1-24 滅びの王国へ
翌朝、砂糖とミルクのたっぷり入ったコーヒーを飲んで、気合充分でヴィクトルに用意してもらった、一階の使っていない倉庫に入る。
中に残っていた不用品は別の場所に移した。いまここにあるのは作り付けの棚と大きい机だけ。
少々暗くはあるが、雰囲気充分、広さも充分。
「久しぶりの大型調合ね」
万能薬を作った以来かもしれない。
一日目。設計と材料の計算。森の研究室からの器具の移動。
二日目。材料の購入と下処理。
三日目から本格的な調合を開始。食事も睡眠もほとんど取らず。
六日目の深夜に完成。
ベッドで一休みしようとしたら丸一日寝てしまったので、七日目は休息日となった。
「さて」
計画開始から八日目の、朝。
魂と睡眠時間と体力と精神力を大量に消耗して、ついに出来上がった。最高傑作とは言いにくいが、それなりに仕上がりには自信がある。
ノアの前の床には立派な棺が横たわっている。
棺は木材を買ってきて製作した。目立つことこの上ないので他の形状にしたかったが、結局これが一番しっくりきてしまった。
中身が飛び出さないように蓋はしっかりとしてある。
さて、この目立つ荷物をどうしようか。
(どうして何も考えていなかったのか……)
思いついたとき、製作しているときは夢中で、移動のことをまったく考えていなかった。己の浅はかさが恐ろしい。
侯爵邸の敷地内はゴーレムでなんとかなるのでともかく。
問題は街中と門だ。
「ゴーレムで運ぶ……却下却下」
ヴィクトルにあそこまで言われていて、街中でゴーレムを動かすのはまずい。
特に門。馬車を調達するのが現実的か。夜にこっそり馬車で移動して。
「門番はちょっと気絶してもらって」
「物騒な計画を立てているじゃないか」
「ひえっ」
突然後ろからかけられた声に思わず悲鳴を上げる。
急いで振り返ると入口の扉がいつの間にか開いていて、ヴィクトルが立っていた。その背後には影のようにニールが控えていた。
気配を消して背後に立たないでほしい。
そして何故ふたりとも武器を携帯しているのだろうか。賊でも入ったのか。
「出かけるのか」
「うん、ちょっと実家に」
「その荷物は」
「お弁当」
「随分と気合の入った里帰りだ。私も挨拶をさせていただこうか」
「えっ? ちょっと? あなた私のなに?」
冷静に考えれば、遠い遠い、他人同然の親戚。
(いや、そういう問題じゃない)
今回の王都行きばかりはひとりで行くつもりだ。
「今日は私ひとりで行くわ。危険だから」
「それを聞いたら尚更ひとりでは行かせられないな」
ヴィクトルはどうしてもついてくるつもりだ。振り切れる気がしない。導力で力ずくで気絶させてしまおうか。
「ニールさんこの人を止めて」
影のように控えているニールに助けを求める。ニールも主人の無謀な行動には気を揉んでいるはずだ。
「ノア様申し訳ありません。それは俺にも無理なのです」
孤立無援。
「荷物は俺が背負いましょう」
(やさしくしないで)
親切にされると困る。手が鈍る。
ニールは慣れた手つきで棺を縄と布で梱包し始める。ちゃんと背負えるように腕を通す部分もつくって。侯爵家の従者とはこれぐらいお手の物なのだろうか。
「おや、意外と軽いですね」
背負って立つ。大柄な体躯のおかげか、布で包まれているからか、床に置いていた棺そのものの時よりも、異様さは薄れている。
「中身はスカスカなので」
「いったい何が入っているんだ」
ヴィクトルが訝しげな目で見てくる。
視線から逃れるように目を逸らす。
「開けてからのお楽しみ。それじゃあニールさん、外に出たらゴーレムを作るので、そこまでお願いします」
街の外までの運搬問題は解決したが、本当の問題はここからだ。
(どうやってふたりを振り切るか)
ふたりについて歩きながら考えた計画はこうだ。
一緒に城壁の外に出て、ゴーレムを作り次第、ふたりを気絶させる。
すぐに派手な音を出して兵士を呼び寄せて、ふたりを回収させる。
しかしこれだと暗殺者がまたやってきていたら、ふたりも兵士も危険に晒されることになる。
(……却下)
そもそもヴィクトルはノアの目的を知っている。気絶させて撒いたところで結局最後は追いつかれるだろう。
それならいっそ同行してもらって、危険なときはノアが守ったほうがいいのでは?
