1-2 錬金術師の人体修復
「旦那様! 旦那様ーー!」
絶叫が遠くから響いてくる。
「よかった。また人がいた」
期待をもって声のした方へ走る。そんなに走らないうちに血の匂いが近づいてきた。
またいきなり襲われたらたまらない。用心のため木の影からこっそり覗くと、地面に倒れているほとんど死にかけの男と、その傍らで叫ぶ健康そうな男がいた。
泣きながら叫んでいる若い男は、立派な体躯に浅黒い肌。黒い髪。そして、頭に雄牛の角によく似た立派な角を生やしていた。
「角? 最近の人間って角生やしてるの? あ、だめ。黙れ私。気にしているかもしれないし。アクセサリーかもしれない」
身体的特徴で騒ぐのはよくない。
そして独り言が多いのもあまり良くない。
それにしても尻尾人間に角人間。ここは本当に元いた世界なのだろうか。
興奮する気持ちを抑えて、ゆっくりと近づく。
「あのー、こんにちは。お怪我ですか?」
頭にかぶっていたフードを取って、横から声をかける。
角に突き殺されないように気をつけながら。
「あ、あなたは……?」
涙に濡れた黒い瞳に、にっこりと笑いかける。
「私、治せると思いますよ。ちょっと失礼しますね」
我ながら怪しすぎると思ったが、角男の方も藁にもすがる思いだったらしい。存外おとなしく「旦那様」の隣に座らせてくれた。
死にかけてる男の方は見た感じ、普通だ。角も尻尾もない。ただ、左腕から大量に出血している。半身が血で染まるほどに。
さっきの黒ずくめ尻尾男にやられたのだろうか。いま思えば、尻尾男は一仕事終えて余裕で逃げているという風情だった。剣についていた真新しい血は、この患者のものだろう。
「いま助けますね」
まずは傷をふさぐ。
肉ごとえぐられたわけではなく、切られただけだから繋げるだけでいいだろう。
神経、血管、筋肉、皮膚。
切れ味のいい刃物でざくっといっているから修復も楽だった。
次は失われた血の補充。
地面に吸われた血の成分を回収し、体内に戻す。水分は大気中から。
「あ、毒も入ってる。分解しておきますね」
傷の割に生命の危険度が大きすぎると思ったら、思ったとおりだった。即効性のある毒ではなくて安心した。死んでしまっていたら治せない。
分解して無毒化。
ついでに大サービス。全身に意識を巡らせて、将来悪化しそうな病巣を消しておく。
魂も呪素でかなり消耗している。少しだけ補充してあげよう。
目を閉じる。自分の魂を少しだけ削って、傷ついた魂を修復する。
人の魂は、金色にきらきらと光っている。死にかけていると黒い呪素に浸食されていく。その呪素を分解して、呪素から逃げるように肉体から離れかけていた魂を呼び戻す。
再び目を開けると、患者も同時に目を開いた。
氷のような青い瞳に、意思の光が宿っていた。
「ああ、旦那様!」
「はい、完了。食べれるようになったら肉とかどんどん食べてくださいね。それこそもう血の滴るようなのを」
一息ついて、初めてまともに患者の姿を見た。
深い雪山を思わせる銀色の髪に、整いすぎているほど整った顔。鍛えられている、しなやかな肉体。
まるで氷の彫像だ。
冷たくてあたたかい、完璧な造形の。
「私は、生きているのか……?」
低く、心地のいい声。
「ちゃんと生きてますよ」
「ああ……なんという奇跡だ……あなたが聖女なのか」
――聖女。
なんてぞわりとする響きだろう。
「いえ。聖女ではなくて、ただの錬金術師です。ノアって呼んでください」
「錬金術……?」
男は怪訝そうに眉をしかめる。しかし、その剣呑さはすぐに姿を隠した。
(なに? 錬金術反対派? それとも教会派? たしかに私の評判は良くなかったけれど、それなりに功績は上げていたんですけれど)
変人扱いされても。恐れられても。怖がられても。
国の発展に尽くしていた。
治せる人を治し続けた。
国家錬金術師にも認定された。
その結末が、引きこもる前に見たあの光景だ。
いまだって、せっかく助けたのにその態度。感謝されるためにやっているのではないなら構わないけれど。
「…………」
男は少し辛そうに身体を起こそうとした。屈強な角男がすかさずそれを手助けする。
「礼を言おう……私はヴィクトル・フローゼン。こちらはニール、私の従者だ」
「フローゼン!」
馴染みのない世界で、馴染みの名前が出てきて思わず叫ぶ。
「あ、いえ、昔の知人の名前と同じだったので、驚いてしまって」
「そうか。我が一族の知己だったか」
ああ、まずい。
まずいまずい。
喋れば喋るほどまずい。長居はいけない。フローゼンとは関わりたくない。
だってあの馬鹿王の名前なのだ。
アレクシス・フローゼン。
元婚約者で王様で、双子の妹と結婚して、妹が死んだら攻めてきた史上最低の義弟の名前。
ヴィクトルとアレクシスにどんな関わりがあるかはわからないが、あの男との関わりは全力で避けておかなければならない。
「いえたぶん人違いか勘違いです。それであの、街にはどちらの方向へ行けばいいですか? 旅の途中なんですけど、道に迷ってしまって」
「それは災難だったな。街まで案内しよう」
「いえ、お構いなく」
断ろうとしているのにヴィクトルと名乗った男は、従者と呼んだニールの肩を借りて立ち上がる。
ふらついていたが、歩き始めると支えられながらもしっかり歩いている。
(タフだなぁ)
あれだけの出血と毒。普通ならとっくに死んでいた。錬金術で治したとはいえ数日はまともに歩けないだろうに。
倒れられても困るしまた死にかけられても困るし、街へ案内してくれるのならついていこう。幸か不幸か、ヴィクトルの向かう先は滅びた王都とは別方向だった。
諦めて後ろを歩くことにすると、ニールがこちらを振り返った。
「ノア様、ありがとうございます。ノア様は命の恩人です」
(助けたのはあなたの旦那様の方だけれど)
自分の命と同じくらい大切な存在ということなのだろう。美しい主従関係だ。
それにしても、ここまでまっすぐな感謝の言葉を貰ったのはいつぶりだろう。
意外なほどに嬉しい。
(よし、決めた)
候爵令嬢で錬金術師だった黒のエレノアールの名は捨てる。これからはただのノアとして、錬金術師のノアとして生きていこうと。
もう意味のない身分にも、国家錬金術師の肩書きも、妹と対になっている名前にも、もうなんの未練もない。
これからは平々凡々な普通の錬金術として、ひっそりこっそりと生きていこう。