2-5 帝国警察遊撃隊のお仕事
出発を見送った後、ノアは中庭の端にある薬草園へ向かった。
元々は、侯爵邸の料理人でもあるニールが料理用のハーブを育てていたところを拡張してもらって、いっしょに調合用の薬草を育ててもらっている。ハーブにも薬効のあるものも多いのでちょうど良かった。
こまめに手入れされているようで、雑草はほとんど生えていなかったが、気づいたところの草むしりをする。
それが終わると、必要な薬草を採取。
今日は調査隊で減った薬の調合をすることに決めている。他の材料は研究室の在庫と、納品があったものを使えば足りるはず。
(薬効が高いのは液体だけど、販売する方は丸薬の方がいいわよね)
薬草とハーブを抱いて、一階の研究室に入る。元は倉庫だったところを譲ってもらった場所だ。旧王都の近くの森の中にも研究のための家があるが、最近はもっぱらこちらを使っている。
納品物を確認する。大型の木箱に入っていたのはハチの巣だ。蜜を絞っていない状態の、そのままのハチの巣。
アリオスの周りは森で、養蜂が盛んなため、新鮮で質の高いハチの巣と蜜が手に入る。
これがとてもいい薬になる。
それからノアは、アニラが呼びに来るまで食事も忘れて薬の調合を続けた。
朝食兼昼食を食べて一息ついて再び薬草園へ行こうとすると、レジーナと出会った。
中庭の芝生の上に寝転んで昼寝をしているレジーナを。
「あの、レジーナ様?」
もしかして具合が悪くなって倒れているのだろうか。心配して声を上げると、レジーナは顔に載せていた帽子を取って、ノアを見つめた。
「どうかした?」
顔色はいい。すこぶるいい。
「いえ、何をされているのかと気になって」
ふふん、と鼻を鳴らす。
「警察というのはね、事件があるまで暇なんですよ。特に遊撃隊は仕事のない部署ですから」
部署があるのに、仕事はない。
(……仕事をさせないための部署? まさかそんな無駄なものがあるはずない……ないよわね?)
首を横に振る。あるはずがない。
「だから、事件が起こるまで英気を養っています。いちおう、事件はないか探してみたんですよ? でもこの街平和すぎて。牛泥棒がどうとかそれくらいしかなくて」
「錬金術師とかを探しに行かなくてもいいのですか?」
「街を歩いて偶然見つかるものじゃないですよ。相手もそんなに馬鹿じゃない」
「そうなんですか……」
なんだろうこの感情。馬鹿と言われたからだろうか。腹の底がもやもやする。
「です。休暇と思ってゆっくりしますよ」
仕事がないのに休暇がある。まるで暇な貴族だ。
「それではレジーナ様。お茶を淹れますので、帝国のお話を聞かせていただいてもよろしいでしょうか」
「仕方ありませんね。このあたしが特別に教えて差し上げましょう」
起き上がって、全身についた草を払う。
炎のような赤い髪をふわりと揺らして。
茶会は中庭に面したテラスで行うことにした。
キッチンに行って手早くお湯を沸かし、茶葉を用意して、ニールが作ってくれていたクッキーを拝借する。
「あら、おいしい」
ノアの淹れた紅茶に、レジーナは感嘆の声を上げた。
「よかった」
自分のためによく紅茶を淹れていたので、味には少し自信がある。
茶葉も侯爵家だけあっていいものが揃っている。茶器も。この家に足りないのは住み込みの使用人くらいのものだ。
「ところでエレノア様は侯爵閣下とはどのような関係で?」
「遠い親戚です」
前回と同じ内容を繰り返す。
「それだけ?」
「はい」
あまり突っ込まれるとどう答えたものか困るので、レジーナに話してもらうことにする。
「レジーナ様こそ侯爵様とどのようなご関係なのですか?」
「大学の同期です。侯爵閣下はそれはまあ優秀な御方で、それが気に入らないやつらもたくさんいたんですが、全部、ぜーんぶ返り討ちにしていました。頭でも、力でも。まったく、綺麗なお顔してどこにあんな力があるんだか! それでついたアダ名が『灰色の悪魔』なわけです」
(灰色の悪魔……)
紅茶を飲みながら、不吉な名前を心の中で繰り返す。
最初に言っていた悪魔とは、ヴィクトルのことだったようだ。
その言葉選びは間違ってはいないと思った。ノアも最初は彼が怖かった。
「灰色の悪魔に手を出したものは呪われ、魂を喰われると評判でしたよ。悪魔は今度は何を喰らうおつもりなのか、ね?」
「それは……」
(そんなことはない、と思う)
彼が怖いと思ったのは、強いからだ。
あまりに強い力を怖いと思った。けれどいまは。
怖いだけではない。
「貴女も、愛人だか恋人だか片思いだか知りませんが、深入りしない方がいいですよ」
「ご安心を。そういう関係ではありませんから」
「レジーナ様ってどんなお仕事をされているんですか?」
「いままで一番大変だったのは、穴を掘って埋める仕事ですね」
「……穴に、何を?」
「何も? ただ穴を掘って、自分で埋める。この繰り返し。これが意外と精神的にキツイんですよ」
(仕事とは……?)
