3-2 薬屋への来客
ノアが向かったのは、アリオスの中央通りにある、白壁の小さな建物だ。看板には「薬屋」と書いてある。
入口の扉を押し開ける。カランカランと鐘が鳴り、消毒液の落ち着く匂いがした。
「いらっしゃいませ――ああ、ノア様、レジーナ様。お疲れ様です」
カウンターの奥にいるメガネをかけた白衣の男性、ライナスに迎えられ、店の中に入る。レジーナも一緒に。
「ライナスさんもお疲れ様」
「ノア様、新薬の方もすごく好評ですよ」
「そう? よかった!」
この店はノアがつくった薬を一般に販売するための店だ。
店の規模は小さいが、商品も小さいので問題ない。薬の種類は解熱剤、腹痛に効く薬、滋養強壮剤、等々が、店内の棚に並べられている。
最初はノアの薬の効能をよく知る旧王都調査員たちから広まっていった。アリオスは医療費は無料だが、すぐに使える家庭の常備薬として広まり、安価でよく効くと評判を呼んでいる。
ライナスは本業は医者だったのだが、ノアの薬に惚れ込んでくれたらしく販売員を買って出てくれている。客の相談に乗りながら販売してくれるのでとても助かっている。
「これだけの薬学の知識、どこで学ばれたのですか?」
「秘密です」
微笑んで答える。
ノアが錬金術師ということは少しずつアリオス内でも広まってきているが、いまはまだ大っぴらには言えない。なので錬金術で研究開発したことも言えない。
薬の在庫状況を見るため奥の倉庫へ行こうとした時、扉が開いて鐘が鳴った。
「いらっしゃいませ」
入ってきたのは大きい鞄を背負った華奢な少女がひとり。白く長い、絹のような髪と赤い瞳が印象的だった。
「ふぅん。ここがそうなのか」
店内を見渡しながら、帝国語で呟く。
「本日はどのようなご用件ですか」
帝国語でライナスが応対すると、少女は不敵な笑みを浮かべた。
「ここの薬の評判を聞いてな。とりあえず全種類貰えるかな」
「全種類ですか?」
「左様。金はこれで足りるじゃろう」
カウンターに重みのある革袋が置かれる。わずかに開いた口から金色の光が漏れ出していた。
金貨だ。
大量の金貨。あれだけの金貨があればここの在庫もすべてなくなるだろう。
「こ、こんなにですか。ありがとうございます。商品を用意しますので、少々お待ちください」
「うむ」
奥の倉庫に行こうとするライナスの元へ歩み寄る。
「ライナスさん、計算してきますので商品の用意の方をお願いします」
金貨を受け取り、声を落として。
「ゆっくりとお願いします」
こっそりと伝え、奥の部屋に入った。
店の奥にある応接室。
客に詳しく薬の説明をしたり、相談に乗ったり、時に休憩をするためのスペース。革張りの長椅子が二つと、間にローテーブル。
部屋の中で先ほどの金貨を確認する。
「やっぱり」
「どうかしたの」
一緒に入ってきたレジーナが覗き込んでくる。
「これ、偽金貨です」
「わーい逮捕。これで侯爵のあたしを見る目も変わるってものよ」
どんな目で見られているのだろう。
「でも、なんでわかるの?」
「少し軽いんです。ほんの少しですけど。表面だけ金で、内側は違う素材が入れられています」
素材の違いは錬金術師の目で見れば一目瞭然だ。
「な、なるほど……?」
レジーナは首を傾げながら、皇帝の横顔が描かれた金貨をじっと見つめていた。
「レジーナさんはここで待っていてください」
「はーい」
部屋を出て、先ほどの少女を呼びに行く。
「お客様、商品の説明をさせていただきますので、奥の部屋へ来ていただいてもよろしいですか?」
「うむ」
店内を物珍しげに見回っていた少女は、無邪気にノアについてくる。
こう見ていると本当にただの少女だ。とても偽造金貨を使うような人間には見えない。
(知らずに使っている? 使わされている?)
どちらにせよ、偽造金貨をこの街で流通させるわけにはいかない。彼女のためにもならない。
奥の部屋に通し、座るように促し、扉を閉める。
部屋の中にいたレジーナが扉の前に立ち、こっそりと鍵をかける。
ノアは少女の正面に向かい合うように座り、間に金貨の入った袋を置いた。
「大変申し上げにくいのですが、この金貨は偽物です」
「なにぃ? なぜわかる!」
まさかの最速の自白。
「ノア、わかったわ。この子バカよ」
「誰がバカか!」
「バカじゃないならお名前教えてくれるかな」
「ええい子ども扱いするな! 我はトルネリアじゃ!」
――トルネリア。
(どこかで聞いた名前)
しかもごく最近。
(確かファントムさんが、病気のことをトルネリアの呪いって言っていたような……?)
気になる記憶が甦ってくるが、いまは偽造金貨の方が問題だ。
「とにかく、この金貨では物はお売りできません」
「偽造貨幣はつくるのも使うのも犯罪なのよ、お嬢ちゃん。現行犯で逮捕します」
生き生きとした表情で手錠を取り出す。鉄の固まりがきらりと光る。
「悪人どもに捕まってたまるか!」
毅然とした声が響く。
トルネリアと名乗った少女は右手を高く掲げ、それを思い切り振り下ろした。途端、大量の白い煙が室内を満たした。
咄嗟に口と鼻を袖で押えたが、目も刺激され涙が溢れる。
ただでさえ視界が煙に覆われているのに、涙で滲んで何も見えない。
「何事ですか!」
部屋の外側からライナスの戸惑った声が聞こえてくる。
いつの間にか扉が開いていたようで、煙が少しずつ外へ逃げていく。
戻ってくる視界の中、トルネリアと名乗った少女の姿はいつの間にか消えていて、テーブルの上にあった偽造金貨もなくなっていた。
――逃げられた。
「誰が悪人よ! 正義の警察相手に! あのガキもう許さない。捕まえてぎったんぎったんにしてやるぅ」
床に這うように転がっていたレジーナが、咳き込みながら唸っていた。
「レジーナさんもう帝都に帰るじゃないですか……」
「あ、そうだった。間に合わなかったら仇討ちは任せるからね!」