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4-6 手紙と褒美



 今度こそ「おやすみなさい」を言って退室しようとすると、ヴィクトルがいままで読んでいた手紙を机越しにノアに見せてきた。

「大学時代の恩師から、手紙の返事が来た」

 ランプの光に照らされた、少し癖の強い字。


「蒸気機関についてだ」

 そういえば、そんな話を帝都に来るまでの馬車の道中でしていた。

「あなたから話を聞いてすぐに早馬を飛ばして、教授に蒸気機関に詳しい研究者はいないかを聞いていた」

「そんなことをしてたの?」

 まったく気づいていなかった。


「ああ。どうやら心当たりがあるらしい。紹介してもらえそうだ」

 少年のような顔をする。

 もし本当に蒸気機関が実用化されていけば、世界の姿が少し変わっていくかもしれない。

 三百年間発展していなかったのは気になるが、錬金術の力を合わせれば実用化に近づけるのではないか。

 時代の先端に触れたかのような気がして、ノアも嬉しくなる。ぜひその研究者と会って、いろんな話や研究をしてみたい。


「あと、疲労回復剤のサンプルを送ったのだが、いたく気に入ってくださったようだ。大量の注文も来ている」

「営業までしてたの?」

 機会があれば何でも有効活用するのはヴィクトルの長所か。

 とはいえ大量注文はありがたい。薬事業が軌道に乗れば乗るほど、雇用を増やすことができるし賃金も上げられる。景気が良くなる。思わず頬が緩む。


「ヴィクトルって錬金術師みたい」

「なに?」

「錬金術は可能性を現実のものに――理想を現実にする力だって、私は思っている。ヴィクトルは、私の思い付きを現実にしてしまうから、まるで錬金術師みたいだなって」


 ノアにとっては最大の賛辞のつもりだったが、もしかしたら言われた方は微妙かもしれない。

 今度こそ書斎を出ようと決めて踵を返そうとすると、ヴィクトルが椅子から立ち上がった。

「光栄の至りだ」

 机の前に回り込み、ノアの隣に立つ。

 隔てていたものがなくなり、距離が近くなる。


「ただ、私は強欲だからな。できれば褒美もいただきたい」

「褒美?」

 言葉を繰り返すと、ヴィクトルは頷く。


 褒美と言われても、いったい何を喜ぶのかがわからない。普通に考えれば対価と言えば金銭だが、それを喜ぶような相手ではない。

 他にノアがいま上げられるものが何かあっただろうか。部屋に戻って亜空間ポーチの中を探してみようと思ったとき、手を差し伸べられた。


「左手を」

 言われるままに左手を重ねる。

 そのまま顔を寄せられ、指に唇が触れた。

 心臓が、跳ねる。


(えっ? なに?)

 騎士が姫に忠誠を誓うような口づけだった。

 青い瞳と目が合う。

 狩人に射竦められた獲物になったような気分になった。

 触れられた場所が――口づけを落とされた場所が、じんじんと熱い。


 名残惜しげに手が離れる。

 思わず左手を胸の前で抱え込む。

「確かにいただいた」

「えっ? これで褒美になるの?」

 困惑するノアの前で、ヴィクトルは満足げに微笑む。

 唇が触れた場所が、くすぐったい。別の生き物みたいに脈打っている。


「まだ私のことを、その……好きでいてくれているの?」

「まだ、ではないな。以前よりもずっと強く、想っている」

 顔から火が出そうなほど熱い。

 心臓が跳ねて、うるさい。


(私のどこを気に入ってくれたんだろう)

 言葉を尽くされても、行動で示されても、そこがいまだにわからない。

 錬金術師として利用価値があるからと言ってもらった方が素直に受け入れられる。


(ヴィクトルのことは、嫌いじゃない)

 ――好きと言ってもいい。

 けれど、気持ちを受け入れることがまだできない。

 想いを告げられて、秋から冬の間に何度も何度も考えた。


 この時代の人間ではないこと。生きてきた年代の違い。

 この時代の貴族ではないこと。身分の違い。

 好きになっても、心を許しても、また裏切られるかもしれないという不安。

 それらが足を踏みとどまらせる。

 それでも、進みたいと思う心もある。


 ヴィクトルに、喜んでほしいと思う。笑ってほしいと思う。幸せになってほしいと思う。

 ノアがそれをできたなら。

 喜びを与えられたなら。苦しみを分かち合えるなら。

 そう思える勇気を持つことができたなら。


 ――ああ、それにしても。

 振り回されてばかりだ。

 あんなささやかな口づけで、心臓が飛び出しそうなほど動揺しているなんて、ヴィクトルはきっと思ってもいないだろう。


「……ヴィクトル、座ってもらっていい?」

 いままで使っていた椅子のところに背中を押して誘導して、座らせる。

 身長差があるため、こうでもしないと不意打ちできない。首に手を回して頭を引き寄せるのは、まだまだハードルが高すぎる。


 素直に座ったヴィクトルの両肩に手を置いた。

 頬に顔を寄せ、唇で軽く触れる。

 ほんの一瞬だけ。

 離れるとき、小さな音がした。


「おやすみなさい」

 顔を見ないように目線を下にしながら、踵を返す。

 足早に書斎から出る。もう引き留められることはなかった。


 暗がりの廊下を歩く。

 顔が熱い。心臓がうるさい。

 頬への口づけは親愛の証。ただそれだけの意味しかない。なのに。


 今夜は眠れる気がしない。






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