7-12 進化の果て
ゾフィアの服の下――背中部分から服を突き破って木の根のようなものが生えてくる。
白く長いそれはうねりながら、近くで気絶している錬金術師と軍人二人の首の後ろからを頭を貫いた。
つぷり、と刺し込むと強い力で持ち上げ、ゾフィアの真上にそれらを吊るす。
だらりと弛緩した身体からは血が落ち、ゾフィアはくすくすと笑いながらその血を浴びた。
既に人外の者だった。
その身体よりも、その精神が。肌は透き通るように白く、目は深淵を覗き込んでいるかのように深く。
まるで深い海の底に生き、いま陸に上がってきたかのような、不気味さと得体の知れなさがあった。
根に刺された死体はあっという間に干からびて、骨と皮だけになる。根はそれらを乱暴に投げ捨てると、またするするとゾフィアの身体の内側に戻っていった。
「く、ふふ……ああ陛下、なんて素晴らしい。これが『進化』なのですね……!」
ゾフィアは恍惚とした表情で己の身を抱く。
――これではまるで超越者だ。
賢者の石の失敗作を取り込み、人の姿を失った超人。だがゾフィアは賢者の石の失敗作を取り込むような素振りは見せなかった。
(ゾフィア様はカイウスの血を受けたようなことを言ったけれど……)
カイウスは不老不死だ。賢者の石と万能薬からつくられた、不老不死の霊薬エリクシルを飲んで永遠の命と若さを得たという。
そのカイウスの血を受けて、ゾフィアはこのような姿になったというのだろうか。
ゾフィアは力強く立ち上がり、剣を拾いヴィクトルにその先端を向ける。
「さあ、踊りましょうヴィクトル様。貴方様のお相手を務められるのは、わたくしだけ!」
愛の告白のような突剣は、見えないほどに速く、雨のように途切れなく繰り出される。
その速度も威力も、人間業とは思えないほどの次元だった。
ヴィクトルはそれを剣で受ける。時に払い、斬撃を入れる。しかしゾフィアは華麗にそれを躱していく。
ヴィクトルはまったく手加減していない。速さも、力も。ゾフィアはそれに互角に渡り合う。怯むことなく臆することなく、踏み込む。
ノアも加勢したいが、下手に手を出せばヴィクトルをも巻き込んでしまう。
こちらに被害が及びそうな時だけ防御するために、集中し、全身も強化しているが、割り込める気配がない。
「楽しい……楽しいですわね、ヴィクトル様!」
ゾフィアが心からの喜びを叫ぶ。その身体は剣が打ち合うたびに変化していっていた。
頭蓋骨の形が変わり、顎が伸び、牙が伸び、背には翼が生えてくる。
まるで竜人のように、人の姿を保ちながらも竜に近づいていく。
――竜化。
激しい攻防の果てに、突きを受け切っていたヴィクトルの剣が、欠け、砕けて折れる。
ゾフィアはにやりと笑って更に強く踏み出し、ヴィクトルの顔へ剣を繰り出した。
ヴィクトルは顔を逸らして突きを避け、髪を掠めたその剣が横に払われる寸前で刃をつかむ。
(――――ッ)
ノアは声にならない悲鳴を上げた。
突きに特化している剣でも側面には刃がついている。防刃処理を施した手袋をしているとはいえ、動く刃をつかむなんて。
ヴィクトルはそのまま一気につかんだ剣を折り曲げた。切っ先がゾフィアの方に向く。
ゾフィアは笑い、役立たずになった剣を手放す。
その時だった。入口の大扉が激しい勢いで開かれたのは。
大聖堂の中に光が差し込む。
大扉の位置――逆光の中に立っていたのは、ひとりの男性だった。
「やっと見つけたぞヴィクトル!」
――ドミトリ・ボーンファイド公爵。
乱入者によって戦いは一時中断する。
ゾフィアはヴィクトルから距離を取り、警戒は保ったままドミトリの方を見ずに口を開いた。
「これはこれは……公爵家の新当主様――」
「うっ……ば、化け物!」
光に映し出されたゾフィアの姿は、完全な竜人だった。緑の肌は鱗に覆われ、目は黄土色、鼻の高さは消えて、顎が前に発達し、鋭い牙が口からはみ出している。
恐怖から発せられた化け物という一言はゾフィアの逆鱗に触れた。
「滅びろ!」
ぐわっと大きく顎を開き、歯を剥き出しにする。そのゾフィアの下顎に、ヴィクトルの拳が叩きこまれる。
いつヴィクトルが動いたのかすら、ノアにはわからなかった。
いままでゾフィアに合わせて速度を落としていたのか、ゾフィアもその速さに反応できていなかった。
下顎が吹き飛び、床に落ちる。おびただしい量の血が溢れ、ゾフィアの全身を瞬く間に赤く染めた。
――しかし、絶命はしない。
ゾフィアの身体が更に変化する。
骨の形が変わり皮膚を突き破り、身体がぼこぼこと肥大化する。だが筋肉や内臓、そして血液がその変化についていけない。
「……っ、……っ」
ゾフィアの身体が倒れる。
顎を失い声を出すこともできず、苦しげな息遣いだけが大聖堂に響く。
だがそれも体内より喉が押し潰されたことにより途切れ、永遠に息絶えた。
死を迎えた身体は崩れ落ちるように元の姿を失い、砂と変わり、床に山ができる。その砂も光の中に溶けて、ぼろぼろの服だけが残った。
訪れた静寂が、すべての終わりを告げた。
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「ヴィクトル……!」
握ったままだった剣を投げ捨てて、ヴィクトルの元へ駆け寄る。
「ノア、怪我は――」
「ない! 手を見せて」
振り返ったヴィクトルの右手を無理やり握り、手袋を脱がせる。
手袋をしているとはいえ剣を握り、相手の顎を砕いた。
ヴィクトルは力は常人離れしていても、身体は鋼鉄でできているわけではない。衝撃が大きすぎれば身体の方が耐えられない。
それでも炎症を起こしているだけで済んでいるのは奇跡だが。よほど身体の使い方がうまいのか。
ひとまず安堵し、治療を施しながらゾフィアがいた場所を見つめた。曲がった剣と、ずたずたに裂けた服の一部しか残っていない場所を。
――カイウスはゾフィアのような存在を幾らでも作れるのだろう。記憶を書き換えて忠誠心を植え付け、血を与えて超人的な力を授け、超人の軍隊をつくることができるのだろう。無敵の王の軍隊を。
止めなければならない。
いま止めなければカイウスはますます力を増していく。
(覚悟を決めないと)
ヴィクトルの手の治療を終わらせ、大聖堂の隅の暗がりにヴィクトルと共に向かう。そこには視界を閉ざし、丸まって座っているドミトリの姿があった。
こちらの気配に気づき、ドミトリはわずかに顔を上げた。
「何が起こっている……帝国で何が起こっている」
ドミトリの身体はがくがくと震え、歯がかちかちと鳴っている。
ノアはドミトリの前に膝をついて座り、その顔を見上げた。
「ドミトリ様。いま起こっているのは、帝国の――いえ、世界の危機です」
青い瞳を覗き込んで、切願する。
荒唐無稽で唐突な話だ。
だが、ドミトリは既に見てしまっている。竜のような姿に変わった人の姿を。常識の外側を見たばかりなら、世界の危機も信じてもらえるかもしれない。
「どうか、あなたの力を貸してください」






