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4-4 路地裏の獣人



 大皇宮前広場の次にレジーナがノアを案内したのは、帝都を流れる広い川の両岸を結ぶ橋だった。

「二八〇年近く前にこの橋で王国軍に勝利して、それから帝国は怒涛の勢いで大陸を制覇したの。帝国の覇権の始まりが、この橋よ」

 観光客に紛れながら、帝国民の誇りの石造アーチの橋を眺める。少し複雑な気分で。

 橋は戦火や地盤沈下のため長い年月のうちに何度も作り直されたが、橋の場所は変わっていないらしい。


 橋の両岸は商業地となっていて、観光客相手の店が軒を連ねている。

 豊かな物資と物流の存在を感じながら、色とりどりのキャンディーのように煌めく通りを歩く。

 少しぼんやりしていると、突然後ろから軽い衝撃が来た。


「ごめん!」

 短い謝罪と同時に、帽子をかぶった子どもが脇をすり抜けていく。

「少々お待ちを」

 気配を消していたクオンが前に出たと思うと、あっという間に子どもを捕まえて戻ってきた。子どもの奥襟を握りしめて。


「なんだよ、離せ!」

 暴れる子どもの頭から、大きめの帽子が落ちる。犬のような耳がぴょこんと跳ねた。

 十歳に満たないほどの獣人の少年だった。よく見れば全身薄汚れた格好をしていて、黒い髪は埃にまみれ、肌も汚れていて、服はところどころ穴が開き、靴もくたびれている。


「どうぞ」

 クオンが渡してきたのはノアの財布だった。

 バッグに入れて持ち歩いていた買い物用の財布が、いつの間にか少年の手に渡り、そしてクオンに回収され、自分の元に戻ってきている。


 いったいいつの間に取られていたのか。

 手腕が鮮やかすぎて気づかなかった。

 クオンに捕まった少年は、何とか逃げようと手足をばたつかせているが、まったく逃れられる気配はない。爪と靴先は虚しく空を切るだけだ。


 レジーナが、クオンからひったくるようにして少年の襟をつかむ。

「またあなた? いい加減こんな危ないことしてないで孤児院に行きなさいよ。路上生活よりよっぽどマシな生活ができるわよ」

「嘘だ! 獣人が孤児院に入ると殺されるって、みんな知ってるんだからな!」

「そんなわけあるか!」


 言い争う声が響くが、通りを歩いている人々は我関せずと通り過ぎていく。周りに人はたくさんいるのに、視線は感じても誰も関わってはこない。巻き込まれないように距離を開けて、足早に去っていく。

 ノアはドレスの裾が地面につかないように気を付けながら帽子を拾い、しゃがんで少年と目線を合わせる。

 少年の瞳を覗き込む。黒に近い焦げ茶色の瞳。ミルクの入っていないコーヒーの色。

「そのお話、詳しく教えてくれない? もちろんお礼はするわ」


 帽子を頭にかぶせる。大きめの帽子は、まっすぐに置いても斜めにズレていった。

「く、詳しくも、なにも」

 言い淀み、視線を逸らす。先ほどまでの威勢が嘘のように眉尻が垂れている。

「孤児院に入ると殺されるって、本当?」

 嘘なら嘘でいい。ただこのまま聞き流してはいけないと思った。


 少年の顔をじっと見つめていると、大きめの口をぐっと噛みしめてノアを睨み上げてきた。

 精いっぱいの威嚇を、ノアは正面から受け止めた。するとまた目を逸らされる。

 ぎゅっと、両手と瞼に力が込もる。

「……妙に身なりのいいやつがやってきて、オレらみたいのも受け入れてくれるところがあるって言われたんだよ。でも、ついて行ったやつ、誰も……」


「誰も?」

「いなくなったんだよ。どこにもいなくなった」

 苦しみを吐き出す声が痛々しく響いた。

「会えなくなっただけじゃなくて?」


「ああ、そうさ。どこにも匂いがしなくなった。みんなで探しても見つからなかった」

 獣人にもよるが、彼らは大抵嗅覚が優れている。嘘を言っているとも思えない。嘘を言う利点がない。

 胸がざわつく。

「そう……心配ね」

「…………」


「連れていかれたのはどんなところかわかる?」

「わかんねぇよ」

「そう。ありがとう、辛いことを話してくれて」

 ノアは少年の痩せた手を取り、先ほど取り返してもらったばかりの財布を乗せた。


「あんた何考えてんだ」

「お礼よ。また何か思い出したことがあったら教えて。私はフローゼン侯爵のお屋敷にいるから」

「……信じてくれるのか?」

「あなたにとっての真実を教えてくれたんでしょう?」


 少年は口元を引き結ぶと、財布を握りしめてズボンに押し込む。レジーナの手を振り払って逃げていく。足はかなり速く、あっという間に姿が見えなくなった。

「ごめんなさい」

 少年の気配が消えてから、レジーナに頭を下げる。


「いやまあ、いまは警察じゃないからいいけど、いくら渡したの」

「見せ財布だからあんまり入っていないんです」

「意外とたくましいわね」


 スリに遭う可能性も考慮して、バッグに入れていた財布には少額しか入れていない。それでもあの少年や仲間たちが一週間食べられるくらいの金額は入っているはずだ。

「外で暮らす子どもを見たのは久しぶりだったので。ごめんなさい、つい」

「お優しいことね」

 レジーナは呆れたように肩を竦める。


「帝都は、あんな子どもが多いんでしょうか」

 アリオスには路上で暮らすような孤児はいない。親がいない子どもは施設で大切に育てられている。

「まあ、皆が皆フローゼン領に行けるわけじゃないし。遠いし。そっちも無条件で受け入れているわけじゃないしょ?」

 答えられなかった。ノアはそのあたりのことは全然知らない。一年近く過ごしたというのに、知らないことばかりだ。


「それでも、帝都には受け入れる場所はあるわ。それを拒むなら、そういう生活になるのは仕方ないんじゃない?」

 レジーナの言うことはもっともだ。しかし自己責任という言葉は子どもにはまだ早いように、ノアには思えた。。

「まあ、噂とやらはちょっと気になるけど」


 ――獣人が孤児院に入ると殺される。

 ――ついていった子どもはいなくなる。

 噂はただの噂で、普通に考えればあの少年が知らない孤児院で暮らしているだけだと思われる。


 養子に出された可能性もあるし、労働力として買われていった可能性もある。

 孤児を拾って、わざわざ殺す理由が思いつかない。普通に考えれば。

(普通じゃないことが起きている可能性だって、充分にある)

 妙に胸騒ぎがする。


「噂は行き過ぎだけど、獣人の待遇が悪いのは事実よ。まあ、どうしようもないことなのよ。獣人を積極的に支援する貴族はほとんどいないし」

 レジーナは帝国における獣人の現状を教えてくれる。

 包み隠さず、装飾せず。


「ありがとうございます。レジーナさん」

「そういう風に言われると複雑な気分だわ」

 腕を組み、顔をしかめる。


「あ、そうだ。明日友人とお茶会をするんだけど、ノアも来ない? 気心の知れた相手ばかりだし、きっと面白い話も聞けると思うわ。帝都での社交デビューってことでどう?」

 深き森にある泉のような緑色の瞳がきらりと光った。




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