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2-11 ふたりきりの夜



 森の中、岩場にあった洞窟に、横穴をつくって潜り込む。

 入った後は通気口をつくって入口を塞ぐ。中の光が漏れないようにだけ気を付けて。出来が自然かどうかは内側からではよくわからないが、夜の間ぐらいは誤魔化せるだろう。


 人工的につくった洞窟内の部屋。明かりを灯し、地面の一部を柔らかくし、湿気を飛ばし、シーツを敷いて、ヴィクトルを座らせる。かなり意識が朦朧としているのか、信頼してくれているのか、ノアの為すがままだ。

 二日ほどはあの状態だっただろうから、意識がはっきりしていなくても仕方がない。熱も出ている。

 衰弱はしていたが、幸いにも命を脅かす怪我はない。膿んだり悪化しないように治療だけを施す。


 真水を生成してカップに入れて、少量の薬と共に飲ませ、横に寝かせる。もう一枚、亜空間ポーチからシーツを取り出して冷えないように身体を包む。

 ヴィクトルの身体は冷え切っている。あたたかい食事をさせられればいいのだが、いまはきっと受け付けないだろう。


「…………」

 少しの逡巡の後、ノアはジャケットを脱いだ。ベストのボタンを外し、シャツの前のボタンをいくつか外す。シーツの中に潜り込み、冷たい身体を抱きしめる。

「ノア……」

「何も言わないで」


 黙らせて、更に密着する。恥ずかしい。恥ずかしいが。

「私も力が切れてきたし、これが一番効率がいいの」

「…………」

 無言で抱き寄せられる。

 そんなに寒いのだろうか。

 そして不思議だった。ぬくもりはお互いの体温だけのはずなのに、どうしてこんなにも暖かくなってくるのだろう。


「ニールたちはどうしている」

「ニールさんは商隊の助けを借りて先に帰ってきたわ。怪我をしていたけれど治した。他の護衛の人たちも保護されているみたいよ。いまは捜索隊が組まれて、バルクレイ伯爵邸にも向かっている」

「そうか……すまないことをした」


「あと、リカルド・ベリリウス士爵がいらっしゃったわ」

「来てくださったか。失礼なことをしてしまったな」

「まだいらっしゃるから直接謝って」

 困ったように笑う。一度しっかりと怒られればいいと思う。


 そして、少しだけ安心した。

 声の調子や雰囲気が戻ってきた気がする。体温が戻ってきて、落ち着いてきたのかもしれない。

「ヴィクトル。私、帝都に行ってくる」

「何を……」

「あなたをこんな目に遭わせた人と会ってくる」

「駄目だ!」


 強い声に驚く。

 ここまで感情を露わにする姿は初めて見た。

 だが、ノアも引けない。

「だって私のせいだもの。私がケリをつけてくる」

「あなたのせいではない」


「途中で会った錬金術師に誘われたの。彼についていけば、知りたいことはすべてわかるって。相手の正体を突き止めて――」

「絶対に駄目だ」

 ますます頑なになる。

「誰の差し金かはわかっている。行く必要はない」


「でもこのままじゃ――」

「こんなことは大したことではない」

 言い返そうとして、言葉が出なくなる。

 強く抱きしめられて。

「ノア。私にはあなたが必要なんだ」

 何も言えなくなる。




「ヴィクトル……」

 困る。

 本音を言えば、ノアだって行きたくはない。薬をつくったり、美味しいご飯を食べて過ごしたい。

 それでも行かなければならない。

 ファントムが言っていた王国の錬金術師のことが気になって仕方がなかった。


「なら、婚約者にして」

 抱きしめる力が一瞬緩む。

 ノアは顔を上げ、ヴィクトルの青い瞳をまっすぐに見た。

「婚約者として、あなたと一緒に帝都へ行く。前からそういうを話してたでしょう?」


「……本当にいいのか」

「うん。それなら、ずっと隣にいられるわ」

 帝都に行っても他の場所に行っても、隣に立てる理由になる。

 思わず笑みが零れるくらいいいアイデアだ。


 ヴィクトルの表情が微かに和らぐ。

 昂ぶっていた感情が落ち着いてきたのか、安心したのか、ゆっくりと瞼を下ろした。

「私は幸せ者だな」

 噛み締めるように呟いた。


「こんなにも気高く、美しい妻を得られるとは」

「仮の婚約者よ、婚約者の役!」

 本気で言っているのだろうか。それともそういう設定なのか。

 どちらにせよ、冷静な状態とはとても思えない。

 そしてどちらにせよ、完全な嘘とも思えない。


 ヴィクトル・フローゼンは帝国の侯爵であり、領主であり、滅びた王国の子孫であり、当主であり。

 そんな立場なのに彼は優しすぎる。そして自分自身のことは大切にしない。そして、孤独だ。

 彼と同じ場所から物事を見ることができる人はいない。


 それでも。

 同じ場所に立つことができなくても。

 同じものを見ることができなくても。

 近くで支えることぐらいはできるだろうか。

 ヴィクトルの行く道の果てがどこになるかはわからない。けれど、そこに辿り着くまではそばで守ろうと思った。



##



 朝日を受けた海が、きらきらと黄金色に光っている。

 潮騒の音色を聞きながら、海を見つめる。きれいだと思った。

 見惚れてばかりもいられないので、自分の仕事を進める。木の枝や、手持ちの火薬、昨夜の火事の燃え残りを集めて、火を着ける。狼煙だ。

「さて、届くかな」

 空に昇っていく白い煙を眺める。


 ヴィクトルに聞いたところ、バルクレイ家からバルトゥール監獄まで馬で半日ほどかかるらしい。

 合図にすぐに気づいてもらったとしても半日近くはかかる。すでにここを特定して向こうが動いていたらもっと早いだろうが。

 もしこの合図に気づいてもらえなくても、夫人がいなくなっていることはとっくに明らかになっているはずだから、遠からずここに誰かが来るはずだ。もし来なかったら、こちらから知らせに行けばいい。


 監獄は既に制圧してある。

 十二人いた私兵と二人のメイドを安眠効果のある香で眠らせた。夜通し火事の処理やヴィクトルの捜索で疲れ切っていた彼らに香は非常によく効いた。そうして平和的に拘束し、改造された豪華な寝室で眠っていたサンドラ夫人を確保した。


「海が好きなのか」

 再び海を眺めていると、背後から声を掛けられる。

「そうね。好きよ」

 夜の海はすべてを呑み込む黒い海だが、晴れた朝の海は生命の躍動を感じる。

 ふと気づけば、黒猫もノアと同じように海を見ていた。いつの間に。


 海はいくら見ていても飽きないが、とは言えいつまでも海ばかり見てもいられない。

 振り返り、ヴィクトルと視線を合わさる。

 監獄内の兵士から借りた服と長剣が、似合っているようで似合っていない。彼には少しちぐはぐだ。

 そしてどこか浮かない顔だった。


「すまない」

「どうしたの?」

 突然の謝罪に首を傾げる。

「あなたから預かったものを失くしてしまった」

「あ、イヤリング? いいわよ、もう使っていないものだったし」


 出かける際にお守りとして渡した宝石。昔は好んで使っていて、そのためいつまでも手放せないものだったが。

「そんなものよりあなたが無事でよかった。だから気にしないで」

 思い出より、生きている人間の命の方が大切だ。

 ヴィクトルの後ろに回り、背中を押す。

「そろそろ行きましょう。早く終わらせて帰りたいもの」


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