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1-23 錬金術師の悩み



 夜の廊下を歩く。

 昼間は外から賑やかさが伝わってくるが、夜は本当に静かだ。できるだけ静かに歩いても自分の足音が響くほどに。

 目的もないのに徘徊する。あのまま部屋にいると、悪い考えに囚われてしまいそうだった。


 本館の方の窓から、明かりが漏れ出しているのが見えた。あの場所は確かキッチンだ。進路を変えて向かってみる。

 キッチンの中を覗くと、ニールが一人で作業を行っていた。どうやら料理の仕込み中らしい。

「ノア様? いかがなされましたか」

 視線に気づかれる。ああこれは不審者だ。もしくは夜のキッチンを狙う食料泥棒。


「ニールさん、コーヒー貰える? ミルクと砂糖多めで」

 朝に飲んだコーヒーを思い出して頼んでみる。

 あの香りを、あの苦味を味わえば、頭がすっきりとしそうな気がした。苦いので砂糖だけではなくミルクも入れてみたい。きっと合う。


「申し訳ありません。当家のコーヒーは朝のみなのです。眠れなくなってしまいますので」

「残念」

 それならお湯を、と頼もうとしたとき、ニールはもっと魅力的な提案をくれた。

「あたたかいミルクはいかがでしょうか。ゆっくり眠っていただいてからの方が、考えもまとまると思います」

「ありがとう。それじゃあお願いします」




 ニールがミルクを火にかける後姿を、椅子に座りながら眺める。

 よく整理され、よく掃除されたキッチン。

 主の人柄が隅々にまで行き届いている。この館の主従はどれだけ働いているのだろう、と心配になるほどだ。

 アニラに聞いたら役場として使われている部分は別に掃除人を雇っているのと、庭は通いの庭師がいるらしいので何とか回っているということだったが。

 きれいに磨かれたテーブルの上に頬杖をつく。


「お悩み事ですか」

「うん。患者さんに苦あぁい薬を飲んでもらうには、どうしたらいいかなって」

 ニールは苦笑する。

「それは難題ですね」

「効果の高いものって、大体がすごーく苦いのよ」

 万能薬も苦かった。

 苦いものは吐き出したくなるのが生物の防衛本能だ。


「旦那様も昔は苦い薬や、苦みの強い野菜が苦手で」

「そうなの?」

「はい。野菜は細かく刻んだり、別の香りを付けたり、油で揚げたり、色々と調理で工夫しましたが、薬はそうもいかず苦労しましたね」

 想像して、微笑ましくて笑ってしまう。

「ヴィクトルにも可愛い時代があったのね」

 ニールが再び苦笑しているのが後ろ姿からでもわかった。


「どうぞ、お待たせしました」

 厚手のカップに入った、湯気の立つミルクが前に置かれる。

「いただきます」

 早速一口いただくと、甘い香りがふわりと抜ける。ちょうどいいあたたかさ。

「おいしい」


 蜂蜜入りのミルクが、身体を芯からあたためてくれる。頭の奥が蕩けていく。

 甘さとあたたかさは最高の贅沢だ。包み込まれるようなやさしさが心地いい。

 そういえば、ノアは先ほども、コーヒーにミルクと砂糖をたっぷり入れようとした。苦いものを甘さとやさしさで和らげようとした。

 苦い薬もきっと同じこと。


「うん……よし」

 頭の中で、計画の方向性がまとまってくる。

「ヴィクトルは書斎?」

「そうですね。書斎か、そちらにいらっしゃらなければ離れか中庭の方ではないかと」

「ありがとう。ご馳走様」



##



 ヴィクトルは書斎にはいないようだった。ニールの言葉を信じて中庭へ出る。

 月の眩しい夜だった。空に佇むそれは、ノアの知っている月よりも黄色い。これもきっと魔素の影響なのだろう。


 ヴィクトルのことはすぐに見つけることができた。肩に外套をかけて噴水の縁に座り、離れの方を眺めていた。

 ヴィクトルの妹が眠っている場所を。

 その姿に胸が痛くなった。氷の針で刺されたかのように、切なくなる。

 手で胸元をさすって痛みをまぎらわせ、止まった足を踏み出す。


「こんばんは」

 銀色の髪が揺れる。

 月明かりに照らされた表情は、硬い。

 夜だから見えなかったことにして、用件だけを手短に話すことにする。

「ヴィクトル、部屋を一つ貸してもらってもいいかしら。使っていない倉庫とかでもいいんだけど」

「アニラに錬金術師と明かしたのか」

「え? うん」

 予期しない言葉が飛んでくる。


 錬金術は過去、戦争に利用されたことで忌み嫌われているとヴィクトルから言われたのは覚えている。

 だが、ノア自身が錬金術師として正しく生きて、錬金術の評判を上げていくようにすればいいかと思ったから、メイドとして世話をしてくれているアニラに自分が錬金術師だと教えた。

