7-11 大聖堂の舞台
大聖堂の十字の中心の光の円で、ノアはゾフィアと向かい合う。お互いの手に揃い細剣を持って。
帝国軍人のゾフィアはその剣で、反逆罪を犯したノアを切り伏せ、捕らえようとしている。
「皇帝の言葉を騙ることは反逆罪にはならないのですか?」
ノアは切っ先を床に着けた姿勢のまま、問いかける。
「私のことはゾフィア様に一任されているのかもしれませんが、あなたはそれを口実に私怨を果たそうとしているようにしか見えません」
そうでなければ、ノアを外に連れ出す理由がない。おそらくカイウスの目が届かないところでノアを痛めつけるつもりだろう。
ゾフィアは口を開かなかった。
無言での動きが身体に伝わる直前に、顔に動揺を走らせた。
視線が一瞬だけ足元に落ちる。ゾフィアが履いていた軍靴は、甲と踵の部分が石に包み込まれて、床と一体化していた。
会話中にノアが密かに錬金術で足の周りの床を溶かし、靴を巻き込んで固めたのだ。
ゾフィアは忌々しげにノアを睨む。
「その目……気味が悪い」
呟くと、目を見開いて大きく息を吐き出し軍靴を床から引きはがす。片側を外して、もう片側も。
力強く床を蹴り鳴らし、一息に距離を詰めてくる。剣の切っ先はノアの顔を狙っていた。
ノアは柔らかく捏ねておいた床を変形させ、石壁を目の前に築く。
「くっ」
怯んだその瞬間に、石壁から横に――ゾフィアの正面へと向かって石壁を生やす。
突き飛ばされたゾフィアは床の上でくるくると回って受け身を取った。身のこなしが軽い。
「納得がいった。有用だから拾われたのね。でなければこんな気味が悪い女――」
立ち上がりながら、腑に落ちたように頷く。
「錬金術師なら遠慮はいらないわね。ちょうどここには、あなたのお仲間がいるのよ!」
嬉々としながらパチン、と指を鳴らす。
音に応えるように奥の扉が開き、ふたりの軍人に両脇を抱えられて黒いローブを着た男が連れてこられる。手には錬金術師殺しの手錠をはめられて。
「――――ッ」
ノアはその黒ローブの男に見覚えがあった。
闘技場でイヴァン皇太子を暗殺しようとした錬金術師だ。拷問を受けたのか面立ちは変わり、ひとりでは歩けないようだったが、間違いない。
あの大仕事を任されたからには、公爵から厚く信頼されていたに違いないだろう。しかし失敗に終わったことで咎を身に受けたのか、それとも軍に拘束されて拷問を受けたのか、どんな経緯をたどったかはわからないが、既に正気には見えない。彼を包んでいるのは、果てのない虚無だ。
おそらく失敗した仕事の件――皇太子暗殺未遂については、当人も、帝国軍人であるゾフィアも記憶から消えているだろうが。
「四対一は卑怯じゃないですか。たかが小娘に」
「お黙り!」
それにしてもちょうどよく公爵家の錬金術師がここにいるものだろうか。
大皇宮や軍の施設から連れてきたわけではないだろう。馬車はノアとゾフィアが乗っていた一台だけで、他の馬車は近くにはなかった。
では何故ここにいるのか。
賢者の石を錬成するために、その準備のために、ここに捕らえられていたと考えるべきだろう。
――賢者の石はひとりではつくれない。
それがノアの出した結論だった。この錬金術師たちはカイウスが錬成のために配置した貴重な人員。
「儀式のための大事な錬金術師を動かしてもいいのですか?」
「……知ったようなことを」
錬金術師でない者に準備の重要性を説いても通じるはずもない――
(好都合ではあるけれど)
ともあれ。
戦闘が苦手なノアにとって相手が五人というのはかなり分が悪い。
奇襲できたり罠を張ることができるのならともかく、そんな時間はない。しかも相手は戦いの心得がある軍人たちだ。
しかしこれは同時に逃げるチャンスでもある。残りの軍人は外で見張っている一名だけのはず。
このままゴーレムをつくって怯ませて、壁に穴を開けてゴーレムに乗って逃げれば、おそらく逃げ切れるだろう。
しかし、逃げてもどこへ行けばいいのか。追手はフローゼン侯爵邸やボーンファイド公爵家へ向かうだろう。もしかしたらレジーナの子爵家も巻き込むかもしれない。
(逃げる場所なんてない……大皇宮に戻るしかない……カイウスの懐へ)
錬金術師の手錠が外されようとした、その時だった。
大聖堂に満ちる殺気も、静謐も、神気も、すべてを壊すような激しい音を立てて、高窓が割れる。
全員の意識が一瞬その音に囚われ、上を見やるもそこには誰もいない。ガラスの欠片も落ちてこない。それはつまり内側から割られたということで。
全員の意識が一瞬奪われたその間隙に、影が落ちる。
光の舞台の中央へ。音もなく、しなやかに。
降りた影はそのまま床を蹴り、錬金術師を背後にいたふたりの軍人もろとも、そしてゾフィアをも吹き飛ばし、壁に叩きつける。
(容赦ない……)
ノアは激しく跳ねる心臓を押さえながら、その背中を見つめる。
――ヴィクトル・フローゼン。
その後姿を。
昨夜、空中庭園でヴィクトルに示した場所。そこがこの大聖堂だった。
(ヴィクトル……)
いますぐ駆け寄りたいのを我慢する。
場所を示しただけで、時間も目的も伝えていない。会えるかもしれないとは思っていたが、タイミングによっては無理だろうと思っていたのに、いてくれた。
「く、ふふ……」
いち早く起き上がったのはゾフィアだった。他の軍人二人と錬金術師は完全に気を失い、壁に沿って倒れたままだったが、ゾフィアは笑いながら立ち上がる。
額からは血を流し、剣を取り落としたにもかかわらず、恍惚とした笑みを浮かべて。
「ああ、なんて力……この力、ヴィクトル様、もしやあなたも陛下の血を?」
歓喜の声を上げて身を震わせる。
「カイウスの血……?」
思わず言葉を繰り返す。ヴィクトルはカイウスの子孫だから血は引いていて当然だが、どうして今そんな言葉が出てくるのか。
「陛下の聖名を呼び捨てなど!」
目を剥いて怒るゾフィアの迫力に、思わず後ずさる。
ゾフィアからノアを庇うようにヴィクトルが立ち位置を変え、手にしていた剣を構える。
「ヴィクトル様……その方のどこがいいのですか。何が、あなたをそこまで――」
「彼女を貶めることは許さない」
「う……うわあああ!」
嵐のような激しい慟哭を、魂の底から上げて。ゾフィアは頭を抱えてうずくまる。
そしてノアは目を疑った。
ゾフィアの身体の曲線が不自然に歪んでいく。
まるで別の生き物が服の下に潜んでいるかのように、ゾフィアの身体はどろどろと蠢き、歪み、伸び、肥大化していった。






