7-21 神竜を模したもの
ヴィクトルの纏っていた黒い炎が消えた。
白い剣による絶命の一撃は、カイウスの不老不死の身体を縦に二つに割った。
いかに不老不死とはいえ、その一撃による身体の破壊は再生しなかった。ぱっくりと裂けた切断面からは血がどくどくと流れ出したまま立ってはいるが、ひとつに戻ることもなく、それぞれの身体が半身を補うような再生を行う気配はない。
しかしヴィクトルは警戒を緩めることはしなかった。剣を構えたまま、対峙し続ける。死んでいくカイウスを見据え続ける。
半身ずつになってもカイウスは倒れなかった。変化が起こったのは、その腹部からだった。
両方の腹部に強い光が生まれたかと思うと、カイウスの導力回路が壊れる。全身に走っていた瑞々しい導力回路はすべてはじけ飛び、腹部の光に集約され、ふたつに割れていたそれがひとつになり、受肉した。
発光する白い塊となり、異常なスピードで増殖を始める。既に抜け殻となっていたカイウスの肉体も零れ落ちた中身も取り込んで、膨らむ。
膨らむ。膨らむ。その増殖スピードに目が追い付かない。
(あれは……なに?)
ノアの疑問の答えは誰も持っていない。
ただ目の前で起こっていることだけが事実だ。
風が吹く。強い風が、白い塊を中心にして。濃厚な魔素が風となり、大気を揺らして空を深紅に染める。
ヴィクトルが白い塊を斬る。
だがまったく効かなかった。刃は確かに食い込んでいるのに素通りする。まるで水を切るように。その間にも白い塊はどんどん増殖していく。成長していく。
人間のかたちを完全に脱ぎ捨てて、肉体という殻を破り、人間という枷を脱ぎ捨てて――誕生する。塔の床を占有しながら。
ただの塊だったものが、形を得ていく。長くしなやかな首を持つ生物へと。
流線型の美しいかたち、白く光り輝く鱗、背中の一対の翼。閉じられていた瞼が開かれると、まどろみにたゆたう緑がかった金色の瞳が姿を現す。首元には蒼い逆鱗。夜空のように、あるいは深い海のように蒼い。
――それは竜だった。
それはノアの知る如何なる竜とも違っていて、それでいて完全な竜だった。
神の代理者として相応しい、神々しい姿をしていた。
《神竜と同じかたちを得おって。だが矮小、だが脆弱。しかし――……》
バーミリオン卿が忌々しげに言う。
「バーミリオン卿、ヴィクトルを助けて――」
《摂理は摂理では御せぬ。道理か》
カイウスだったものは止まることなく巨大化していく。時間を早回ししているように。
そして巨大化により質量が増大し、塔がその重みに耐えきれずに軋み始めている。
「バーミリオン卿!」
塔の上空で滞空していたバーミリオン卿が一気に降下する。塔の端まで追い詰められていたヴィクトルの傍を掠めると、ヴィクトルはその翼に飛び乗り背まで移動するのと時を同じくして、塔が崩れ始める。
深い地響きを立てて、砂城が崩れるかの如く呆気なく、がらがらと上から順番に全体が崩れていく。
降り注ぐ瓦礫が一足先に地面に到達し、轟音と落石、砂煙の重奏を響かせる。
ノアはヴィクトルの腕を取り火傷を治療しながら、落ちながら成長していくエネルギー体をただ見つめた。
かたちこそ竜のものだが、意思らしきものは感じない。あれはいったい何なのか。
そして竜骨と呼ばれる巨大な山脈の姿が頭によぎる。
(まさかあれほどの大きさに?)
しかしそれは杞憂に終わった。
大皇宮と同程度の大きさで成長が止まる。それでもでたらめに大きかったが。
竜が鳴いた。
喜びの歌にも、悲しみの嘆きにも聞こえる甲高い声が、帝都に響き渡った。
(考えろ)
いま目の前にいる存在は何なのか。
カイウスなのか、竜なのか、意思を持たぬエネルギー体なのか。
エリクシルを飲み不老不死となったカイウスを、マグナファリスの剣――曰く、摂理の力で斬ったことでこの姿となったと思われる。
バーミリオン卿の言葉も併せて考えると、これはカイウスが取り込んだマグナファリスの、本当の姿なのだろう。
竜の姿に変わったというよりも、元の姿を取り戻した方が近い。
そしてその姿は美しかった。山のように巨大で、神秘的。神から連なる生物と言われれば深く納得できる。
ただし理性は完全に失われている。
神は神でも破壊神と化し、自らを取り囲む邪魔な大皇宮を壊し始める。太い尾が振り回されるたび、残っていた塔が、宮が、崩されていく。
一刻も早く破壊を止めなければ犠牲者が増え続けるだけだ。この崩れた大皇宮の下でも何人が犠牲になっているのか想像もつかない。臆している暇はないが、あまりにも相手が圧倒的すぎて威圧される。
竜が吼える。
世界が震える。
声に応じるように竜の周囲に黒い炎がぶわりと現れる。それは渦を巻きながらひとつの球体に変化した。絶えず変化し灼熱を発するその球体が、竜の真正面に――帝都の市街地に向けて放たれた。
熱の余波は遠く離れた上空でも感じられた。
市街地を炎が嬉々として蹂躙している。大規模な火災によって赤く染まる場所から、悲鳴が上がっていた。遠く離れていても、風に掻き消されていても、その声は届いてくる。
竜が吼える。
空が高く叫び大気が引きつれる音がして、氷の柱が竜の周囲に精製される。まるで神に呼ばれた御使いのように。
氷柱が飛ぶ。
帝都の四方に向けて飛び立ち、あちこちに刺さって建造物を破壊し、氷柱も砕ける。着地点でどんな惨劇が起こっているか想像に難くない。
竜の驚異的で無尽蔵な力と比べて、人間はあまりにも弱い。
バーミリオン卿は炎や氷による攻撃を躱しながら空を移動し、近づく機会を窺っている。懐に飛び込み、致命の一打を与える機会を。
「…………」
ノアの肩にヴィクトルの手が置かれる。
その感触で、自分の身体が震えていたことに気づく。
その手に触れる。
(だいじょうぶ、私はひとりじゃない)
ひとりなら挫けてしまうかもしれない。
だがいまはひとりではない。立てる。この足で。立ち向かえる。
このままでは帝都は滅びる。
そして破壊されるのは帝都だけでは済まないだろう。
いま立ち向かうしかない。竜を倒す方法は知っている。そこにいるのは神ではない。
《どうする、錬金術師》
「逆鱗を割ります」
竜の胸元にある逆鱗は、竜族に共通する弱点でもある。
完璧な竜族の唯一の弱点。それがあることで竜は完全さを欠いていて、だからこそこの世界で生存できると言われている。完璧な生き物は進化の余地がないから。
《そうこなくてはな》
バーミリオン卿が好戦的に答える。
《一気に近づく。振り落とされるなよ》






