7-24 錬金術師の見る夢
エレノアールは移動用のゴーレムの肩に乗って、森の家から王都に向かう。
平和な森の中をのんびりと進んでいくと、少しずつ王都が近づいてくる。朝に見た不吉な光景が思い出され、エレノアールはぶんぶんと首を横に振った。
到着した王都は今日もきらびやかに、宝石のように輝いていた。
ゴーレムから降り、賑やかな雑踏の中を歩いていたエレノアールは、深く息をした。
元々賑やかな場所だが、世継ぎとなる王子が生まれてからはお祭り騒ぎが加速している。王都にいる人々は、これからの王国の輝かしい未来と益々の繁栄を期待し、明るい顔で己の仕事に励んでいる。
通りでは商人たちが活発に商売に励み、屋根の下では職人が磨いた技術で物を作り上げ、王都に住む人々や帰ってきた冒険者たち、これから旅立つ旅人がそれらを購入したり手元の道具を売ったりしている。
揃って歩く聖職者たちとすれ違い、子どものはしゃぐ声を聞きながら、豊かな物資と賑わいに溢れる通りを歩いていく。
エレノアールはこの場所が好きだった。豊かさに満ちた王都が好きだった。この場所が滅びるわけがない。この煌びやかな王都が。王国が。
王城に到着し、門をくぐり、まっすぐに王妃の部屋へ向かう。途中で誰に止められることもなく。
エレノアールの顔は有名だった。国家錬金術師としても、王妃の双子の姉としても。
「お姉様、来てくれたのね」
王妃の寝室に入ると、思ったよりも元気そうなエミリアーナが寝台の上で顔をほころばせる。その胸に生まれたばかりの赤子を幸せそうに抱いて。
母子の金色の髪が光を受けてきらきらと輝いていた。この世のすべての祝福を受けているかのように。
「約束していたでしょう? お疲れ様、エミィ。よく頑張ったわね」
王妃の侍女に場所を譲られて、寝台の脇に行く。
「その子がカイウスね」
「可愛いでしょう? 私はこの子に会うために生まれてきたのかも」
幸せそうにカイウスを抱きしめる。
誕生したばかりの小さな小さな生命を。
「私いま、きっと世界で一番幸せよ」
宝物を抱きうっとりと見つめる。本当にそうだと疑っていない。エレノアールもそれを疑わない。それほど幸せそうだった。
「お姉様も抱いてあげて」
促され、エミリアーナの腕の下に腕を入れて、幼いカイウスを抱き移してもらう。
その小さな生命の重みと、あまい匂いと、伝わってくるあたたかさに心が震えた。
赤ん坊の生命の力強さと輝きに目が眩む。その尊さに。
そして同時に、胸の奥底――一番冷たい場所に封じ込められていた記憶が揺り起こされる。
(私は――)
思い出す。カイウスの魂に触れたことで、思い出す。
甘い甘い夢から現実に引き戻されて、すべてを。
(私は、カイウスを――)
生々しい感触がいまもまだ残っている。赤子を抱いているこの手で、ノアはカイウスを殺そうとした。
世界の未来のために、自分の意志で、この手で。
激しく泣き出したカイウスの声に、はっと息を飲む。
カイウスは腕の中で、小さな身体で大きく泣く。
「エ、エミィ……」
母親であるエミリアーナに助けを求め、カイウスを渡す。母親の腕の中に戻るとカイウスは途端に泣き止んで、安心したように緊張を解いた。
「辛いことがあったのね、お姉様」
カイウスを愛おしそうに胸に抱き、やさしく揺らしながら、エミリアーナは赤い瞳でノアを見上げる。
「お姉様ってとても強くて凛々しくて、私の自慢で憧れだけれど、自分だけで抱え込んでしまうところがあるから心配」
「エミィ……」
「私はいつもお姉様の味方よ」
そんな風に言ってもらえる資格なんてない。
だがいまなら、もしかしたら、何かを変えられるかもしれない。この先に待つ未来から。
ノアは亜空間ポーチに手を入れた。
亜空間に時間の概念はない。
過去に入れたものも未来に入れたものも、取り出せる。入れた人間がそれを覚えていれば。
ノアが取り出したのは小瓶だった。薄緑色の液体が入った小瓶を光に透かす。きらきらと宝石のように輝いた。
「エミィ、これを飲んでほしいの」
「これは?」
「私特製の元気が出る薬。体力をたくさん使ったのだもの。早く回復させないとね」
「まあ、ありがとう。国家錬金術師様のお薬なら間違いないわね」
カイウスを横に寝かせ、ノアからも受け取ったそれをなんの疑いもなく飲む
「うぅ、苦ぁい……」
(これで……)
エミリアーナの死因を知ってから作った、ある病気の特効薬だ。これで多くの病人を救えたが、もっと前からこの病気の流行の兆しに気づいて、薬を用意していられれば、エミリアーナを救うことができたかもしれない。そんな後悔にまみれた薬だった。
それをいまようやく飲ませることができた。
これで、エミリアーナは死なずに済むかもしれない。都合のいい夢かもしれないが、そんな未来を夢見ることくらい許されてもいいだろう。
「エミィ、少しだけ診せてもらってもいい?」
エミリアーナは頷くと、侍女を部屋から退室させる。
ふたりとカイウスだけとなってから、ノアはエミリアーナを寝台に寝かせて身体を診た。
腹部に手を当て、まず出産のダメージを癒やす。
「お姉様の手、やさしくてあたたかい……」
