2-3 侯爵邸に嵐来りて
街の中央にある侯爵邸に辿り着いたノアは、使用人用の入口から中に入る。
「おかえりなさいませ、ノア様」
ドアを開けたらメイドのアニラが立っていた。
ウサギの耳が特徴の可愛らしいメイドだ。ノアが帰ってくるのを音で気づいていたのだろうか。
「はいはーい。お客様がいらっしゃいますので、ドレスに着替えてくださいね」
ほとんど強制的にノアがいつも使っている客室まで連れていかれる。
以前採寸してつくった専用のドレスに、慣れた手つきで着替えさせられる。ノアの好みが考慮された、シンプルで動きやすい装飾の少ないドレス。
「ヴィクトルはいる?」
髪をセットされながら問う。
「旦那様は応接間にいらっしゃいますよ。あ、もう終わったみたいですね」
ノアが聞こえないものが聞こえているらしく、窓から外を覗く。
客室の窓からは、正面玄関を見ることができる。アニラと並んで外を覗くと、玄関の前にはやたら立派な馬車が停まっていた。
(貴族?)
商人という可能性もあるが、順当に考えれば貴族だろう。
馬車の前にいるのは、豪奢なドレスを着て、髪を結い上げた女性だ。三十代半ばくらいだろうか。いるのは女性と従者だけで、ヴィクトルの見送りはない。
貴族女性は視線に気づいたのか、顔を上げてこちらを見てくる。
ぞっとした。
復讐相手を見つめるような、怨念をも感じる表情で睨まれる。初対面に間違いないはずなのに。
「うひゃあ、怖いですねぇ」
歯に衣着せぬ悲鳴。素直なのはアニラの美徳である。
幸いこちらからの声は相手には聞こえなかったようで、女性はそのまま護衛と共に馬車に乗り込み、侯爵邸を去っていく。
「いまの女性は?」
「サンドラ・バルクレイ先代伯爵夫人です」
「バルクレイというと、お隣さんだったっけ」
帝国の地図を見せてもらったとき、そんな説明を聞いた覚えがある。
「そうそう、そのとおりです」
アニラはきょろきょろと周囲を見回し、耳を向け、誰もいないことを確認してから、こっそりと話してくれた。
「うちの旦那様のことが大好きみたいなんです」
「それはそれは」
驚きはしない。ヴィクトルは顔が整っている。体格にも恵まれ背が高く、そしてどこか危うげな雰囲気がある。年上からも年下からも好意を寄せられる容貌だ。
「あ、そうだ。ノア様が頼まれていたものが納品されていますよ。研究室に置いていますからね」
「うん、ありがとう」
アニラが片づけをして部屋から出ていく。
ノアもヴィクトルを探すか、研究室に行くため部屋を出ようかと思いながら、走り去っていく馬車を眺める。
その時、馬車とすれ違うように、また別の人間が敷地内に入ってきたのが見えた。
赤い髪が印象的な若い女性だった。二十歳前後ぐらいだろうか。男性のような黒い軍服を着て、颯爽と肩で風を切る姿が目に焼き付いた。
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階段を下りて、一階の玄関ホールに向かう。一階は公的な場である側面も強い。
領主の執務室は、侯爵邸の一階の中央。領の管理をする役人が仕事をしている大部屋の隣にある。書斎とはまた別の、公的な仕事のための部屋だ。
執務室の前に廊下に、赤髪の女性が壁に背を預けて立っていた。
女性はノアに気づくと、カツカツとヒールを鳴らしてノアのところへ歩いてくる。
一言、帝国式挨拶。
ノアがすぐに反応できなかったことに気づくと。
「こんにちは」
王国語の挨拶に切り替えた。
「こんにちは」
「あなたがベルナデッタ様ですか?」
「いえ、私はフローゼン侯爵の遠縁で、こちらへ勉強に来ている身です。エレノアと申します」
嘘は言っていない。
名前も貴族風に少しだけ長くする。本名ではないが、昔よく呼ばれていた愛称だ。