そんな生産性のない仕事が存在してもいいのだろうか。
この世の仕組みは複雑すぎて、ノアにはよく理解できない。
レジーナは机に突っ伏す。
「あーもー、働きたくない。働かずに生きたい。ちょっと犯人取り逃がしちゃったり証拠品失くしちゃったり賄賂受け取ったぐらいでさぁ。遊撃隊なんて掃き溜めに飛ばされちゃうなんてさぁ。あたしの人生ツイてない」
「…………」
レジーナの呟きの内容はよくわからなかったけれど。レジーナの生き方はなんというか、こちらが焦ってくる。
なんだか、これ以上話していると引きずられそうで怖い。
そろそろ切り上げようと考えていた時。
「なんだなんだァ! せっかく来てやったのに留守だとぉ!」
玄関ホールの方から落雷のような怒号が響いた。
「あたしに言われましてもー!」
アニラの泣き声が響く。ノアは急いで中庭から玄関ホールへ移動する。
「そりゃちっとばかし遅れちまったが。クソ!」
玄関ホールで応対するアニラの前に、大きな影。
がっしりと鍛えられた熊のような肉体。
立派な髭を蓄えた、壮年の男性。眼光の鋭さは猛禽類を思い起こさせる。
「ええーっ! あの方は伝説のリカルド将軍閣下! どうしてこんな辺境に」
ノアの後ろに隠れながら、レジーナが驚きの声をこっそりと上げる。
こんな辺境、という言葉は気になったがもっと気になる言葉があった。
「将軍閣下?」
「ええ。帝国第四師軍の元将軍よ。残っている武勇伝は何十、いや何百、いえ何千――」
リカルドと呼ばれた壮年の男性は、こちらに気づいてノアを見た。
目が合うと、にやりと笑う。射すくめられそうで、だがどこか愛嬌のある表情で。
視線は後ろのレジーナに移る。
「その制服、お前は警察か」
問いながら、ゆっくりと近づいてくる。
「あ、はい。帝国警察遊撃隊所属レジーナ・グラファイト警部です」
ノアの背中に隠れたまま答える。
丸太のような腕が、レジーナの腕を捕まえた。
「遊撃隊か、なるほどな。ちょうどいい。あいつが帰ってくるまで特別に鍛えてやろう」
「ひえっ? あ、あたしは休暇中の路傍の石でしてー」
ずるずると中庭へ引きずられていくレジーナを、必死で助けを求める視線を、ノアは見送ることしかできなかった。
「あの方は?」
アニラに問う。
「昨日来られるはずだったお客様、帝国軍の元将軍リカルド・ベリリウス士爵です。ああ、お客様がたくさん……ニールさん早く帰ってきてくださいー」
「落ち着いてアニラ。私も手伝うから」
そして、怒涛の三日間が過ぎた。
帰還予定の日になっても、ヴィクトルは帰ってこなかった。
(遅い……)
夕暮れの空は血で染めたように赤く。
(まあ、少し遅れるなんてよくあることたんだろうけど)
向こうで盛り上がって、出発が遅れたのかもしれない。道中でトラブルがあったのかもしれない。
きっと大したことはない。
自分に何度も言い聞かせて、それでも万が一のときのために、いつでも探しに行けるように準備を進める。
重傷を負ったニールが、商隊の馬車に乗せられてひとりで戻ってきたのは、翌日の昼過ぎのことだった。






