3-9 サラマンダーの火
空気が爆ぜた激しい音が、部屋を揺らす。窓を、床を。身体を。
「爆発……?」
混乱する頭で状況を確認しようとする。
いったいどこで、何が?
響いた衝撃からしてかなり近い小規模な爆発か、もしくは遠くの大規模な爆発。
(爆発……まさかね)
トルネリアが起こした爆発が一瞬だけ頭をかすめる。
「ここを動くな」
ヴィクトルはノアを椅子に押しとどめる。ノアを部屋に置いて、ひとりで外へ行こうとする。
胸に生まれたのは、どうしようもない焦りだった。
「私も行く! 応急処置ぐらいはできるわ」
足手まといになるかもしれない。けれど、錬金術がなくても応急処置くらいはできる。人間の体の構造はよくわかっている。何年も人を治し続けてきたのだ。
すぐ近くで非常事態が起きているのに安全な場所で待っているなんてできない。
ヴィクトルは一瞬だけ迷うような表情をしたが、すぐに険しい表情に戻る。
「絶対に傍を離れるな」
頷き、ヴィクトルの後について部屋の外に出る。廊下には炎の匂いが燻っていた。
だが近くで炎が燃えている気配はない。一階に降りると、緊迫した表情のニールがいた。怪我をしている様子はない。両手には剣と槍を持っていた。
「旦那様、東館の方で異変が」
東館は客室がある棟だ。
ヴィクトルはニールから剣を受け取り、玄関の扉を開ける。
濃い炎の匂いが鼻を衝く。
雲一つない青い空の中、東館の端の方から黒い煙が立ち上っているのが見えた。
足音がして後ろを振り返ると、トルネリアが青い顔をして追いかけてきていた。
「わわわ我ではないぞ!」
ノアの顔を見て、動揺をあらわにして叫ぶ。
「いきなり近くで爆発したから焦ったわ! あそこの壁を見ろ!」
指さしたのは黒い煙の中。立ち込める煙の中、石壁に張り付くようにそれはいた。
二階の高さのところにいたのは奇妙に大きな蜥蜴。人間の子どもほどの大きさのある、赤い岩肌のようなそれが、丸い眼をくるくると動かし、ぬるりと尻尾を動かす。
「サラマンダー? どうしてここに」
信じられない気持ちで名前を口にする。
「知っているのか」
ヴィクトルに向けて頷く。
サラマンダー。炎の精霊とも呼ばれていた火蜥蜴。
三百年前は王国でも何度も出現報告があった生物だ。
見慣れた顔でもある。ノアが見たのは、捕獲され素材となった後の顔ばかりだったが。
特性は体内に溜めた液体ガスを気化させて口の着火装置で点火し、火炎球を吐くこと。
「火球を吐くけれど、口を開かせさえしなければだいじょうぶ」
顎を固めれば簡単に無力化できる。もしくは首を落とせば退治できる。
火災を起こす厄介だが、本体はやわらかい。生物としての驚異度は高くない。
問題は、どうしていまの時代に、そしてこの場所に存在するかということだが。
この時代には昔にいたような危険種はいない。おそらく、王国が帝国に滅ぼされた辺りの時代で多くが絶滅したのだろう。
しかしそれがいまここにいる。
もしも旧王都近くの森で生き延びていて、たまたまこの城郭都市にやってきたという可能性もなくはないが、それならここに来るまでに騒ぎになっていてもおかしくはないはずなのに。
まるで、虚空から突然湧いたとしか思えない。
考えられるとしたら。
大昔に亜空間に保管したものを解放した、というところだろうか。ノアの持つポーチには生物を入れたことはないが、おそらく理論上は可能だ。
だとしたらいったいどこの誰が。
(考えるのはあと)
いまのノアにはゆっくり考える余裕はない。
サラマンダーはひたひたと壁を這い回り、くるりと振り返り、周りを取り囲む人間たちに顔を向けた。
左右に大きく裂けた口がぱくりと開く。赤い口腔内に火の気配が見えた。
――また、爆発が来る。
ぞわりと背筋が冷たくなる。
太陽のように眩い火炎の塊が、こちらに向けて吐き出された。逃げたところで爆発の影響からは逃げきれない。
大火傷をするよりはただ痛い方がいい。
防壁をつくろうとした刹那――
「ふん!」
トルネリアの声と共に、空中で大きな爆発が起こった。
(相殺した?)
爆発に爆発をぶつけて、地上ではなく空中で破裂させた。吹き荒れる爆風から顔を守りながらそう理解する。
髪が大きく煽られる。立っていられず後ろに転ぶ。
サラマンダーはどうしているのか。舞い上がる粉塵の中で目を凝らしたその時、口の中に槍が吸い込まれていくのを見た。
まるでそうなるのが運命だったかのように。
ヴィクトルの投げた槍が、風を切り裂きサラマンダーの喉を破り、石を打ち砕く音と共に壁に突き刺さる。
首を壁に縫い留められたサラマンダーの身体が、だらりと垂れ下がる。
ぶらぶらと尻尾が振り子のように揺れていた。
ぼんっと大きな破裂音と共に頭部が炎に包まれる。炎は瞬く間に頭を、喉を、首を焼き。
首が千切れ身体が下へと落ちてくる。
サラマンダーの胴体が地面の上で跳ね、その衝撃を合図にしたかのように身体の内側から炎が爆ぜる。
体内の液体ガスに引火したのか、サラマンダーの身体は燃えに燃えた。それこそ火の精霊のように炎に包まれ、黒い消し炭となった。
肉の焦げる匂いが辺りに充満する。
絶命したサラマンダーの黒焦げの身体が、出来の悪いオブジェのように壁際に転がっていた。
「火事になったら洒落にならんところだったな」
トルネリアが一息ついてから、そう零す。
(そういえば……暇だったときに建物を強化したから、そのおかげかも)
研究をしているといつ爆発を起こすかわからないから、研究場所は壊れにくいように補強するようにしている。
これはノアだけの習慣だけではなく、錬金術師なら当然の備えだ。王国にあった研究施設も同様。そのおかげで、三百年という時間と戦火を経ても、研究施設も王城も崩壊していなかった。
そしてそのおかげで火事を免れたのだとしたら、過去の自分に拍手を送りたい。
「トルネリア、ありがとう」
「な、なんじゃいきなり」
戸惑い、訝しみながらノアを見る。
「あなたのおかげで誰も怪我をしなかった。本当にありがとう」
「我は何もたいしたことは……」
顔が赤い果実のようになっている。
「私からも礼を言わせてほしい。あなたのおかげで皆が守られた」
ヴィクトルからも言われ、トルネリアの顔はいよいよ茹で上がったように真っ赤になった。
「ととと当然のことをしたまでだ。あのままだと我も危なかったからな。それに、止めを刺したのは侯爵だ。ああもう疲れた! 我は休むぞ!」