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7-25 空の上のプロポーズ



 天と地がなくなり。

 右と左がなくなり。

 光も闇もなくなり。

 ただひとつだけ。

 ひとつの方向へと引っ張られる。


 時間の狭間の牢獄から解放された瞬間、強い風を感じた。目を開けると青い空と、ヴィクトルの驚いた顔が見えた。

「わっ」

 つかまれたままの腕を、そのまま勢いあまって引き寄せられて、身体がヴィクトルの胸へ飛び込む格好になる。


 絡まり合いながら倒れ、仰向けに倒れたヴィクトルをクッションにしてしまう。

「ノア!」

 切羽詰まった声が頭上で響く。

 ヴィクトルはノアを載せたまま上半身を起こし、ノアの顔を覗き込んでくる。


「ヴィクトル……ただいま……」

 瞼が、口が、震えていた。

 そのまま無言で抱きしめられる。

 ヴィクトルの鼓動が直接伝わってくるほど強く。

 ノアはヴィクトルに身体を預けながら、周囲を見た。


 そこは飛竜の背の上。青い空の中だった。

 見える範囲では、あの黒い穴はもうどこにもなかった。完全に消えてなくなっていた。

 帝都を覆っていた赤い空も、黒い雲も、もう名残さえ見えない。カイウスの発していた魔素がすべて穴に吸い込まれたからだろう。

 下には炎と氷で破壊された帝都の姿が見えた。炎も氷ももうなくなっていたが、それらは帝都に深い爪痕を残していた。


《まさか本当に戻ってくるとは。見事であった》

 バーミリオン卿の感心したような声が頭に響く。

 生きている。この感覚は夢ではない。ぶつけた額と鼻がじんじんと痛いのも生きている証だ。

(本当に戻ってきたんだ……)

 この時代に。この場所に。


「……ヴィクトル、離さないでいてくれてありがとう。あなたのおかげで戻ってこれた」

 更に強く抱きしめられる。少し苦しいくらいに。

 落ち着かせようと背中を撫でさする。しかし力は緩まない。それだけ心配をかけたのだろう。


「バーミリオン卿もありがとうございます」

《何もしておらぬ。そやつの意地が摂理をも打ち破っただけだ》

「それだけではなくて……バーミリオン卿の力添えがなければ、私は何も為せないまま終わっていたと思います」

《友の頼みであったからな。しかし思いがけず楽しい時間でもあった……だが、そろそろ時間か》


 そう言ったバーミリオン卿の身体が発光していた。少しずつ、少しずつ。光の粒子になって、存在が薄くなっていく。消える寸前の虹のように。

《どうやら終わりが来たようだ。さらばだ、人の子らよ。時の彼方でまた会おう》

「えっ、あの……!」


 あっという間だった。

 バーミリオン卿の身体が完全に消える。幻が空に溶けるかのように。

(ええええええっ!)

 声も出せないまま、落ちた。

 帝都の遥か上空から。ふたりで。




 別れを惜しむ暇もない。

 せめて地上まで届けてほしかったなんて、甘えたわがままなのだろう。

「ヴィクトル、私を離さないで!」


 高所による低温、落下により吹き付ける風の冷たさにがたがた震えながらも、亜空間ポーチの中から絹の布の塊とそれと繋がったベルトを取り出す。そしてベルトで互いの腰を固く縛る。

 落ちながらの作業は困難なものだったが、命の危険に直面すれば普段以上の力が湧いてくる。必死だった。


 身体をしっかりと固定し、布の塊を上にあげて開く。

 白い絹の布が、青い空に丸く大きく広がる。大輪の花が咲いたように。

 その瞬間衝撃が走る全身を貫き、ノアは離れないように必死でヴィクトルにしがみついた。

 衝撃は一度だけで、その後は落下スピードが緩やかになり、次第に安定していく。


 ――バーミリオン卿の翼をヒントに、侯爵邸でアニラとつくった高所からの落下用の傘。まさか本当に使うことになるなんて思ってもいなかった。

 そしてこんなにうまくいくとも。

 この速度を保って地上に降りれば死ぬことはない。

 大成功だ。


「助かったぁ……」

 安堵感で脱力すると、ノアをしっかりと抱きしめていているヴィクトルが子どものように笑い出す。

「ヴィクトル?」

「ノア――あなたは本当に最高だ。最高に予想外だ!」

 それは最高の褒め言葉だ。


 喜んでいる。生きている。ふたりとも生きている。それがとても嬉しくなって、嬉しいのに涙が出て、涙が出るのに笑い声が零れる。溢れた涙が浮かび上がっていく。

 生きている。

 固く抱きしめ合ったまま、ふたりで笑いあってゆっくりと落ちていく。ふわふわと風に流されながら。


 こんなに高い場所にいるのにまったく怖くはなかった。むしろ幸せだった。楽しかった。ずっとこうしていたいと思うほどに。

 ヴィクトルと一緒なら、どんな高い場所も怖くない。

 どんな困難なことがあっても、前に進む勇気が湧いてくる。


(あなたと出会えてよかった)

 色々あったけれど。

 何度も離れようとしたけれど、いつだってヴィクトルは追いかけてくれた。

 離れてしまっていれば、こんな結末はなかっただろう。この先の未来も――


「ノア」

 真剣な声で名前を呼ばれ、うずめていた顔を上げる。

 ヴィクトルの青い瞳は、真摯にノアの瞳を見つめていた。

「私と結婚してほしい」

 ――こんな時に何を言い出すのか。


「ヴィクトル……」

 本気だ。

 本気で求婚されている。今度は偽りではなく。

(私は……)


 ――結婚については、実はいままで何度も冷静に考えたことがある。

 結論としては、ノアではヴィクトル・フローゼンの結婚相手としては相応しくない、というところに落ち着いた。

 ノアにはこの時代で通じるような血統は何もなく、高位貴族の伴侶として相応しい品格もあるかと問われると難しい。


 もっと由緒正しい血統を持つ伴侶を貰ったほうがいい。ヴィクトルならきっとその人を幸せにできるし、その方がきっとヴィクトルも、フローゼン領の皆も幸せになれる。

 そもそも、貴族の結婚とはそういうもののはずだ。お互いの家のための政略結婚が、正しい。

 ノアは錬金術師としてのんびり生きながら、陰ながら支える。それがベストだと結論付けた――はずだった。


(私は――)

 ぎゅっと、胸が締めつけられる。

 胸が苦しい。胸の奥が熱い。

 ずっとつかまれていた腕に残っている痣が。いま触れあっている場所が、熱い。


「私には、あなただけだ。幸せにする。この世界の誰よりも」

 ――理屈なんて感情の前にはなんて無力なのだろう。

 胸がどきどきして、身体が熱くなって。


(私は、この人と一緒に生きていきたい)

 それだけしか考えられない。

 この世界で。この場所で。ヴィクトルと生きていきたい。

 ――この人を、幸せにしたい。

 この気持ちがあればきっとなんだってできる。どんな奇跡だって起こしてみせる。


「うん。大好きよ、ヴィクトル」






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