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3-1 ワルツはうまく踊れない



 一介の錬金術師であったノアは、帝国軍元将軍リカルド・ベリリウス士爵の養女でありヴィクトル・フローゼン侯爵の婚約者、エレノア・ベリリウスとなった。

 書面上と社交界のみでの身分とはいえ、まさかまた貴族に戻ることになるとは。仮とは言え、侯爵の婚約者になるのなら仕方のないことではあるが。


 変わったことは他にもいくつかある。

 まず部屋が変わった。客室からヴィクトルの部屋の隣、女主人の部屋に移動になった。話がしやすくなったことだけはいいと思う。深くは考えない。




「今日はダンスの練習ですよ」

 メイドのアニラに言われてドレスに着替える。

 昨日は帝国語と歴史の勉強だった。

 侯爵の婚約者になって以来、淑女教育の時間が取られるようになった。

 アリオスは旧王国領だが帝都出身で高等教育を受けてきた人々も多くいるため、帝国語や歴史、地理など勉強はその人たちから習っている。ヴィクトルに教えてもらうこともあるが、彼は基本的に忙しい。


 淑女教育は楽なものではないが、ノア自身が学びたいと望んだことでもある。昔、王妃教育を受けていたこともあるので何とかついていけてはいる。

 このままつつがなく淑女教育を終わらせて、然るべき時に帝都に乗り込みたい。大きなトラブルなく、順風満帆に。

 そううまくいくはずもないのだが。




 二階の広間に行くと、そこにいたのはヴィクトルだけだった。ダンスを教えてくれる講師の姿はない。

「先生はまだいらっしゃらないの?」

「ダンスは私が教える」

「ヴィクトルが? お仕事は?」

「パートナーにダンスを教えるのも大切な仕事だ」

 実際に踊るのはヴィクトルとだけになるだろうから教わるのはいいのだが。早めに慣れておくことに越したことはない。


「さてノア、ダンスの経験は?」

「少々」

「ではワルツは?」

「ワルツ?」

 初めて聞くダンスの種類だ。


「特徴としては、三拍子なことか」

 ヴィクトルは窓辺に置いてあった三角形の小さな置物に手を伸ばした。中央に重しのついた針が付いている。

「これは?」

「メトロノームだ。設定した速さと拍子で音が鳴る」

 ヴィクトルが真ん中の針を動かすと、カチ、カチ、カチと三拍子で音が鳴り続ける。

 いまは便利なものができているものだと感心した。


「次は基本姿勢だが――」

 言いながら、ノアの前まで来て向かい合う格好で立つ。

(ずいぶん近いなぁ)

「失礼」

 ヴィクトルの右手が、ノアの左手を取って重ねられる。

 ヴィクトルの左手が、ノアの右腕と身体の間に滑り込み、肩の下の方に手が回る。


「なっ! どこ触って――近い近い!」

「これが基本の姿勢だ」

「嘘!」

「あなたに嘘はつかない」

「うそ……」


 こんな姿勢が宮廷ダンスであるものか、と思ったのに絶望しかない。

 ノアの知っている宮廷ダンスでは、触れ合うのは手くらいだった。それなのに、いまのこれは。

「右手を私の腕に」

 言われた通り、腕に触れる、が。


「こんな距離、夫婦か恋人同士でしかありえない」

「婚約しているのだから何も問題はない」

 それは書面の上だけだ。

「ワルツの基本はこの体勢でくるくると回ることだ。女性のドレスやストールが広がって、華やかな光景になる。足運びさえ覚えてくれれば後は私がリードする」

 抱き合った姿勢のままステップの説明を受けるが、心臓がざわついてなかなか頭に入ってこない。


 ひとまずひとりでステップの練習をしてみる。これはそこまで難しくはない。

 しかしパートナーと踊り始めた途端、足を踏む。

「ごめんなさい!」

「気にするな。痛くない」


 練習は続行され、身体をぶつけたり、足を踏んだり、脛を蹴ったりすること六回目――

「ヴィクトル」

「どうした」

「婚約者役降りていい?」

「もちろん駄目だ」

 にこりと笑って尋ねると、同じように笑って返された。



##



「ワルツ……本当に、いまはあんなダンスが流行ってるの?」

 街中を歩きながら絶望的な気分で呟く。

「ワルツはダンスの基本よ。他はともかくワルツが踊れないと始まらないわよ? あ、この焼き鳥おいしー」

 隣を歩いていた赤髪の女性が、屋台の焼き鳥を食べながら答える。緑色の瞳をきらきらと輝かせて。

「レジーナさん……」

 帝国警察遊撃隊所属レジーナ・グラファイトは、警察の制服姿のまま気さくに笑う。


「気にしないで踏んだり蹴ったりしてあげればいいのよ。喜んでるわよ、きっと」

「どこの世界にそんな物好きがいるんです」

「ノアは男心がわかってないなー」

 そんなもの一生わかりそうにもない。


「レジーナさん、ダンスが躍れるなら教えてもらえませんか?」

「やだ。侯爵様に睨まれる。あたしにできるのは帝国語での話し相手くらいよ」

 帝国語で話すようになると、レジーナは随分砕けた雰囲気で話してくれるようになった。

 飾らない言葉での会話は、正直に言って楽しい。

 気になることと言えば、帝都に帰らなくても平気なのかということくらいだ。


 ちなみにリカルド元将軍も帝都に帰らずに侯爵邸に滞在したままだ。いまはアリオス防衛隊を鍛えに鍛えている。訓練は厳しいそうだが、練度はめきめき上がっているらしい。

 客人が増えすぎたので、そして誰も帰る気配がないため、侯爵邸では男性使用人をひとり増やした。


「それにあたし、そろそろ帝都に帰るし」

「えっ?」

「ヤツの気配もないし、家をあんまり空けてられないし。ここにいても閣下に無理やり鍛えられちゃうし……」

「……そうなんですか」

「そんな顔しないの。帝都に来たらいっぱい遊んであげるから」


 レジーナはそう言ってくれるが、やはり寂しいものがある。

「楽しみにしています」

 帝都行きの楽しみが増えるのも事実だ。笑顔で送り出そうと決めて、笑う。

 レジーナは満足そうに微笑む。


「それにしても、何がそんなに引っかかるわけ? ステップはそのうち慣れるし」

「……距離が近すぎるというか」

「いいじゃない。恋人同士なんだから」

「恋人じゃないです」

「え。将軍の養女にしてもらってまで婚約したのに? 借金のカタに買われた系? 弱み握られた系?」


(そうかぁ……そういう風に受け止められるのか)

 わざわざ貴族の養女にしてまで婚約するのだから。恋人同士か、あるいは侯爵の執着と思われても仕方がない。

(ヴィクトルは覚悟の上なんだろうけど)

 婚約者役解消後にまともな縁談が見込めるのだろうか。

(まあ、ヴィクトルに口説かれて頷かないご令嬢はいないか)

 ノアが心配することではない。


「えーと、利害が一致したというか」

「ああ、そういう系。政略とか戦略とかなら頑張るしかないわね」

 あっさり言われる。頑張るしかないのはわかっているのだが。頭ではわかっていても、心や身体はうまく動かないことがある。理屈ではない。自分でも制御できない。


「それで、淑女教育サボってどこ行くの?」

 食べ終えた焼き鳥の包みをゴミ箱に捨ててから聞いてくる。

「サボってません。気分転換に仕事をするんです」

「うわぁ……」

 信じられないものを見る目を向けられる。

 そんな目を向けられるようなことは言っていない。たぶん言っていない。


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