7-22 神殺し
《整えておけ》
バーミリオン卿の怜悧な声が、背に乗るノアとヴィクトルの頭に重厚に響く。
《この牙と爪はあれに直接手を下すことはできぬ。任せたぞ》
「はい。――ヴィクトル、白い剣を見せて」
帝都の上空を飛ぶ飛竜の背で、隣に座るヴィクトルに声をかける。その表情は陰っていて、顔色も悪かった。
「どうしたの?」
覗き込むと、ヴィクトルは一瞬目を逸らす。
「あの剣はあれにまるで通用しなかった……手応えが何もなかった」
わずかな逡巡の後、そう言った。
確かに塔の上でまだ白い塊だった竜をヴィクトルが斬ったときは、まったく効いていなかった。刃は喰い込んでもそのまま出てくるだけで、一切通用していなかったように見えた。
斬れない剣に命は預けられない。
ヴィクトルの表情はそう言っていた。
「だいじょうぶ。私を信じて」
青い瞳をじっと見つめると、ヴィクトルは意を決したように瞼を閉じた。
ヴィクトルの手元に剣が生まれる。
燐光を纏う白い剣が。
「効かないのは同化してしまったからだと思う」
剣を握るヴィクトルの手に、手を重ねる。
この剣も、あの竜も、同じマグナファリスから作られたから効かなかった。
「だから、性質を変化させれば届くはず」
違うものになれば同化はしない。憶測ではあるが、この考えに賭けるしかない。
授かりものに手を加えるなんて不遜であり傲慢だと思うが。
(錬金術師は傲慢であれ)
マグナファリスに何度も言われた言葉がノアの背中を押した。
世界に――神に挑むのだから。こちらも同じくらい傲岸不遜でなければ。そう思うと自然と笑みが零れた。
亜空間ポーチの中から黒い呪素ナイフを取り出す。最後の一本を。その刀身を白い剣に沿わせる。
――白い剣。摂理の剣。
その構成は完璧で、変化させるのは難しいだろう。だが混ぜるのは案外簡単そうだった。
「私も信じる。先生と、バーミリオン卿と、私自身と、ヴィクトルを」
飛竜が空を駆ける。
翼に強い意志と相手への怒りを乗せて。
風のごうごうとした唸り声が聞こえるが、同時に深い静けさに包まれていた。
竜が、こちらの存在を認識する。
緑の混じる金色の瞳で、迫りくる飛竜を見据える。氷の柱が竜の頭付近に生まれる。それは先ほどの柱よりも細く、先が鋭く尖っている。いわば氷の剣の先をバーミリオン卿へ向けた。
氷の剣がバーミリオン卿へ向けて射出される。
バーミリオン卿はそれらを避け、あるいは風で速度や進路を変えて隙間を縫うように進む。
ノアも加勢したいところだったが、いまは剣の性質を変えることに集中していた。
避けた剣が、後方でくるりと旋回して上に登り、降下してバーミリオン卿の死角から翼を刺し貫く。
痛みと衝撃に耐える声が耳に届いた。
「バーミリオン卿!」
《うろたえるな!》
激しい叱責が飛んでくる。
《案ずるな。集中しろ》
竜が吼える。
耳も身体も壊れそうなほどに高い音で。
虚空から黒い炎が現れ、竜の身体を守るように広がる。
バーミリオン卿は躊躇なくその中へ突っ込んだ。
バーミリオン卿のつくる風の防壁をすり抜け、その漆黒の身体を燃やす。翼が燃えても、鱗が燃えても、黒い炎はノアたちを焼くことはなかった。
飛竜は厚い防壁をつくり、背の荷を守っていた。
飛竜は自身の身体が燃えても、ぼろぼろになっても、背の荷を無事に届けようとしている。
逆鱗の元まで、まっすぐに。
(一回で決めないと――)
覚悟を決める。
成功するとすればこの一回だけだ。
飛竜に己の間合いまで入られたことに竜は激怒した。
ぐわっと大きく顎が開かれる。噛み砕き、飲み込むため。あるいは高温のブレスを吐き出すため。
バーミリオン卿はすっと速度を落とし、真下に降下する。寸前で竜の左目に風の塊をぶつけて。
反射的に片目を閉じて生じた死角を突いて、バーミリオン卿は竜の胸元まで潜り込む。
蒼く光る逆鱗の眼の前に。
宝石のように。あるいは命の炉心のように。
逆鱗は煌めき、中の炎はゆらめく。
バーミリオン卿は竜に向けて体当たりをして身体を押し付ける。
目の前の逆鱗に、ヴィクトルが白い剣を全力で突き立てた。しかし剣は刺さらない。存在そのものを拒否されているかのように、剣と逆鱗は交わらない。
ノアは剣の柄を握るヴィクトルの手の間に自分の手を滑り込ませ、固く柄を握った。
これが最後でもいい。錬金術を使えなくなってもいい。全身の導力回路を開いて活発化させ、剣を変化させる。中に混ぜた呪素を媒介にして。
身体が炎を発しているかのように熱い。
力づくで押し込められ続ける剣先を変化させる。
より固くし、尖らせ、性質を変化させる。呪素が混ざり、白と黒が混ざり、剣先が灰色に変わる。
――パキン。
逆鱗がわずかに割れた。
竜が吼える。痛みに苦しむように。こちらを押し潰そうとしてきた身体を、バーミリオン卿が押し返す。
――パキン、パキン。
少しずつ逆鱗に剣先が刺さり、逆鱗の表面が割れていく。
力づくで押し込みながら、剣を変化させていく。竜と同化しないように。
ひとつになろうとするものを分離させ、相反するものを力づくで押し込む力業。
全身の血が沸騰しそうだった。身体と導力回路が咆哮を上げている。この叫び声は誰のものか。
生き残るためならば。守るためならば。
(神様だって殺してみせる――!)
逆鱗が、割れた。
剣が深く喰い込み、古代の氷が砕けるように、澄んだ激しい音を立てて砕ける。剣と共に。
竜の身体がぐらりと揺れた。逆鱗があった場所から入り込んだ呪素が、黄金の魂を食い荒らす。
竜の悲鳴が天を貫く。呪素から逃れようと口から魂が飛び出した。眩い金色の光が。
竜の魂は赤い天に昇ると、ある一点に鎮座し光り輝いた。
帝都を照らす太陽となって。






