーっ!)
ひんやりとした身体、無尽蔵の体力、移動のスピード。すべてが愛しい。
人通りが皆無に近いとはいえ、さすがにこの開けた場所で日中にゴーレムを乗り回す勇気はないが。
「見えてきましたよ」
クオンが足を止める。
立ち止まると、ひんやりとした風が頬を撫でていった。
気持ちいい風が吹く丘の上、そこから少し降りた窪地に、小さな森に囲まれた、黒い屋根の屋敷が見えた。
「獣人の孤児を保護しているのはここぐらいです」
遠くからでも、広い庭で元気に遊んでいる子どもたちの姿が見える。
「ここが、伯爵の――」
お茶会で出会った女伯爵が運営している孤児院。
きらきらとした光が照らすその場所に、怪しい雰囲気は感じられない。
「よし、行ってみましょう」
「行ってどうするんですか」
「中を見学させてもらうの。そうね、恋人でも装った方が自然かしら」
苦虫を噛み潰したような表情をする。
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「突然すみません。こちらの分け隔てなく子どもたちに手を差し伸べられている理念に感動して、ぜひ寄付をさせていただきいと思って参りました」
表で子どもたちの世話をしている女性に声をかけると、すぐに中に案内され、応接室に通される。
ほどなく、恰幅のいい老齢の女性が現れた。
「私が当孤児院の院長です。寄付のお申し出に感謝いたします」
「ありがとうございます。こちらになるのですが――」
亜空間ポーチから出して用意していた、金貨の入ったずっしりとした革袋を渡す。袋の口から零れる黄金の輝きに、人の好い笑顔が強張った。
黄金の輝きは、いつの時代も人を変える。
「まあ。まあ、まあまあまあ」
「思い立ってすぐ来たもので、少なくて申し訳ありません。子どもたちの未来のためにも、これからも微力ながら協力させてください」
「ありがとうございます。大切に使わせていただきます」
院長は興奮気味に何度も頷く。瞳の奥が黄金の色で光っていた。
「お嬢様、お名前を教えていただいてもよろしいでしょうか」
「それではエミィと。偽名で申し訳ありませんが」
「事情がおありなのですね。もちろん構いませんとも」
「重ね重ね不躾ながら、中を少し見学させていただきたいのですが、よろしいでしょうか?」
「もちろんですとも」