2-1 空の玉座
滅びた王都の廃城の、地下深く。
歴代の王が眠る霊廟のさらに奥に、その玉座はあった。
「これが空の玉座か」
暗闇の中で青い燐光――錬金術の光に照らされた、石造りの玉座を階下から見上げて、銀髪の青年は興味深そうに笑みを浮かべる。
ヴィクトル・フローゼン侯爵。
世が世なら王として君臨した男。王国が滅びたいまは、帝国の貴族として元王国の地を治める領主。
「儀礼的な意味合いで作られたものだと思うけれど、少し気になって」
ノアは自分の金色の髪を耳にかけながら、同じように玉座を見上げる。
侯爵をわざわざこんな奥深い場所まで連れてきたのは、観光案内をしたかったからではない。
「最近まで誰かいたような気配がするの」
「ほう。おもしろい」
馬鹿げた話を、ヴィクトルは本当に面白そうに聞く。
そして、ノアの耳元で囁く。
「かの遠征王ではないのだな」
周りの調査員に聞こえないように、という配慮はわかるが距離が近い。
三百年前の王がついこの間まで生きていて、それをノアが倒したのはつい最近の話で、いまはまだ秘密の話。
「まあ、サイズ的に。あの大きさでこの通路は通れないでしょう」
少し距離を取って答える。
「ずいぶん常識に囚われた考え方をするじゃないか」
「論理的思考よ。それに、ひとつの事実だけを見て決めつけるのは思考停止」
もう少し距離を取り、通常の距離感に戻る。内緒の話はもう終わり。
「座ってみる?」
「やめておこう。亡者の妄執に囚われかねない」
玉座の間を出て、霊廟の広間に戻る。
錬金術の光によって照らされた、広大な地下空間。壁と床は白い石造りで、石の台座が等間隔にいくつも並べられている。最奥の祭壇らしき場所には棺が四つ。
始祖王からの王国の霊廟。
厳かな空間の天井には大きな穴が開いていた。
穴の表面は固められて崩れないようになっており、穴の壁を沿うように階段がつくられている。
あちこちで、城郭都市アリオスから来た調査員が記録を取ったり測量をしている。そのほとんどが獣人――身体のどこかに獣の特徴を持つ人間だ。
「旦那様、そろそろお時間が」
ヴィクトルの影に控えていた、頭に二本の角を持つ黒髪の男性――ニールがそっと声をかける。
「もうそんな時間か」
ヴィクトルは残念そうに息を吐いた。
「名残惜しいが、これから来客がある」
「うん、気を付けて帰って」
見送りの言葉を言ってその場を離れようとすると、すぐさま呼び止められた。
「ノア。今日は帰ってきてもらえないだろうか。久しぶりにゆっくりと話がしたい」
「気が向いたらね」
ヴィクトルは苦笑し、階段を上って帰っていく。従者のニールとともに。
ノアはその姿を見上げながら、小さなため息をついた。
頭が痛い。
ヴィクトルが言い出す改まった話は、大抵がややこしいものだ。雇われている身だからあまり文句も言えないが。
「さて、お仕事お仕事」
ノアの仕事はいまのところ旧王都の調査である。少し前までは一人でやっていたが、いまは調査員も増員されているので賑やかだ。
すでに人員は足りている。ヴィクトルからは別の仕事の打診も受けているが、いまはまだ保留にしていた。
甘えだとわかっていても、いまはまだこの旧王都で過ごしたい。
「ノア様! 大変です、怪我人が出ました!」
穴の上から切羽詰まった声が響く。
「いま行く!」
怪我人は城の西側の、城壁の下にいた。
人間の耳と犬のような耳が生えている、四耳族の獣人の青年が、足から血を流して倒れてた。
作業中に木の根で足を滑らせて、切り立った崖から落ちたらしい。
幸い高さはあまりなかったが、下に崩れた城壁の一部が落ちていたのが不運だった。
ノアは集まった調査員の手を借りながら、慎重に崖の下に降りる。軽々と移動できればいいのだが、残念ながら運動神経はあまりよくはない。そして長い年月で森に飲み込まれた旧王都は、足場が悪い部分が多い。
無事怪我人のもとに辿り着くと、すぐそばに膝をついた。
身体の中を、診る。
集中し、身体の内側へ意識を潜らせる。
(頭はだいじょうぶ)
落下の衝撃で気絶しているが、頭はぶつけただけで中の損傷はない。たんこぶ程度だ。他の部分の修復に移る。
左大腿部の太い血管に裂傷あり。千切れた組織を繋ぎ合わせて出血を止める。腰のポーチの中の亜空間から取り出した清潔な布で、怪我の部分を縛る。同時に皮膚も繋ぎ合わせる。切り傷と違って組織がえぐれているため、なかなかきれいには出来上がらなかったが。
最後に地面に染み込んでいる血液の成分を、身体の中に戻す。
怪我人の身体の内部から、視線を外す。
「応急処置は終わり。安全なルートで治療院に運んで。私は先に行って準備しておく」
「あ、はい!」
運搬は調査員たちに任せて、脚力を強化して坂を登り、通常ルートへ戻る。
治療院は城のある丘の下。
転ばないように気をつけながら、道を下る。通路はかなり整備が進み、木や根の除去が行われたため歩きやすくなった。
慌てなければ転ぶようなことはない。
ノアは息を切らせて、元からあった建物を改造してつくった診療所に入る。
誰もいない。いまは入院患者がいないので、助手もいない。いるのは昼寝中の黒猫一匹だけ。
あるのは施術室と、患者を休ませるための部屋だけ。ベッドは四つ。
施術室のベッドを整えていると、先程の患者が運ばれてきた。
患者をベッドに寝かせて、他の人間を診察室から出す。猫も。
(さて、と)
広くはない、清潔な部屋に患者と二人きり。
「名前は言える?」
返事はない。まだ気絶中。
脚には巻いていた血が滲んだ布を取る。怪我の周りの服を切る。貼り付いた布を剥がしていく。出血はほとんど止まっていた。
すべての処置で手で何の道具も使わずに。導力だけを使って。
荒く繋ぎ合わせた皮膚を、もう少し丁寧に繋げる。足りない皮膚組織は患者の別の場所から持ってくる。
骨折が三ヶ所。骨を繋ぐ。
負傷したときに体内に入った余計なゴミや生物を分解。
(修復終わり)
急ぎの人体修復は終了。あとは患者自身の生命力で治る。しばらく痛み、熱が出たりするだろうが、治るための痛みだ。耐えてもらいたい。
患者の頬を軽く叩く。
患者がゆっくりと目を開いていく。
目覚めた患者の手を握る。
「はい。これでもうだいじょうぶよ。落ち着いたらアリオスでゆっくり休んで、元気になったらまた戻ってきてね」
「ノア様……あなたは聖女様だ……」
「聖女ではないです」
意識が朦朧としている相手でも、きっちり否定はしておく。
どうせなら医者と呼んでほしいのに、どうしていつも聖女扱いなのか。そのどちらでもないけれど。
聖女なら、神の力でどんな傷も跡形もなく治せる。そんな奇跡はノアには使えない。限りなく近づけることはできても、似ているだけで同じではない。
ノアは錬金術師だ。
それも三百年前から来た、滅びの王国の錬金術師。