(どちらかと言うと、守られているのは私だけど……)
「もうどうにでもなれ」
小さく呟き、顔を上げる。いつの間にか西の門に近づいてきている。
もう悩んでいる時間はない。
――危険だと何度も何度も忠告した。
言って聞かないのならもう止めない。子どもではないのだから。
迷いを振り切ってしまえば、道行きはとても平和でスムーズなものだった。
門番たちに見送られながら外に出て、森の中でゴーレムを組み上げて棺を乗せ、自分たちも乗る。天気は良好。空も赤く晴れ渡っている。
暗殺者も出ない平和な道だ。
今日は人数が多いから襲撃をやめたか、それとも一向に暗殺が成功しないため諦めたのか。
(諦めてくれればいいな)
ゴーレムの上で風に揺られながらぼんやりと思う。誰であろうと人が死ぬのは見たくない。
そうしている内に王都の姿が見えてくる。
――旧王都、と都市の人々は呼ぶ。
だがノアにとってはまだ王都だ。何故ならまだ王がいる。民のいない、滅びの王が。
##
王都の中に入ってからは、ゴーレムに改良を施す。
関節の数を増やして柔軟性を持たせ、バランスを取りやすくして、悪路対応型にする。ここから足場の悪い道を通って丘の上まで登るための必要な改良だ。
ノアが調整する様子を、ニールが興味深そうに見ていた。
「ゴーレムというものは便利なものですね」
「褒めて。もっと褒めて」
「そうですね……割と乗り心地が良く、疲れ知らずで、力もあって」
「うんうん」
もっと聞きたい。もっと褒めてほしい。
「俺は好きですね」
「ありがとう!」
嬉しい。嬉しすぎて自然と笑みが溢れ出す。
「本当に好きなのだな」
周辺の様子を探っていたヴィクトルが感心して言う。
「もちろん。錬金術師だもの!」
邪魔が入らない行程は快適かつ迅速だ。
市街地を抜け、森と一体化している坂を緩やかに登っていき、開けた丘の上に到着する。
ノアは城に近づく前に再度ゴーレムを組み直した。荷物の棺の運搬に特化したサイズに。大きさ的には小型の牛だ。
ここからは、不測の事態に対応しやすくするためにも人間は徒歩だ。
歴史という大いなる時間の流れを受けながらも、それに飲み込まれなかった偉大なる王国の城。
城門には木の根が絡まり、そこから伸びていく壁にも根や枝、木が絡まっている。
中央広場の真ん中に、尖塔を持つ王城がそびえ立っていた。
入口の扉は開かれている。
奥は何も見えない。差し込む光はすべて飲み込まれて。
大きく開いたままの口の中へ。
暗闇が息づく場所へ、足を踏み入れた。
そこは墓場だった。本来はホールだった場所が、貴族で賑わっていた場所が、無惨な墓場と化している。
管理のされていない、死者が打ち捨てられたままの。
破壊された人間の骨がそこら中に転がっている。生前にひしゃげたもの、死後に壊されたもの。
おそらくは、城内に侵入しようとして返り討ちにあった人々だろう。獣人のものも多い。
死体の中には小型のキメラのものもある。これらは生前の姿をある程度保っていたが、その造形は醜悪なものだ。竜なのか魚なのか、人なのか鳥なのか。馬なのか牛なのか。
言葉が出ない。
ヴィクトルもニールも、誰も言葉を発しない。異形の墓場をただ眺めるだけ。
静かだった。
冬の朝のように。
凍った空気のような静寂が、死者たちを抱いていた。
――嫌な予感がする。嫌な予感しかない。
それでもノアは顔を上げた。固く結んでいた口を開く。
「来たわよ、アレクシス」
あなたの欲しがっていたものを持って。
ピシッ、ピシッ、と。
ノアの声に応えたかのように、氷を踏みしめる音がどこかから響く。
(知っている)
この音も、この導力も。
そこからは一瞬だった。ガラスが割れるように床石に一斉に亀裂が走り、床が割れ、足元が崩れる。
突然開いた巨大な穴を埋めるように、ホール全体が崩落していく。石も死体も土も何もかも巻き込んで。
落ちる。