1-19 旧王都調査
ノアは片付けを終わらせると、移動用ゴーレムを作成した。今回は人型。基本的に人型の方が慣れているので作りやすい。
「もう隠さなくてもいいでしょう?」
ヴィクトルが徒歩での移動を希望したのはおそらく暗殺者に錬金術の存在を知られたくなかったからだ。暗殺者自身よりもその背後に。手持ちの札はできるだけ伏せておくに限る。
ならばもう使ってもいいはずだ。
そもそも今回のリーダーはノアである。
答えを待たずにゴーレムの左肩に乗る。石のゴーレムはいつもあたたかくノアを迎えてくれる。
「どうぞ」
ゴーレムの右肩に座るように促す。
いちおう、利き手側の右が自由になった方がいいだろうという配慮だ。
ヴィクトルはすぐには動かなかった。
めずらしく、呆気に取られたようにノアを見上げている。
なんだかおかしくなって笑ってしまった。
手を差し伸べる。手助けは必要ないだろうけれど、なんとなくそうしたくなって。
ヴィクトルはとても困った顔で、その手を握り返してくれた。
「ヴィクトルみたいな強い人が、どうして殺されかけてたの」
ゴーレムの肩の上で流れる風を受けながら、疑問を素直に聞いてみる。
初めて出会った時、ヴィクトルは大量出血で死にかけていた。しかも毒に身体を蝕まれていて。
普通ならば助かりようのない状態だったが、ノアの治療が早かったことと本人の生命力によって、彼は命を取り留めた。
いまとなってはその状況自体が不思議で仕方がない。
「あれは人生最大の不覚だった」
眉間にシワが寄っていた。よほど苦い記憶らしい。
「病魔のせいとは言いたくないが、反応が遅れてしまってな」
「ならもう大丈夫ね」
万全の状態のヴィクトルに勝てる相手がそうそういるとは思えない。
最初はこの時代の人間はすべて同じくらいの身体能力かもしれないと思ったが、キメラも暗殺者も圧倒するこの男はおそらく特別だ。
「もしまた死にかけても、ちゃんと治すから」
「心強い」
顔を見合わせ、笑い合う。
そうこうしている内に森が途切れ始め、先の視界が開けてくる。
赤い空の下に映し出される、森と都の陰影。記憶の光景と似て異なるかたちに、懐かしさと寂しさが再び込み上げてきた。
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森に飲み込まれていくかつての都。
二日前に来たときとなんら変わらない、色を失った景色。
寂しさを感じるものの、悲しみの涙は出てこない。人が溢れ、賑わっていた姿を鮮明に覚えているのに。
(私って薄情だったのね)
落胆か、呆れか。もしくは安心か。
心が揺れないのは、やはりどこか現実感がないからかもしれない。いまだ心のどこかで現実を受け入れていないのだろうか。
気持ちを切り替える。今日の目的は調査だ。
この前は慌ただしく突入したのでほとんど調べることはできなかったが、今回はゆっくり見ていくことができる。
ノアはコートの内側から紙と鉛筆を取り出す。
「それは?」
「王都の地図。記憶を頼りに昨日書いたの」
紙を広げる。ノアの覚えている限りの王都の形がそこに記してある。
「見せてもらっても構わないか」
「いいけど、雑だからひどいものよ」
ヴィクトルに地図を渡し、横から解説で補足する。
中央の丘に高くそびえる王城があり、城の周囲には貴族の住む家が並ぶ。主要な道は丘を取り囲むように同心円状に伸び、教会が市街にほぼ等間隔に存在している。
西には深く広い川が流れ、天然の堀にもなっている。
あくまで覚え書きなので、ほとんど落書きみたいなものだが、正確性は高いと自負している。
「ここまで把握できているのか」
ヴィクトルは驚愕の表情で地図を凝視している。
彼自身何度も『不死の霊薬』を探しにここに来たということだから、地図の正確さは判断できるだろう。
