7-19 魂を喰らう異能
天と地の狭間で魔素が渦を巻く。大皇宮を中心として。
帝都に覆いかぶさろうとしていた光の環は消え、残像すら残らない。
それは賢者の石の錬成失敗を意味する。
そのままやり直そうとしたとしても、中継装置は先ほど壊れてしまった。爆発がその証拠だ。すぐには立て直しはできない。
ノアは床で倒れたまま、呆然としているカイウスの背中を見つめる。
(賢者の石は、ひとりではつくれない)
賢者の石について考えを深めたとき、最初に辿り着いた結論がそれだった。
賢者の石をつくるには、まず広範囲に導力を流して環をつくる必要がある。その内側にある命を分解し、圧縮して再構築するための場を整えるために。
そうやって命を再構築したものが、賢者の石だ。
賢者の石をつくるためには、多くの錬金術師の協力が必要になる。環をつくるもの。命を分解するもの。再構築するもの。
カイウスの力は強い。だが彼は神ではない。人では、賢者の石はひとりではつくれない。その工程が膨大過ぎて。
それでもカイウスは自分の力だけで賢者の石をつくろうとした。力はある。カイウスの身体に溶け込んでいる賢者の石がそれを可能とする。人手が足りない分は中継装置を作ることで代用にしようとした。
ノアが、カイウスならきっとそうするだろうと思ったのは、森で軍人と出会ったからだ。
何故あの場所に軍人がいたのか、考えを深めた結果、あの場所に中継装置を置こうとしていると推測した。
大皇宮と森の場所、そして最もシンプルで出力が高まる錬成陣を当てはめて、更に装置を置くであろう場所を九か所、推測した。
大聖堂はその九か所のうちのひとつ。そこにいた錬金術師と中継装置を――赤黒い石を見て、推測を確信にした。
ドミトリに伝えたのは、大聖堂を除外した残りの八か所だ。そして、うまくやってくれたらしい。錬成陣が消えたのは、中継装置が破壊されているからだろう。
もちろんカイウスも破壊されたり壊れたときに備えて、中継装置を複数個用意してあった。その場に置いていた錬金術師も備えのひとつだろう。
それでも。
中継装置が数か所でも破壊されれば均等な環はつくれない。力が偏れば均衡を失い崩れる。爆発は、偏った力の副産物だろう。
そしてカイウスは失敗した。
(全部、仮定の綱渡りだったけれど)
渡りきれたから問題ない。
カイウスが素直な錬金術師でよかったと思った。その思考を読むことができた。辿ることができた。
「どういうことだ……」
カイウスが愕然としながら呟く。それに応える者はいない。
「どういうことだ、グロリア」
「わ、わたくしではありません……わたくしは完璧に、完璧にいたしましたわ!」
「何が完璧だ!」
足元で震えていた黒い蛇を踏みつける。
苛烈な怒りは、グロリアの身体を踏みつぶし、壊した。床に張り付いたグロリアの身体は動かない。
肩を上下させ、荒ぶる呼吸をなんとか抑え込みながら、カイウスはノアを振り返る。
青い瞳には氷が燃えているかのような憤怒が揺れていた。
「伯母上、あなたなのか」
否定も肯定もしない。カイウスにはそれで充分伝わったらしく、口元を歪める。
「どうして邪魔をする。どうして――」
「あなたを愛しているから」
カイウスは目を見開き、顔をひきつらせた。
「愛? 愛だと? 馬鹿げたことを」
ノアは腕と足に力を込めて、無理やり立ち上がる。
体温が下がり、動きが鈍っている。錬金術を封じる手錠から解放されて以降も、ノアは身体を温めることはしなかった。
「愛しているわ、カイウス。私も、エミリアーナも、あなたのことを愛している」
カイウスと向かい合い、一歩近づく。
――カイウスはたくさんの罪を犯したかもしれない。
ノアの知ることも、知らないことも。
多くの人を殺したかもしれない。英雄と呼ばれながら、王としての責務を果たすために。
それでも、家族としての愛情に変わりはない。愚かなことだと言われたとしても。
「母上のことが何故わかる」
「聞いたもの。本人の口から」
その日のことはよく覚えている。
王妃の寝室で、ノアは出産を終えたばかりのエミリアーナと会った。白い産着に包まれた赤子を抱きながら、エミリアーナは愛の喜びに満たされて微笑んでいた。誰よりも美しく。
「あなたが生まれたとき、たくさんの愛と祝福で包まれていた。エミリアーナはあなたを抱きながら、この子と出会えて世界で一番幸せだと言っていたわ」
カイウスの目をじっと見る。
金色の髪は、その緩いクセもアレクシスに似ている。目元はエミリアーナに。そして青い瞳はアレクシスと同じ色をしていた。
「カイウス、あなたが世界の王にも英雄にもならなくても、エミリアーナはあなたを愛している。」
「そんな、わけが……」
「本当よ。だからもう、自分を許してあげて。あなたがすべてを背負おうとする必要はない」
カイウスが王として振舞うのは、それが本人の望みではなく、そんな生き方しかできないからだ。他の道を知らない。カイウスの魂は王と英雄という型にはめられ鋳造された。
だが、エミリアーナはカイウスをただ一人の子として愛していた。王にならなくても、英雄にならなくても、その愛は変わらないと確信を持って言える。
(エミィは幸せそうに笑っていた)
差し込む光の中でカイウスを抱いて笑っていたエミリアーナの姿が、いまでもよく思い出せる。美しいと思った姿を。
「……そんな言葉には惑わされない。失敗したのなら、何度だってやり直すまでだ。僕には無限の力と不死の身体がある」
「賢者の石の力も無限じゃない。それに……私にも力はある」
一歩ずつゆっくりと歩み寄る。
いま目に映るカイウスの姿は、ノアよりも少し小柄な、ただの少年の姿だった。少しずつ近づき、手を伸ばし、強張った身体に触れる。
肩に触れ、抱きしめる。お互いに身体は冷え切っていた。
「……カイウス」
名前を呼ぶと、強張っていた身体から少しだけ力が抜ける。
「…………」
静かな時間だった。ノアは溢れそうになる涙を堪え、自分の背中に手を回す。鞘からナイフを抜き、カイウスの背中から突き刺した。
抱きしめた身体がびくりと震える。カイウスが吐いた血が胸元を濡らす。肉体の再生により押し出されそうになるナイフの柄を強く握り、押し込む。ありったけの力で。
ただのナイフではない。呪素でつくった黒いナイフだ。この瞬間のために、造り、研ぎ澄ませてきた。
カイウスを止められないのなら、こうするしかないと思って準備してきた。
この異能――魂を喰らう呪素を操る力で。