「申し遅れました。あたしは帝国警察のレジーナ・グラファイト」
警察――軍隊か、自警団のようなものだろうか。
ベルナデッタはヴィクトルの妹の名前。レジーナと名乗るこの女性は、ヴィクトルのことをよく知っている人物なのかもしれない。
「悪いことは言いません」
レジーナは勝気な笑みを浮かべる。優位性のある立場から見下ろしてくる微笑みだ。
「悪魔にはできる限り関わらない方がいいですよ」
「悪魔?」
「その魂を喰われてしまうでしょう」
(……何を言っているんだろう、この人)
いきなり悪魔と言われても、悪魔と関わった記憶などないのだが。
「ちょうどいい。貴女にも同席してもらいましょう」
勝手に決めて、勝手に領主の執務室の方に歩いていく。案内もないのに堂々とドアを開ける後姿に、ノアは冷や汗をかいた。
「失礼。帝国警察遊撃隊所属レジーナ・グラファイト警部です」
勢いよく飛び込んだ執務室の中には、ヴィクトルと領管役人がひとり。
ふたりとも、突然の侵入者に呆気に取られている。
レジーナの無作法に。
そして連れてこられてしまっているノアに。
(いたたまれない……)
身体を小さくするノアとは対象的に、レジーナは胸を張って座ったままのヴィクトルを見下ろす。
「お久しぶりです。ヴィクトル・フローゼン侯爵閣下」
(知り合い?)
知り合いだからこんな傲岸不遜な態度なのだろうか。
ヴィクトルは役人を下がらせ、座ったままレジーナに視線を向ける。
「ようこそグラファイト警部。辺境までよくぞ来られた」
「こちらにきて驚きました。アリオスの空は赤いと聞いていたのですが?」
「そんな時もあったな。その原因も、青く晴れた理由もいまだ不明だが」
「そうなんですか。不思議なこともあるものですね。まあ、空は青いのが普通ですし」
ふわり、と赤い髪をかき上げる。
「あたしがここに来たのは、アリオスに錬金術師がいると報告があったからです」
「それはそれは。ご足労いただいたところを申し訳ないが、こちらにはそのような報告は上がってきてはいない」
「空の色が変わったのも、錬金術師の仕業では?」
「ふむ。それは面白い推測だ。もし錬金術師が実在するのならば、ぜひ一度お会いしてみたいものだな」
息をするように嘘を言う。
(どうして私はここにいるんだろう……)
居場所を見失っていると、レジーナがくるりと振り返って緑の双眸でノアを見据える。
「エレノア様、貴女は? 錬金術師を見たことは?」
レジーナの迫力に押されて、一瞬息が詰まる。
「私ですか? えっと、それはいったいどのような方々なのでしょうか?」
「とにかく怪しいやつです」
「怪しい……?」
「怪しい術を使うのだから怪しい人間に決まっています!」
「そうなんですか……」
なんて具体性のない。
「申し訳ありませんが、思い当たりません……」
この状況で名乗り出る気にはとてもなれない。
しかし、だいじょうぶなのだろうか。この警察という組織は。
怪しいの基準が主観によるものな上、曖昧過ぎる。怪しいというだけで容疑をかけていたら収拾がつかなくなるだろう。
何故かこちらにまで疲労が押し寄せてくる。
レジーナは「ふむ」と頷き、再び椅子に座ったままのヴィクトルに力強い視線を向ける。
「侯爵閣下。捜査のためにしばらくこちらに滞在させていただいても?」
「ああ、ご自由に。しかしあまり勝手に屋敷内を歩かれても困るので、行動範囲は指定させていただく。ご了承願えるだろうか」
「ええ、もちろん」
「捜査とやらは自由に行っていただいて構わないが、市民に迷惑をかけることだけは遠慮願いたい」
「もちろんですとも。帝国警察はすべての帝国民の味方ですから!」
かくして嵐はしばらく滞在することとなった。






