3-3 偽造金貨と宝石と
「おかえりなさいませ、ノア様」
侯爵邸の正面玄関から入ると、メイドのアニラが出迎えてくれた。
「ただいま。ヴィクトルはいる? 急ぎの話があるの」
「はい、執務室の方に」
普段なら公務の場所である執務室の方には近づかないようにしているのだが、今回は火急の用だ。ルール違反と知りながらも執務室の方へそのまま向かう。
執務室の扉をノックをして、返事を待ってから部屋に入る。
「ヴィクトル、急にごめんなさい。偽造金貨が出たの」
奥の机まで歩いていき、一枚だけ確保していた偽造金貨を渡す。
「なるほど。確かに少し軽い」
ヴィクトルは輝くそれを手に取り、見つめ、頷いた。
「持っていたのは十五歳くらいの女の子。長い白髪で目は赤くて、線の細い子だった。名前はトルネリアって名乗っていた。この金貨をたくさん持って、うちの薬を全種類買おうとしていたわ」
起きた出来事を、ゆっくり思い出しながら言葉にしていく。
「レジーナさんも一緒だったから確保しようかと思ったんだけど、煙幕を使われて逃げられて。それに、自分が偽造金貨を使っている自覚もあるみたいだった。で、逃げるときこれを一枚落としていった」
薬は盗まれていないし怪我人もいない。
「よく報告してくれた。すぐに商業ギルドを通して通達を出そう」
さらさらとペンを走らせ書類をつくり、机の上のベルを鳴らす。すぐに隣の部屋からやってきた役人に書類と偽造金貨を渡した。
役人が退室するのを見送ってから、ヴィクトルは座ったままノアの顔を見上げた。
「浮かない顔だな」
「……こんなことしているけど、悪い子じゃないと思うの」
「本人の性質がどうであれ、見過ごせることではない」
「うん、わかってる」
金は経済の血液だ。血液が回らなければ街は壊死する。
偽造通貨は毒だ。通貨に対する信頼性が疑われれば、経済は停滞する。
循環が滞れば経済は弱り、いずれ死ぬ。
だから、通貨の偽造は罪が重い。許してはいけない。
「ごめんなさい。少し休んでくる」
なんだか、すごく疲れた。
「ノア」
執務室から出ようとしたところを呼び止められる。
「渡すものがある。あとで部屋に行っても構わないか」
「わかった。もし寝てたら起こして」
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女主人の部屋は、主人の部屋の隣にある。
ノアはジャケットを脱いで長椅子に横たわった。
寝転んだ姿勢のまま、部屋の中を見つめる。白い壁に、暖炉に、天蓋付きのベッド。装飾や飾られている絵画が落ち着いたものが多いのは、現代の流行か、先代侯爵夫人の趣味だろうか。
部屋の奥の方には出入口とは別に扉があり、その先は隣のヴィクトルの部屋に繋がっている。
どちら側からでも鍵がかけられる扉だが、何かがあったときのために鍵は開けていた。まだ一度も使ったことはないけれども。
目を閉じ、耳を澄ますと、雨の音が聞こえてきた。
身体を起こし窓を見る。灰色の空が見え、天から降り注ぐ雨が窓を濡らしているのが見えた。
「雨……」
恵みの雨が、いまはひどく冷たいものに見えた。
(トルネリアはどうしてるんだろう)
あの少女は今頃どうしているだろう。雨に濡れてはいないだろうか。
どうしてもトルネリアのことが気になってしまう。ファントムからその名前を聞いたからだろうか。やけに幼く見えたからだろうか。
(悪い子には見えなかった)
金貨が偽造されたものだとはわかっていたようだが、悪いことだとは気づいていなかったように思える。
それだけで、普通の生き方はしてこなかったであろうこともわかる。
だからといって許されることではないのだが。
罪を罪だと認識し、反省し、常識を知ってもらう必要がある。
「よし、トルネリアを探そう」
決心する。ここで事件の解決を待つだけだなんてすっきりしない。
早速起き上がろうと思ったのだが、何故か無性に身体が重い。疲れているのだろうか。雨のせいだろうか。
椅子のクッションに体重を預けて、小さく寝返りを打ち、目を閉じる。
雨の音を聞きながら、心地よいまどろみに身を委ねようとしたとき。
静けさの中にノックの音が響いた。
部屋を繋ぐ扉からではなく、外から。
「どうぞ」
まどろみを振り払って身体を起こす。
扉を開けて、ヴィクトルが室内に入ってくる。手に繊細な細工の施された白い箱を持って。
「ああ、そのままでいい」
立ち上がろうとすると留められた。
「隣に座っても?」
「うん、どうぞ」
長椅子の隣にヴィクトルが座る。
ヴィクトルは小さく咳払いをして、葡萄の装飾が施された箱をノアに差し出した。
「ノア。これを受け取ってもらえないだろうか」
箱を受け取り、蓋を開ける。
内側から眩い光が零れだした。薄暗い部屋の中でも輝く宝石たちが、箱の中に大切に収められていた。
「え? なんで?」
目を瞬かせる。宝石を貰う理由がない。
見上げると、ヴィクトルは少し困ったように笑っていた。
「借りたものは海で失くしてしまったからな」
ヴィクトルが他領へ出かけるとき、無事帰ってきてほしくて、おまじないとしてイヤリングの片方を渡した。
そう。貸したものはイヤリングの片方だけ。
それなのに宝石箱の中に入っていたのは、一揃いのイヤリングと、ネックレスと、ブレスレット。
金で作られたそれらに同じ透明の宝石が飾られていて、光を受けて内から輝くように煌めいている。
「ありがとう……」
お詫びの意味を含めているとしてもやりすぎではないかと思うのだが。
正装の時は身を飾る宝石が一揃い必要だ。これを使わせてもらって、婚約者役が終わったときにすべて返そう。とはいえ、侯爵令嬢時代でもこれだけのものを持ったことはない。いまの自分には身に余りそうだった。
「私の婚約者を飾るにふさわしいものを探したつもりだが」
ヴィクトルは宝石箱の中からイヤリングを片方手に取った。
ノアの耳元に寄せ、小さく笑う。
「やはりあなた自身の輝きには及ばないな」
よくもそんな恥ずかしいことを言える。
言われた側が恥ずかしくなってしまって何も言えない。頬が赤くなっていることが鏡を見なくてもわかる。
「ありがとう……」
そう答えるのが精いっぱいだった。
長い指がイヤリングを宝石箱の中に戻す。ノアは蓋を閉じて、宝石箱を胸に抱えた。
会話が途絶え、沈黙が訪れる。
用事はこれで終わりのはず。なのに何故か、ヴィクトルは動かないし何も言わない。
悩んでいるような表情は、何か言葉を探しているようにも見える。
「どうしたの?」
「……何か困っていることはないか」
「ん? 別にないけど」
「何か必要なものや、欲しいものは――」
「気を遣ってくれてありがとう。別にないわ」
ここには生活に必要なものが揃っている。個人的に必要なものがあれば自分で買ったり作ったりする。ヴィクトルに気を遣ってもらうようなことはない。
「そうか」
心なしかがっかりしているような。
いったいどうしたのだろう。
「ヴィクトルはないの? 欲しいものとか、必要なもの」
こちらから聞いてみると目が合った。
青い瞳と視線が合い、惹かれるように深く覗き込む。
(きれいだなぁ)
先ほど預かった宝石よりもずっと、美しいと思った。
「いや、なんでもない」
目を逸らされる。
「邪魔をしたな。ゆっくり休んでくれ」
立ち上がり、部屋を出ていくヴィクトルの背中を、少し残念な気持ちで見送った。