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3-12 ワルツをうまく踊りたい



 夕食後、書斎に向かう。ヴィクトルと話がしたかった。

 しかし邪魔にならないだろうかという不安が直前に湧いてきて、扉をノックする前の姿勢で固まってしまう。やはりやめようかと踵を返そうとした時、扉が内側に開いた。

「待っていた」

 ノアが来ることをわかっていたのだろうか。迎えられるままに中に入る。本とインクのにおいがした。


「話をしたそうにしていたからな」

 心を読まれているのだろうか。

「何か飲むか」

「ううん、いまはいい。ありがとう」


 ヴィクトルが座ったソファの隣に、促されて腰を下ろす。

 いまさら何を緊張しているのか、鼓動が早く、強くなるのがわかった。

 前のテーブルに視線を向け、積まれている十冊ほどの本を意味なく見つめる。帝国語の本だ。調べ物の途中だったのだろうか。

 表紙に刻まれている単語が難しすぎて、いまのノアの帝国語のレベルでは理解できない。


 自分の手をぎゅっと握り、意を決して青い瞳を見上げる。

「ヴィクトル、だいじょうぶ?」

「心配しなくても犯人はほどなく見つかるだろう」

「え、あ、うん。それも大事だけど……ヴィクトルはだいじょうぶ?」


 ベルナデッタのこと。

 トルネリアの母を殺した罪をなすりつけられそうになったこと。

 特にベルナデッタのことは、かすかな希望を持っていたように思える。アニラと同じように。

 もしかしたら治るのではないかと。治って、再び目を覚ますのではないかと。昔のように。

 その希望を再び打ち砕かれて、傷づいてはいないかと気になった。


「そんな目で見つめられると抱きしめたくなるな」

 思わず一番近くにあった本で顔をガードをすると、ヴィクトルは声を上げて笑った。

 笑い声を聞いたのは、もしかしたら初めてかもしれない。本の影から盗み見ていると、あっさりと本を取り上げられる。

「あぁ……」


 ヴィクトルは本をテーブルの上に戻すと、ソファの背もたれに深く背中を預けた。

「正直なことを言えば……諦めの気持ちと、諦めきれない気持ちがある」

「うん」

 青い瞳が映す憧憬は、ノアには見ることができない。

 それでもそれがどんなに大切なものかは、なんとなくわかる。


「もちろん、あなたのことは諦めるつもりはない」

「う、うん」

「犯人捜しは難しくはない。最終的にはあなたと関わりがあった人間を全員連れてくればいい」

 その光景を想像して悲鳴が零れる。侯爵で領主だからこそできる荒業だ。

「だがそんなことをすれば辿り着くまでに証拠品を捨てられかねない。あくまで最終手段だ」

 できればそんな事態は来ないことを願う。


「十中八九、妹に感染させた人間と、あなたに感染させた人間は、同一人物もしくは共犯者だろう。同じ病を使ったのは理由があってのことだ。理由があって、あなたをわざと感染させた」

