1-26 不死の王
(歴代の王に申し訳ない……)
穴の中から思う。
王が眠る場所には、破壊の爪痕が至るところに残されていた。天井には穴が開き、壁と床はへこんでいる。
「無茶のし過ぎだ」
ヴィクトルが穴の底のノアに手を伸ばす。
その手を取り、引き上げてもらう。
軽く見たところ、ヴィクトルもニールも大きな怪我はしていないようだ。もう少し詳しく見ようとしたとき、聞き覚えのある声が下から響いた。
『エミィ……エミィ……』
迷い子が母を探すような。
『エミィ……エミィ……』
悔恨の嘆きが。
響きが繋がり、重なり、重い澱をつくる。
気配がする。
先ほどトロールが出てきた、霊廟の奥の通路から、声の主が近づいてくる。
青い燐光に映し出された影を見て、笑みが零れる。笑うしかなかった。
「久しぶりね、アレクシス」
その姿は異形の肉塊。
アレクシス・フローゼン。王国の四代目の王。
貪欲で悪食の王は、力ある命を食べ続けて異形のものとなった。
隠し部屋に残されていた標本は王が取り込んだものの一部。
世界中の神聖生物や怪物と呼ばれるもの。
王は無数の心臓と、不死性の竜の力を取り込んで、霊薬がなくとも不死の存在となった。
そう、日記には書かれていた。
アレクシスの身体は人間の部分を保っておらず、身体の表面には無数の手足が生えて、虚空をつかもうと蠢いていた。
肉塊の一部が時折膨らみ、揺れ、中から肉塊が零れ落ちる。
それは怪物だ。
アウラウネの幼体。鳥キメラの一部分。危険種、あるいは錬金獣と呼ばれているキメラが、アレクシスから産み落とされ続けている。すでに死んだ状態で。
死んで生まれた失敗作を、新たに生まれたものが、運よく命を持って生まれたものが、捕食する。喰らいつき、飲み込み、その途中で死ぬ。
――なるほど。
理解したくないが理解できた。こうして生まれ、生存競争の中で生き残ったほんの僅かな個体が、王都の守護者として滅びた都を徘徊しているのだ。
――エレノアールを探しながら。
「あれが遠征王なのか……?」
おぞましさに眉根を寄せて、ヴィクトルがうめく。先祖に挨拶という状態ではない。
「そうね。カイウスに殺されたのではなく、封印されていたみたいね」
そして三百年、地下深くにいた。
愛しい妻を渇望し、エレノアールを探しながら。
ノアは思ったより穏やかな気持ちでアレクシスと向き合えていることに気づいた。
出会った瞬間、問答無用で襲ってくると思っていたが、襲ってこない。
「アレクシス、私がわかる?」
再び声をかけるも、反応はない。
言葉を交わしてみたかったけれど、いまのアレクシスには届きそうにない。
ただ、その意識はノアに釘付けになっていることはわかる。
目の位置なんてわからないけれど。視線は感じる。
苦笑する。
そんな熱い眼差しで見られたことなど、一度だってない。
「私じゃないでしょう?」
そんな瞳で見つめたいのは。
三百年という時間は、そんな大切なことを忘れるほど長かったのか。もうとっくに正気はないのだろう。
ノアは棺のもとへ行き、梱包を解き、その蓋を開ける。
ふわりと、花の香りがした。
『オ、オオ……オオオオォ』
城郭都市アリオスから王都の地下まで、手荒く運ばれてきた棺の中には、金髪の娘が眠っていた。
白い肌、白いドレス、周りを埋める、白い花。
閉じられていた娘の瞼がかすかに震え、ゆっくりと開かれる。
赤い瞳。
ノアと同じ顔をした娘は、棺の中で起き上がる。
聖女と呼ばれ、王妃と呼ばれた、ノアの片割れ。エミリアーナ。
「アレク様……」
初雪のような儚い微笑みが、アレクシスに向けられる。
『エミィ……エミィ……!』
アレクシスの声が明らかに喜びを帯びる。全身をわななかせ、ゆっくりと、ゆっくりと、棺のもとへ近づいていく。
(ああ、やっぱり。やっぱりエミィだけなのね)
ノアは苦笑した。
憧れだったのか。執着だったのか。意地だったのか。恋だったのか。名前の付けられなかった気持ちを、これでようやく整理できる。
「アレク様……」
アレクシスから伸びた無数の腕が、エミリアーナを抱きしめた。
そして、食べた。
肉塊にぽっかりと開いた穴の中に、エミリアーナを飲み込んだ。
アレクシスの身体が大きく痙攣する。
びくびくと、ひどくもだえ苦しみ、それでも吐き出すことはなく。
床を掻きむしり、己を掻きむしり。裂き、捨て、倒れ。
それでも吐き出すことはしない。口を強く押さえ込み、健気に耐える。
――神経毒。それがノアの選んだ手段だった。
毒は薬にもなる。いままで集めたありとあらゆる毒薬の中から、神経伝達を阻害する毒を厳選して詰め込んだ。
ただ切ったり突いたりして殺すだけでは、心臓をすべては止めきれない。だから、神経伝達を殺して心臓を麻痺させて殺す。
つくっている間はなんて悪趣味なものをつくっているのかと自虐気味になったものだが。
『エミィ……エミィ……』
アレクシスはそれしか言わない。
苦しげな声も、恨み言も、何も言わない。ひたすら純粋にその名を呼ぶ。
その姿はノアの瞳には、いっそ安らかに見えた。
アレクシスはようやく手に入れたのだ。何でも手に入るはずの王が、唯一取り戻せなかったものを。ずっとずっと欲しかったものを。
心臓が止まる。
肉塊のなかにある無数の心臓がすべて。
「さようなら」
肉体が死んだ刹那のタイミングで、呪素で魂と肉体の繋がりを無理やり切る。
全身を切り裂かれるような痛みが走る。
(こんな痛み――!)
アレクシスの身体が弾けた。緑色の体液を大量にまき散らして。
ノアは薄く強い、卵の殻のような防御壁を張る。降り注ぐ毒液を被らないように。
王が滅びる。
王が生んだキメラも砂と化していく。死骸もすべて、最初から何もなかったかのように消えていく。
三百年以上生きた王の最期は、あまりにも静かで、呆気なかった。
消えていく砂の中に足を踏み入れる。
赤い宝石の欠片が、砂に埋もれて鈍く輝いていた。