表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
70/182

4-5 先代の書斎



 レジーナに送られて侯爵邸に帰ってきたときには夕方になっていたが、まだヴィクトルは帰ってきていなかった。

 ヴィクトルとニールが戻ってきたのは夕食も終わり、夜も更け、そろそろ就寝しようかという頃だった。

 帰ってきた気配を感じて、夜着の上にストールを羽織って玄関ホールに下りる。しかしふたりの姿は既になく、偶然出会ったマークスに尋ねるとヴィクトルは書斎に行ったという。


 書斎の場所を聞いて、そちらに向かう。慣れない、暗い廊下を歩き、光が零れている扉を見つけて、扉を軽くノックする。

「ああ」

 いつもと同じ、短い返事。


 扉を押し開け、中に入る。ヴィクトルは奥の椅子に座って、何かの書類に目を通していた。

 紙とインクの香りが、しんとした夜の匂いに混じる。

 アリオスの書斎と似ていて、どこか違う匂い。

 壁には作り付けの本棚、奥には立派な机。内装の雰囲気も似ている。けれど。


「なんだか、アリオスの書斎とは少し雰囲気が違うのね」

 本棚の背表紙を眺めながら、奥に歩いていく。どの本も大切に扱われてきたらしく、時間経過による変化はあれども埃ひとつない。

「ああ、父が使っていた時のままだからな」

 書類を置き、机上の封筒を手に取り、ナイフで封を切る。紙を裂く音が短く響いた。


 一日中出かけていて、帰ってきてからも寝ずに仕事。話したいことはたくさんあったが、いま自分の話をするのはどうなのだろうと思い直す。

 邪魔をするのは悪い。必要なことだけ伝えて早々に去ろうと決めた。


「明日、レジーナさんにお茶会に招待されたの。行ってきてもいい?」

「ああ、楽しんでくるといい」

「ありがとう。それじゃあ――」

 おやすみなさい、と言おうとして。


「今日はどうだった」

 被せるように問いかけられ、部屋を出るタイミングを逃す。

 甘やかすようなやさしい声は、何でも話してしまいたくなるような響きを帯びていた。


「えっと、広場と橋を案内してもらって、スリに遭ったわ」

 言ってから、何を話しているのかと自分を叱責した。

「あ、お財布はクオンさんがちゃんと取り返してくれたんだけど」

 そこで話を終わらせようと思ったが、言葉を促す視線が向けられる。


「……スリをしてきたのは獣人の子どもで、孤児みたいで、外で生活しているみたいだった。レジーナさんが孤児院を勧めたんだけど、その子は、獣人は孤児院に入ると殺されるとか言ってて――」

 話すことが纏まっていないから、聞き苦しい話し方になってしまう。会話術の訓練の成果はどこへ行ってしまったのだろう。


「なんとかできたらって思ったんだけど、全然何も思いつかなくて。結局、お金を渡すことしかできなかった。なんの解決にもならないってわかってたのに」

 大人は帝都で働くことも、アリオスに行くこともできる。他の場所にも行こうと思えば行ける。

 けれど子どもはそうはいかない。

 行き場のない子どもを、なんとか手助けができたらと思う。だがいまのノアに何ができるだろうか。


「獣人を保護している孤児院に話を付けて、希望した者をアリオスに連れて帰ることはできるが」

「できるの?」

「ああ。幾ばくかの謝礼を支払えば、協力してもらえるだろう。孤児院の経営は基本的に苦しい」

 それはそうだろう。収入の当てが寄付金や善意しかないだろうから。

「だが、その噂は気になるな」


 ――獣人は孤児院に入ると殺される。

 物騒すぎる噂だ。しかもあの少年は、噂ではなく、自らの体験としてその言葉を口にした。

「仲間の子が身なりのいい男に連れていかれて、どこにもいなくなったって言っていた。嘘をついているようには見えなかった」


 真相を調べたい。

 湧き上がる心が指先を震わせる。ノアはそれに気づいて、ぎゅっと腕に指先を押し当て、深く呼吸をして震えを止める。

 偽の婚約者役の依頼を受けて、淑女教育を受けて、貴族の養女になって。

 そこまでして帝都に来たのは、ヴィクトルを守るため。そして帝国の錬金術師について調べるためだ。

 一時の感情で本来の目的を見失うべきではない。


「あなたは思うままに行動すればいい」

 ノアの心を読んだような言葉。

 ヴィクトルの顔を見ると、いつもと変わらない、揺るぎのない笑みを口元に浮かべていた。


「後のことは私に任せておけばいい」

「ヴィクトルは私に甘い」

「ああ、そうだな」

「……ありがとう」

 嬉しくなって、笑みが零れる。そして決意する。必ず真相を突き止めようと。




「あ、あとこれ。公爵家のドミトリ様に渡されたの」

 机に近づき、ヴィクトルに手を伸ばす。見せるためにずっと握りしめていた、獅子の紋章入りの指輪を渡す。

「ドミトリだと?」

 ヴィクトルは引きつった表情で指輪を受け取り、ノアの顔と指輪を交互に見た。


「……いったい何をしたんだ」

「何もしていません」

 事故が起こっていたり、行き倒れていたり、暗殺者に殺されかけていたりしていれば、当然救助したが。相手が誰であろうと、それがノアの習性だ。しかし今回は本当に何もなかった。


「宮殿前の広場で、いきなり馬車から降りてきて渡していったの。いちおう調べてみたけれど、ただの白金だったわ」

 何かの細工があるかもしれないと構造を見てみたが、どこから見てもただの白金でできた指輪でしかなかった。

「渡された意味も正直よくわからないから、困っているの」


 ヴィクトルは座ったまま、静かに指輪を見つめている。

 何を考えているのかその表情からは読めない。ただ、喜んでいないことはわかる。

「ヴィクトル?……私、何か失敗した?」

「――いや」

 首を横に振り、指輪をノアに返してくる。


「持っているといい。私の力が及ばない場所で、あなたを守る力になるだろう」

「でも、何かの罠とかかも」

「あれは罠を張れるような男ではない」

 人となりをよく知っているような言い方だ。


「仲が良いのね」

「あれが聞いたら憤死しそうな言葉だな」

 溜息混じりに言う。

 いったいどのような関係なのだろう。ノアがレジーナから聞いた話では大学の同期で、事あるごとにドミトリから勝負を持ちかけられていたようだが。


(ボーンファイド公爵家……)

 ノアの認識ではヴィクトルの政敵だったのだが。それこそ武力衝突も辞さないような。

 だが、嫡男であるドミトリのことは危険視していないように見える。

(不思議な関係)


 それでも相手は公爵家。皇帝の一族に次ぐ権力の持ち主だ。

 運命が、未来が、どんなふうに転がって、どんな結末が訪れるのかはわからない。

 どんな未来が訪れようとも、心は決まっていた。

 最後までヴィクトルの味方でいると。




評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。


次にくるライトノベル大賞2023にノミネートされました!!
「捨てられた聖女はダンジョンで覚醒しました」に清き一票をよろしくお願いいたします!!
sute01tugirano.jpg



書籍発売中です
著者サイトで単行本小話配信中です!

horobi600a.jpg

どうぞよろしくお願いします



◆◆◆ コミカライズ配信中です ◆◆◆

― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