 アニラ自身には錬金術には偏見も何もないように見えた。むしろ何も知らないようだった。


 アニラに話したこと自体は問題があるとは思えない。

 どうしてヴィクトルがそんなに難しい顔をしているのか、ノアにはわからなかった。

「悪かった?」

「いや、私の言葉が足りなかった」

 声には後悔の色が含まれていた。

 あれだけ言ったのにまさかノア自身が話してしまったことに、驚いているのかもしれない。

 空気が重い。


 ヴィクトルは言うべきか迷っているかのように、沈黙を置いた。ノアは黙って言葉を待った。静かに、慎重に。

「皇帝はずっと、錬金術師を探している」

「皇帝って……帝国の王様?」

 ノアはまだ帝国のことも皇帝のことも何も知らない。覚えていかなければならないと思っているが、正直いまはそれどころではない。


 だからヴィクトルの言葉にも何も思わないのだが。その雰囲気は気になった。

 ヴィクトルは皇帝を畏怖している。何も怖いものなどないような男が。

「何が目的かはわからない。確実なのは、帝国で錬金術師として生きるということは、自由はないということだ」

「自由……」

 その言葉の価値を、ノアはよくわからない。

 ヴィクトルはそれを黄金よりも価値のあるもののように語る。


「いまはまだ、あなたの存在は人に知られない方がいい。ニールとアニラには口止めをしてある」

 それは悪いことをした。

「楽観的だったかな。錬金術師として生きていこうと思ったんだけど」

 空を仰いで、ため息をつく。

 残念なことに錬金術以外にノアができることはない。


「ここにいればいい」

 それは彼自身の決意のようにも聞こえた。

 ヴィクトルの言葉は嬉しい。

 寄る辺のない世界で、居場所をつくってもらえることは素直に嬉しい。

 けれど錬金術以外にノアができることはない。

「きっと迷惑をかけるわ」


「構わない。私もあなたを利用しようとしている」

「価値があると思ってもらえているなら嬉しいけど」

 それでもやはり、皇帝が錬金術師を探しているのを知っていて錬金術師を匿うのは、後々火種にしかならない気がする。

「ありがとう。考えておく」


(帝国貴族のお抱え錬金術師としてひっそり生きるのもいいけれど)

 現状の錬金術の状況を考えると、やはりいつかは迷惑をかけそうだ。

 ヴィクトルだけに迷惑をかけるのならともかく、領主である侯爵に迷惑をかければ、この街にも迷惑がかかる。それは避けたい。


 あとの選択肢としては、闇医者として生きるか、薬を作って密やかに販売するか、だろうか。

(うーん、どれも厳しそう……)

 その生き方自体は可能だろうが、帝国領内で活動していればいつかは帝国に見つかってしまうだろう。

(前途多難だわ)


 いっそ帝国に飼われてみようか。

 その選択肢は、少し考えて却下した。

 国に飼われれば、国のために錬金術を使わなければならない。人のためになることならいい。しかし、きっとそれだけではない。

 この奇跡のような術は、戦争のためにこそ活用されるだろう。

 目覚めてからの数日で嫌というほど思い知った。


 風が冷たい。

 ヴィクトルは立ち上がると、羽織っていた外套をノアの肩にかけてくれた。

 大きい。少しかがめば引きずりそうなほど。

 あたたかい。寒さなんて忘れてしまうほど。

「あ……ありがとう」

「冷えてきたな。中に入ろう」


 歩き出したヴィクトルの後ろをついていく。

「部屋の件だが、望む場所を用意しよう。人目につかないほうが良いのだろう?」

 振り返って聞いてくる。

「え、うん。できたら一階で」

 いきなり話を戻されたので返事が遅れた。

「了解した」


 先程までの硬い表情はどこへ。一瞬見えた笑みに言葉を失う。

 体温が残る外套に包まれながら思う。

 ヴィクトルはノアをどう利用するつもりなのだろう。


 ここに帰ってくるのが当たり前になってきてしまっているが、ヴィクトルがノアをここに招待したのは、妹の治療が本命だったからのはずだ。しかし期待には応えられなかった。

 それなのに、どうしてまだここにいればいいと言ってくれるのだろう。


(利用価値、か)

 とても居心地がいいからと言って、甘えてばかりではいけない。

 身の振り方は真面目に考えておかなければならない。

(侯爵邸のお掃除係とかもいいかもしれないけど。錬金術でこう、ぱぱっと)

 悪くないかもしれない。


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