2-EX 一介の暗殺者(クオン)
その家の暗殺者は三種類いる。
ひとつは薬と洗脳で意思を消し、身体能力を向上させた、手軽に作られた人形。番号で呼ばれる。
ひとつは特殊訓練を受けた狩人。職能と番号で呼ばれる。
ひとつは幼児を攫ってきて教育を施した、名前のある暗殺者。家の使用人としても扱われ、世間に溶け込み、一般人に擬態し、標的に接近することができる。
帝国の辺境を治めるヴィクトル・フローゼン侯爵は、標的としては非常に厄介な存在だった。採算が合わないということで何度も撤退が検討されるほど。
番号付きが何体も失敗して自害し、狩人も何体も潰された。
しかしある時、念願叶ってついに瀕死の重傷を負わせた。毒と傷で絶対に助からないはずだった。不死竜の血でも引いていない限り。
しかし彼は自らの足で歩いて城郭都市アリオスに帰還した。毒も傷も絶命に至らせることはできなかった。
死の監獄に捕らえられても。
ヴィクトル・フローゼンは無傷で帰ってきた。
当主に残された選択肢は、撤退か、名前付きの投入だけだった。
依頼者の貴族の使者はさらなる依頼金を積み、当主は優雅に微笑んだ。
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「ほう、ようやく名有りを寄越してきたか」
使用人候補としてフローゼン侯爵邸に潜り込み、書斎で一対一で対面した瞬間に放たれた言葉がそれだった。
――終わった。そうクオンは思った。
殺気を出した覚えはない。何もしていない段階で、一目で看破されるなど、暗殺者として失格だ。
相手はひとり。ここは返り討ち覚悟で挑んでみるべきところなのだが、身体が動かない。
「安心しろ。ここで殺しはしない。お前には、ここで使用人として働いてもらう。流石に手が足りなくなってきたみたいでな」
ヴィクトル・フローゼンは警戒心の一つも見せずに言う。
「いつでも殺しに来るといい。ただし、私以外の者には手を出すな。余計なことを考えた瞬間、お前には消えてもらう。――それでは、そちらは大赤字だろう?」
揶揄するように、だが優雅に笑っている。
「名前は?」
「……クオン、です」
問われるままに、ようやく声を絞り出す。
彼には従わなければならないと、本能が言っていた。
その日からクオンはひたむきに仕事に集中した。まずは食事に毒を混入した。無味無臭の強い毒。ヴィクトルはそれを一口も食べずに捨てさせた。
単純に隙を狙って毒を塗った刃で仕掛けようとしたが、一瞬でもそのような考えを抱いた瞬間に視線や意識を向けられる。これでは絶対に刃は届かない。
服に毒を塗った短い針を仕込んでみたが、焼かれて捨てられる。
警戒されているのだから、ある程度は失敗しても仕方がない。
だが、クオンはどうしても完遂できる未来が見えなかった。未来が見えない仕事は初めてだった。
それにしてもどうして看破されるのか。ヴィクトル・フローゼンはただの人間のはずだ。特別な耳も嗅覚もない。野性的な勘が備わっているのか。それだけでは説明がつかない。
屋敷の人間に疑われるわけにもいかないため、暗殺者としての仕事に励む以上に、使用人としての仕事も完璧にこなしていく。
この家には使用人が少ない。爵位と広さに対して圧倒的に足りない。
現在この家にいる使用人は長年の従者であるニールと、年若いメイドのアニラ。この二人は獣人で勘がいいので要注意だった。
客人として、何故か元将軍と、何故か帝国警察。元将軍の方は武人として優れているのでこちらも要注意。帝国警察の女性は手出し厳禁の相手だ。当主と関わりのある人間を、勝手に殺すわけにはいかない。
そして何より厄介なのは、ヴィクトル・フローゼンの婚約者であるエレノア。
正体不明の錬金術師。見た目はただの少女だが、その力はとてつもない。近くで観察していてよくわかった。これがいる限り暗殺は成功しないと。
おそらく、いままで死に瀕してきたヴィクトルを助けてきたのも、この錬金術師だろう。
そして、ヴィクトル・フローゼンのこの錬金術師に対する扱いを観察していて理解した。これに手を出そうと思えば躊躇なく殺されるだろうと。あるいは死よりもひどい報復が待っているだろうと。
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「クオンさん、素晴らしいです! こんなに早く、完璧に、お片付けができるなんて!」
「アニラさんが丁寧に教えてくださるからですよ」
「クオン、そこの納品物をノア様の研究室に運んでおいてくれないか」
「ニールさん了解です! あ、今日はブラウンシチューなんですね。楽しみです」
「おいクオン、お前も訓練に加われ! お前は見所がある! じっくり鍛えてやるぞ」
「しょ、将軍? 勘弁してください」
「クオンさん、立てないほど疲れてるならこの薬飲んでみてくれない?」
「……ノア様、なんですかその怪しい液体は……」
「超即効性の疲労回復薬。ただし反動が二から三倍? 元気の前借り的な」
「やめてください……なんですかその凶悪な取り立ては。殺す気ですか。寝て治しますから放っておいてください」
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「最近は殺しに来ないじゃないか」
珈琲を運びに書斎に訪れたクオンを、ヴィクトル・フローゼンは笑いながら迎え入れる。
「……我が君、やめてください。アニラさんに聞かれたらどう思われるか」
彼女のウサギ耳は遠くの音も聞き逃さない。
「あなたは僕の手には余ります」
「あまりに時間がかかっていると、別の者が派遣されたりはしないのか」
「僕が生きている限りは待ってくださると思いたいですね」
ヴィクトル・フローゼンは笑いながらクオンが運んできた珈琲を飲む。もちろん毒は入れていない。もう入れる気さえ起きないし、その必要もない。
「どうして僕を生かしたんですか」
「お前が死のうとしなかったからだ」
あっさりと言う。
あの家の暗殺者は失敗すれば自害する。そう洗脳されている。
クオンが自ら命を絶たなかったのは、名前のある者は、失敗したときは逃げるように教育されているから。教育を施すのは費用がかかる。使い捨てはできない。そんな商売上の話だ。
「誰が好き好んで同胞を手にかけたいものか」
――クオンは完全にあきらめた。
この王には勝てない。
そして、この王に認められたいと思った。この王が行く道を見たいと思った。思ってしまった。これが獣の本能か。
だがそのようなことを口にすれば、この、不安定で安定した立ち位置を失う。
クオンは王の前に傅いた。そうするのが当然のように。
「――我が君。あなたに永遠の忠誠を捧げます」
その言葉は嘘ではなく、真実でもない。
本物の忠誠を捧げられ続けているこの王にはなんと聞こえただろうか。
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