「城から街を見ていたから、だいたいはわかるわ」
王都で一番高い場所から、美しい街並みをよく見ていた。鳥のような視点で。だから、全体像は把握できている。
「あんまり細かいところはさすがにわからないけれど、主な道と区分けは書けてるはずよ。私の知っているころとは変わっているところもあるだろうけれど」
「…………」
いまだ地図に見入っている。
ノアが三百年前から来たと言ったことも、心の底では信じ切っていなかったのだろう。だからこんな地図で驚く。
ノア自身のことも、もしかしたらずっと疑っているのかもしれない。
出会って数日で信用されても困るが。
(私は目の前のことを受け入れるしかないけれど、ヴィクトルは疑わなきゃいけないものね)
領主として、貴族として、守るものがある。
だからこそノアは隠し事はしない。
探られて嫌なことはもちろんあるが、聞かれたことは答えるつもりだ。何もない腹を探られても痛くもなんともない。
それで少しずつでも信用を得られるのなら。
「今日は丘を登っていって、城まで行きたいの。危険を感じたらすぐ撤退で」
ヴィクトルは確認できている危険種は排除できたと言っていたが、またキメラが出てこないとは言い切れない。
「了解した」
地図を返してもらう。もう頭の中に入れてしまったのかもしれない。
城へ続く道を進む。王都の中で一番整備されている道。何度も通った道だ。
建造物のほとんどが破壊され、土地のほとんどが森になっているので、石や根などの障害物や段差が多く、移動はかなり大変になっていたが、ヴィクトルの手を借りながら登り続ける。
下層を抜けて中層に。
振り返るといつの間にかかなり高く登っていて、遠くに霧にけぶるアリオスの城壁が見えた。
道程は厳しいものだったが、幸いにも危険なものとは出会うことはなかった。
危険なもの以外にも、だが。
この滅びた都には動物がいない。
鳥がいない。
ネズミ一匹すら。
土地柄的にはあり得ないことだ。
西側には大きな川も流れ、気候も極端ではなく、生きていけないような厳しい寒さも暑さもない。住みやすい豊かな土地だ。
それなのに出会うのはかろうじて小さな虫くらい。
まるで命がこの場所を避けているようだ。
(なんとなくわかるかも)
たとえキメラなどの危険種がいなくなっても。いまのこの土地に住み着きたいとは思わない。
空を赤く歪めているこの魔素が、居心地を悪くしているのだろうか。
(この魔素はアレクシスのせいってグロリアが言ってたような)
記憶が曖昧だが。
(本当にここにいるの……?)
この滅びた都に。何故? なんのために?
ひたすら登り続ける。丘の上層までは、予想していたよりも早い時間で辿り着いた。
一人ならもっと時間がかかっていただろう。体力を使う労働は得意ではない。
ヴィクトルの手助けに感謝しながら丘の上に立つ。この辺りは大教会と貴族の邸宅があった場所だ。そして、ノアが鳥キメラにさらわれ、墜落した辺りでもある。
上層は特に激しい戦いがあったのだろう。徹底的に破壊されている箇所が多い。ノアの実家があった場所も。
空の上から見えたとおりだ。
その影響なのか、この辺りはほとんど森に飲まれていない。おかげで探し物もしやすい。
鳥キメラの死骸も、すぐに見つかった。
壊れた置物のように、巨体が荒れ地の中に転がっている。時間があればもう少し調べたいところなのだが、優先度は城の調査の方が高い。
今日のところはそのままに、気持ちを切り替えて城へ向かう。
周囲の貴族の邸宅がほとんど消えたことで、その荘厳な姿が際立っている。
城が崩れていないのは、よほど強力な防御魔術が使われていたからだろう。
見下ろしてくる巨大な影。心臓の鼓動がやけに強く感じる。
恐れているのか。緊張しているのか。
城の中へ――木の根が絡まる城門の内側へ、足を向けた。