気持ちよさそうにエミリアーナが呟く。
ノアは他のも身体の弱った部分をすべて治していく。ほんの僅かな不調さえ。
「……うん、これでもう大丈夫。エミィ、ありがとう。私はそろそろ行くわね」
「待って」
退室しようとしたノアを、エミリアーナが引き留めてくる。
「ねえ、お姉様。お姉様はお城で暮らさないの?」
赤い瞳でまっすぐこちらを見て聞いてくる。
「お姉様が傍にいてくれたらとっても安心できるのに」
エミリアーナはいつまでも双子の姉には素直に甘えてくる。それは嬉しくもあり、複雑なものでもあった。
「ごめんなさい、エミィ。私はもう決めたの」
「そう……わかったわ。お姉様の決めたことなら」
しょんぼりと肩を落とす。
だがすぐに顔を上げる。瞳に強い輝きを宿して。
「ねえ、お姉様。忘れないで。私はお姉様のこと、応援しているからね。ずっと、ずーっと」
子どもの時と同じように笑う。
「ありがとうエミィ、幸せにね」
最後に、カイウスに近づく。
安心してすやすやと眠っているその小さな手に、指で触れる。本当に小さな手だった。
小さな小さな指が、ノアの指をぎゅっと握った。
愛しさが込み上げる。
「カイウス、あなたの魂が自由でありますように」
心からの祝福と祈りを込めて、新しい生命にそう告げた。
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王城の、光溢れる回廊を進む。帰るために。
「どこへ行く」
聞きなれた声がノアを引き留める。
足を止めると、柱の陰にいたマグナファリスがノアの前に姿を見せた。
緑がかった金色の瞳が静かに輝いていた。
「帰ろうと思います」
「優秀な生徒をやすやすと手放すと思うか?」
「先生は生徒の自主性を重んじてくれますから」
マグナファリスは面食らったように目を瞬かせ、軽く息を吐くと共に腕組みをしてノアを見つめた。
「意外だな……君はやり直したくはないのか?」
「やり直す――? 何をでしょうか」
「王妃が死なずに済めば、君が時を超える必要もなくなるはずだが」
やはり、マグナファリスはすべてを知っている。
そしてやはりここは現実の過去だ。夢でも幻でもなく。
マグナファリスもノアと同じく未来から戻ってきたのだろうか。それともマグナファリスには――竜には、過去のことも現在のことも未来のことも関係ないのかもしれない。
エレノアールが時を超えることになったきっかけは、エミリアーナの死だった。最愛の王妃が死ななければ王が狂うこともないだろう。エレノアールがほとぼりが冷めるまで自分を封印することもない。
「もし王妃が運命に絡め取られたとしても、若き王を君が支えればいい。幼き王子の母親代わりとなればいい。いまの君は『正解』を選べるはずだ」
――『正解』という言葉を聞いて不思議な気持ちになった。
そう。ずっと正解はどれだったのかと考えていた。どこで間違えたのかずっと考えていた。
自分を封印し、三百年後に目が覚めてから今日までずっとずっと悩んでいた。
だがいまなら言える。
間違いなんてものはなかったと。あの未来を間違いだなんて言えないと。
選択に間違いなんてものはない。選んだ結果と、もしかしたら訪れたかもしれない別の未来の可能性があるだけだ。形のない甘美な夢が、幻があるだけだ。それを追い求めて現実から目をそらすのではなく、現実を見ながらより良い未来を目指す。それが生きるということだ。
「正解も間違いもありません。私はあの世界を、間違いだとは思いませんから」
あの未来の先を見たい。たくさんの人たちが懸命に生きて紡がれてきた歴史のその先を、あの場所で出会った人たちを生きていきたい。
いま胸にあるのはそれだけだ。
「あの世界で生きたいんです」
誰かの代わりではなく。
自分の意志で道を選び取りたい。たとえそれで間違って傷ついてもいい。
自分の手で夢を現実にする。それが錬金術師だと思っているから。
「ふむ……だがどうする? 君はどうやって帰るつもりだ。いまの君とあの場所を繋ぐものは何も――」
マグナファリスは言葉を遮り、ノアの腕を見て小さく吹き出した。
「ああこれは、私の負けだ! 君をどうしても離したくない人間がいるようだな!」
腕が熱い。
ずっと熱い。
(たぶん、ずっと握ってくれている)
最後まで離さないでいてくれた手が、きっといまの瞬間も握ってくれている。
この熱と痣だけが、あの場所とノアを繋ぐ唯一の繋がりだった。強固で儚い、時空を超えた繋がり。
マグナファリスが微笑う。吹き込んできた風に蒼い髪が揺れる。
「人の可能性にはいつまで経っても驚かされる。だが心地よいものだな。凌駕されるという感覚というものは」
大きく手を広げる。白いローブが風に揺れる。
「エレノアール、これは夢、ただの夢だ。さあ目覚めろ。繋がりを辿り、よすがを辿り、あるべき場所に戻れ」
「先生――」
「さらばだ。時の彼方でまた会おう」
ノアは深く頭を下げる。あの日手を差し伸べてくれた恩師へと。新しい力を、生き方を教えてくれた恩師へと。その導きに深く感謝して。
「先生、ありがとうございました」






