3-6 元錬金術師は覚悟する
「本当に治せるの?」
疑っているわけではないが、信じられない気持ちで問いかける。
「身体が固まっていく病じゃろう? 我らは人形病と呼ぶ。我を信じろ。お主が良い働きをすれば必ず治してやろう」
トルネリアは自信満々だ。
ノアにはこの硬質化する病気の仕組みも治療方法もまったくわからないが、ここまで豪語するのならば可能性は高いだろう。
(その代価が、侯爵邸への侵入……)
先ほどもう帰らない決意で出てきたばかりだというのに。
気が重いが拒否権はない。
本当にこの病が治るのなら、大抵のことはやってみせる。
(ベルナデッタ様も)
もしこの病が本当に治れば、もしかしたらベルナデッタのことも治せるかもしれない。
治したところでもう魂はいないため無意味なことになるだろうが、病気が治れば、ヴィクトルの心境にも何か変化があるのではないだろうか。
諦めでも、悲しみでも、苦悩でも。
死を受け入れ、弔うことができれば、いまよりは前に進めるのではないかと思ってしまった。
(余計なお世話だろうけど)
拳を強く握る。トルネリアに協力する覚悟を決める。
「それで、目的は? 侯爵邸に入ってどうするの?」
「潜入が成功してから話す」
「……潜入するより、正面から用件を話しにいったほうが」
犯罪目的ならともかく、正当な目的があるなら無下には扱われないはずだ。
不法侵入よりも正直に話した方がまだ成功の目がある気がした。
「ええいうるさい! 協力するのか、しないのか」
「協力します。させていただきます」
ノアには拒否権はない。協力以外の道はない。
しかしうまくいくとはとても思えない。見えている断崖絶壁に突き進む勇気はとても持てない。
メイドのアニラは耳がいいから、侵入者にすぐに気づくだろう。
使用人のニールは鼻が利くし腕も立つ。
新しい使用人も、何かしらの特技を持つだろう。でなければヴィクトルが雇うはずがない。
帝国軍の元将軍も滞在しているし、帝国警察のレジーナもいる。
そしてもちろん、ヴィクトルがいる。ノアの知る限り一番強い人間が。
(魔境……)
いまの侯爵邸は控えめに言って魔境だ。うまくいく未来が見えない。ノアが自在に錬金術を使えるのなら、適当にルートをつくって侵入できるのだが。このままだと捕まるだけだ。
頭がくらくらしてきた。
「そうだな。お主には侯爵邸の隅でも爆破してもらおうか」
計画が過激すぎる。
「そうなれば当然注意がそちらに向く。その間に我が潜入する」
(これ、通報したほうがいい?)
こっそり忍び込むだけならまだしも、爆破というのは穏やかではない。トルネリアに協力するという決意が段々揺らいでくる。
しかし、ここで負けてはいけない。
「侯爵邸の内部のことは私も少しは知っているから、ちゃんと計画を練りましょう」
「ほぉう? いま話題の薬師で、侯爵とも関わりが深いとは。お主はいったい何者だ?」
(ただの錬金術師――じゃなかった)
錬金術が使えなくなったいま、錬金術師ではない。
「ただの、薬師?」
「はっきりせん奴じゃのう」
呆れ声がぐさりと胸に刺さった。
「まさかお主がここまで情けない奴じゃったとは」
ぐさぐさ刺さる。精神の出血多量でいまにも気絶しそうだ。
「……まずいな」
トルネリアの表情が険しいものに変わる。
「追いつかれたようだ」
先ほどよりも声を潜めて、慎重に壁の穴から外を覗く。ノアも同じようにすると、さきほどの獣人の男三人がこちらにやってくるのが見えた。
「くそ、鼻を潰したはずなのに」
悔しそうに唸る。やはり屋外で煙玉は効果が低かったようだ。
昨日の雨のせいで地面もゆるくなり、足跡もしっかり残っていただろうから追跡は簡単だっただろう。
しかし何故わざわざ追いかけてきたのか。薬で頭をやられているとは思えないほど、意思を感じる行動だ。自分の意思ではなく、命令されてでもいるのだろうか。
考えている暇はない。
「前の家に誘導して、爆破する。その間に裏口から逃げるぞ」
トルネリアが真剣な表情で向かいの廃墟に視線を向けていた。
顔を見つめると、不敵に笑った。
「案ずるな。我は錬金術師ぞ」
トルネリアは道を挟んだ前の家へ手を伸ばす。
しっかりと前を見据え、指をわずかに引く。指先の糸を引くような動作で。
前の家からガタン、と何かが倒れる音がした。
男たちは顔を見合わせ、物音に導かれて前の家に入っていく。
「火の精霊よ、赤き竜よ、爆ぜろ」
歌と共に、風が動く。
破裂音。
こちらまで伝わるほどの衝撃波と、廃墟内部が爆発して崩れ落ちる音。
騒々しさの中で、トルネリアは颯爽と走り出した。
「行くぞ」
トルネリアの背中を追って、裏口から出る。外に足を踏み出した瞬間、嫌な予感がして上を見る。
出てきた家の屋根の上に、人影がひとつ。爆発と倒壊に巻き込まれていたはずの獣人のひとりだった。
「危ない!」
トルネリアと影の間に身体を割り込ませた瞬間、頭に衝撃が走った。
鼻の奥がツンとする。地面の匂いがやけに近い。
頭を殴られて倒れたのだと理解するまで時間を要した。頭がガンガンと痛む。
(ああもう、護身術ぐらい身に着けておけばよかった)
いつだって後悔は先に立たない。
「ノア!」
「逃げて」
言葉は音にならない。なんとかしてトルネリアだけでも逃がさないと。地面の冷たさを感じながら、鈍い思考を巡らせる。
もう二人もこちらにやってくるのを感じる。先ほどの爆破はあまり効いていなかったようだ。獣人の丈夫さを思い知る。
起き上がろうにも、力が入らない。こんなことぐらいで動けなくなるなんて本当に情けない。
ノアを殴った獣人は、次はトルネリアに狙いを定めている。
できれば三人ともギリギリまで引き付けてからにしたかったが、トルネリアを傷つけさせるわけにはいかない。錬金術で手足を石で固めることに決める。
全身に針で刺されたような激痛が走るだろうが、我慢すればいい。どんな痛みかはもう知っている。命に比べれば些細なこと。
覚悟を決め、錬金術を使おうとした刹那――
ノアと獣人との間に、人が降ってくる。
ほとんど音を立てずに降り立った人影が、動く。
次の瞬間、獣人が吹き飛んだ。
(……人間って空を飛ぶんだ)
人が、青い空を飛ぶ姿。
屋根に落ち、突き破って下に落ちる姿。
あまりにも非現実的な光景を、現実逃避しながらぼんやりと見つめた。