 声は力強く、瞳には蒼い炎が燃えている。

 怒っている。ヴィクトルはとても怒っている。


「その人間は、妹が感染した時期に帝都にいた可能性が高い」

「でもそんな人いっぱいいるでしょう?」

 城郭都市アリオスは商業が盛んなこともあり人の出入りが激しい。帝国全土から獣人を受け入れていることもあって、帝都や他の都市からも獣人が移り住んでくる。


「妹は病弱で屋敷に籠りがちだった。近づける人間は限られている」

 不特定多数の人間と会わない生活をしていたのなら、接近できる人数は限られる。

「……家族か使用人か医者くらい?」

「その線が濃いだろうな」


 ノアが思いつく中でその条件に当てはまるのは、ヴィクトルの従者であるニールと、薬屋を手伝ってくれるライナスくらいだ。あとはアリオスにいる医療関係者たち。

 ニールがそうだとはとても思えない。

 となるともう、医療関係者しかいない。信じがたいが状況がそう言っている。


「経歴を洗ってもう少し絞り込んでいくが、しばらくは医者には近づかないように気をつけてくれ」

「……うん」

 人を治すことに使命感を感じている人々を疑うことは心苦しいが、解決するまでは仕方がない。


「話は変わるけど、トルネリアのことはどうするつもり?」

「あなたは人の心配ばかりだな」

 今度は苦笑される。

 ただ、いままでよりは随分肩の力が抜けたように見えた。

「すべてが終わってみなければわからないが、悪いようにはしないつもりだ」


 トルネリアも錬金術師だ。ヴィクトルはトルネリアが爆発を起こしているのを見ているし、本人がそう言っていたのをおそらく聞いている。

 この時代、錬金術師は貴重だ。そしてヴィクトルの政敵は錬金術師を抱えている。対抗するための手段としても、錬金術師を取り込んでおくことに越したことはない。使える手は多いほうがいい。

 トルネリアにとっても、貴族の庇護があったほうがいいだろう。少し安心する。余計なお世話だろうが。


「そう言えば、伝えるのを忘れていたな。旧王都の調査隊が面白いものを見つけたらしい」

「面白いもの?」

「王家の書庫だ」

「書庫……」


 そこにはおそらく貴重な本や門外不出の歴史の記録などがあるだろう。

「貴重な歴史資料が見つかるかもしれない。興味はないのか?」

 微妙な気持ちが表情に出てしまったのか、ヴィクトルが意外そうな顔をした。

「知っていることでも、知らないことでも、あんまり見たいとは思わないかな」

 過去にするにはあまりに記憶が鮮明すぎる。そして王家とは関わりが深すぎる。

 記録を見れば、その日その場所にいなかった自分を責めることになるだろう。


「ごめんなさい。変なこと言って」

「謝ることではない。あなたの心はまだあの時代にあるのだろう」

 現実では三百年の時間が経ってしまっていたとしても、ノアにとってはまだ半年も経っていない。


「それでもいつかこの場所に根を張ってくれたらと、願わずにはいられないが」

 この時代に、この地に、根を張り、生きて。

 死ぬ前に何かを残せたら――……

 それはノア自身の願いでもあるかもしれない。


(よし)

 新たな決意が胸に生まれる。錬金術が使えなくなったくらいで、病気になったくらいで、立ち止まっている暇なんてない。

「明日はお店の方に行ってくるわ。ライナスさんも気になるし」

「話を聞いていたか?」

「もちろん」


 勢いよく頷くと、ため息をつかれる。

「護衛をつける。絶対にひとりでは行動しないでくれ」

「うん、わかった。あと私、いまからワルツの練習がしたい」




 家出するときに一番心残りだったワルツ。

 もうあんな風に後悔するのは嫌なので、練習できるときに練習する。必要な時に踊れないのも嫌だった。

 しかし気合が成果に繋がるかと言えばそんなことはなく。

 書斎の隅のスペースで、思い切りぶつけてしまった鼻を押さえていると、ヴィクトルの声が降ってくる。

「今日はここまでにしておこう」


 肩の下に添えられていた手が離れる。

 それを残念に思ってしまった表情を見られないように、うつむいたまま頷く。

「もしかしてだけど、前より下手になってない?」

「下手ではない。リズムも取れているし、ステップもできている」

 そのあたりの復習は自分でできるので、こっそり行っていた。しかしふたりでとなるとこの有様だ。

「後はもう、信じてほしいとしか言えないな」


(信じては、いる、つもりなんだけど)

 身体を預けられているかというと、返事がしにくい。

 何故だろうと考えてみると、答えはすぐに思いついた。


 手を重ねること、腕に触れること、身体に触れられること、そしてこの距離。

 そのすべてを意識してしまって、反射的に逃げてしまおうとして。

 その結果足を踏んでしまったり、身体がぶつかってしまっているのだと思う。

(そんなこと言えない)

 恥ずかしくて言えない。



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