1-18 暗殺者とダンスを
翌日。
ノアは侯爵邸で契約の手続き諸々を完了させたのち、王都側に近い門のところで協力者を待った。
ここで合流という話だったが、少し待っていても誰も来ない。門の人通りを観察していても本当に誰も来ない。門番の兵士は「この門はほとんど誰にも使われないんだ」と笑って言っていた。最近でここを使ったのは候爵様くらいだと。
ほとんどのものは帝都に続く街道と繋がる東門か、南門を出て森と大地の恵みが豊かな地へ働きに行くらしい。
確かにこの西門の外は整備されていない森ばかり。その先にあるのは滅びた王都くらいだ。
そういえば昨日アニラと買い物に行ったのも街の東側だった。人の通りが多いほうほど商売は栄える。
親切に教えてくれる兵士の話を聞いていると、ヴィクトルが西門へとやってきた。
兵士にねぎらいの声をかけるその姿は朝の装いとは違っていた。騎士の礼服から装飾をすべて外し、代わりに目立たない位置に防具を増やしたような姿。少し気崩した姿が、厳格さを和らげている。
誰かを連れてきたのかと思ったが、どうやらひとりのようだ。
腰には剣。他にも隠しているが小型のナイフが数本。
胸の奥がざわついた。
嫌な予感しかしない。
「待たせたな。では行こうか」
「待って。人手を貸してくれるという話は?」
「いるではないか、ここに」
当たり前のように言う。
ノアは立ちくらみで倒れそうになるのをなんとか耐えて、目の前の男に詰め寄った。
「あなた領主でしょ? 領主よね?」
「代役に任せてきた」
「任せてきた、じゃない! あなたにもし何かあったらどうするのよ。どう責任取ればいいの」
「私がいなくなったくらいで機能不全には陥らない。そんな組織にはしていない」
「いやいや。私にだってわかるわよ。ヴィクトルがこの街の中心だってことくらい」
実務の面でも、精神的支柱としても。
「あなたを連れていくぐらいならひとりで行きます」
「それは契約違反だ」
「えっ?」
「契約書にも記していた。調査の際は私が選出した者を一人以上同行させること」
(この、男……!)
まさかの計画的犯行。
まさか自分自身が同行するためにその条件を利用するなんて考えもつかなかった。
「……ニールさんは?」
いつも王都に同行しているという従者はどうしたのか。
ニールがいたら説得に加わってくれるかもしれない。それが無理でもノアの負担は減る。
「私だけでは不安か」
「いや、そういうわけじゃないけれど」
一縷の望みをかけての質問は、話の方向をずらされて終わった。とにかくニールは来ないと思っていい。
なんだろう、この気持ち。
そうだ。狩られる獲物の気持ちだ。
追い込まれ、罠にかけられ、トドメを刺されるような。
あと、なんだか殴りたいような。
一度深く息をして、空を仰ぐ。今日も変わらず赤い。
「わかりました。けれどここからは私がリーダーです。勝手な行動は慎んでください」
「もちろん了解している。好きに使ってくれ」
ノアに向けて頭を下げ、格式張った礼をする。
また変な噂が立ちかねないのでやめてほしい。
立派な門から外に出て、王都の方面へ向かう。
今回は移動用ゴーレムを作らずに、歩いて。理由は二つ。前回のように王都内で導力切れになるのを防ぐため。もうひとつはヴィクトルがそれを望んだから。
「ねえヴィクトル。釣りが好きなの?」
「狩りは好きだな。今度一緒に行かないか?」
「釣れていますよ」
「三匹か」
前を向いて歩いたまま、ノアの想定していた以上の数を言う。
ずっと前に気づいていたのだろう。きっと相手も門を出てくるところからこちらを見ていた。
「中で暴れられると面倒だ。外で処理をしてしまいたい」
天気の話でもするような気軽さ。かなり慣れていることが窺える。
有能であればあるほど。
脅威になりえると思われれば思われるほど。
差し向けられる暗殺者の数は増えるのだろう。
ヴィクトルの判断に異論はない。
だが進んで賛同もできない。また誰かの死を見ることは確実だから。
(嫌な思い出が)
初対面で殺されかけたので動けないように拘束したら、目の前で自死された思い出が浮上してくる。忘れたいが、忘れてはいけない思い出。
「大元を叩いたら?」
「証拠がない。組織の実態もまだつかめていない」
ヴィクトルがノアの手を軽く引く。
さっきまでノアの頭があった場所を矢が抜けていき、木の幹に刺さる。
ヴィクトルがノアを抱きしめたまま剣を抜く。甲高い音がして、払い落とされたナイフが地面に落ちた。
ヴィクトルは懐に手を入れ、取り出しざまに後ろへ投げる。
どさっ、と。軌跡の先で何か大きなものが木の上から落ちる音がした。猫のような尾のある小柄な人間。
もう死んでいる。
あとふたり。
梢が揺れる。
音もなく。
二つの影が別々の場所に下りてくる。
二人、まったく同時に。別々の場所から。かろうじて目で追えるほどの速度で。
命を獲るため駆けてくる。
ノアは判断に迷ってしまった。
身動きできないように関節を石で固めても、服毒死される。一番は気絶させて仕込んでいる毒を取り除くことだ。けれど。
(そんな余裕、ない!)
ヴィクトルを死なせたりはしない。
手加減する余裕も技量もない。
歯を食いしばる。
足から地面に導力を伝えようとしたとき。
「何もするな」
命令され、軽く後ろに突き飛ばされる。よろめいた体勢を立て直したときには、すべてが終わっていた。
剣の閃は一度に見えた。
一振りでふたりの首が裂かれる。
何もかも一瞬の出来事だった。
即死に近い。いますぐ治療を施しても助けられはしない。ノアの錬金術はそこまで万能ではない。
目の前の光景から目をそらす。――見ていられない。
「あなたの崇高な魂を尊敬している。私自身何度も救われた」
「なに、いきなり」
「彼らを救おうとするのはやめておいた方がいい」
胸中を完璧に言い当てられ、どきりとする。
血の匂いが、死の匂いが鼻につく。
「心配しなくてもそんな余裕なかったわ」
「余裕があってもだ」
ヴィクトルは剣の血を拭き、鞘に収めた。
「この者たちの、一度自決に向いた意思は止めることができない。毒を奪っても、拘束をしても、わずかな隙を突いてこちらか自分の命を消そうとする」
「そんな」
どうしてそこまでするのか。敵わないなら命乞いをしたっていいはずなのに。
「そういう洗脳をされている」
暗殺というものが商売で。
暗殺者というものが商品なら。
失敗したとき、決して裏切らず、決して情報を漏らさないように仕立てる必要がある。でなければあっさりと雇い主も潰されて終わるだろう。
だから、そう洗脳する。
「ひどい……」
こんな悪意が存在する事がおぞましい。
命を駒や道具としか思っていない人間に、しかも自分は安全な場所で成果だけを待つ悪に、怒りが湧いてくる。
「いずれ潰す」
ヴィクトルは静かに怒っていた。
暗殺者組織というものにも、それを利用する人間にも。
激しい怒りが、冷たい炎のように燃えていた。
ヴィクトルが英雄と呼ばれるようになった理由が、少しだけ見えた気がした。