7-10 軍事貴族
帝都の南側郊外にある大聖堂は、かつては戴冠式も行われた、皇帝にとっても帝国にとっても神聖な場所だ。
そこへ行きたいというノアの要望を、ゾフィアは快く汲んでくれた。
ゾフィアのエスコートを受け、研究塔から外へ出る。
あの苦労した目に見えない壁はいったいなんだったのかと思えるぐらい、あっさりと塔の入口から外に出られた。
作為的なものを感じるが、外へ出ない選択肢はない。
(カイウスは何を考えているんだろう)
用意されていた馬車に乗り込む。
中にはゾフィアも共に座り、外には二人の護衛が付く。
厳重に護衛された馬車で大皇宮から大聖堂まで向かう。
大聖堂は、帝都の繁栄からは遠く外れたところにあった。荘厳な石造りの灰色の外観は、離れた場所からもよく見えた。
閑散としたところだった。
馬車から降りて眺めると、その静けさが一層身に染みる。
神に関わる場所というのは厳粛なものだが、ここは厳粛さを通り越してしんと静まり返っている。神に仕える人の姿も見えない。しかも大扉には鍵がかけられている。完全に閉鎖された場所だった。
かろうじて周辺の手入れはされているが、草木に飲み込まれないように最低限、といった様子だった。壁や屋根の装飾もところどころ壊れていて、地面に残骸が落ちている。
ゾフィアが重厚な鍵を錠前に差し込み、鍵を開けた。
「どうぞ」
重い扉をゆっくりと押し開けて、ノアを誘う。
中へ入るのはノアとゾフィアだけで、他の三人の軍人は表で警備に着いた。
大聖堂の中は、冷たい石の匂いがした。そしてひどく薄暗かった。
高い場所にある窓から差し込んでくる光のみが大聖堂を照らしていた。
淡い光に照らされて、入口から奥までまっすぐに伸びる、静謐な空間が広がっていた。
長方形の空間の中心よりも少し奥の場所には、真上から落ちてくる光によって丸い円が描かれている。まるで一つの舞台のように。そこからは左右にも翼のように空間がつくられている。
大聖堂を真上から見れば、両翼を広げた鳥や竜のように見えるだろうか。
正面の一番奥には巨大な神の像がある。ただし壊されているため、どんな神を信仰していたのかすらわからない。
「誰もいないのですか」
大聖堂の中には人の気配がまったくない。使われてる形跡も。
「皇帝陛下は神の信仰を禁じられていますので」
まさかそんなこともご存知ないのですか?――と目が言っている。
――それはどの皇帝がだろう。
ノアも詳しくは知らないが、かつては戴冠式が行われた神聖な場所だというのに。
なのにここには神はいない。その使徒も。信仰が失われて久しい。
だが、使われている形跡はなくとも、直近で誰かが入った気配はある。床に残る複数人の足跡がまだ新しかった。
「どのようなご用件でこちらに?」
「観光です」
「左様ですか……」
変人を見る目を背に受けながら、奥へ進む。
大聖堂の中心――光の舞台の中に立ち、辺りを見回す。
歴史的建造物としてはとても興味深いが、思い描いていたようなものはない。
(私の勘違い?)
荘厳な天井付近をきょろきょろと眺めていると、後ろにいたゾフィアが一歩近づく。
「少し遊びませんか、エレノア様」
呼ばれた名前は帝国貴族の養女としてのものだった。かつてゾフィアにも名乗った名前だ。
(やっぱり、気づかれていた)
ゾフィアは剣帯に差していた細剣を二本とも、手に取った。うっとりとそれを眺める。
「エレノア様が自分でここから出られれば、エレノア様の勝ち」
「出られなければ?」
「ご安心を。まだ殺しはしませんわ」
ゾフィアは二本の剣の内、一本をノアの足下に投げる。
獲物にわざわざ武器を与えるのは、貴族の矜持か、それとも遊びか。
「その綺麗な御顔に傷が付けば、あの野獣はどんな顔をするでしょうね」
楽しそうに淑女の笑みを浮かべる。その顔を見て、単なる遊びだと知る。
大聖堂の中にはふたりきり。表を固めている他の三人の軍人も踏み込んではこない。
天から降ってくる丸い光の中に、ふたりきり。
観客のいない決闘場のようだ。
「これは皇帝陛下の命令?」
「もちろん。わたくしは陛下に忠誠を誓っております。さあ、剣を取ってください」
本当に命令だとしたら、どういうつもりなのか。ますますカイウスのことがわからない。
いまノアがカイウスに求められているのは、研究塔でマグナファリスの正体とやらを知ることだ。
追い立てて焦らせて早くそれをさせるつもりなのか。ならばノアはカイウスの犬で、ゾフィアは駄犬を追い立てる猟犬だ。
良い気分ではない。
足元に投げられていた剣を拾う。
綺麗な細工の細身の剣だ。斬るより突きに特化した剣。
とても軽いが、ノアには重い。
剣先を床に着けたまま、顔を上げる。
「私は戦いは苦手です。剣は特に」
もちろん槍も弓も素手も。得意な戦い方などひとつもない。
「なので、もし私が勝てばもう少しサービスしてもらってもいいでしょうか」
「どのような?」
ゾフィアは嗜虐的な笑みを浮かべている。
いまから立ち向かってくる弱い敵から剣を叩き落として実力の差を知らしめて、逃げる獲物を追い立てながら諦めていく姿を楽しむのだろう。
「あの森に設置したものと同じものを、ここにも設置しましたか?」
ゾフィアの頬の筋肉が強張る。
感情を抑制するのは苦手なのだろうか。ノアも人のことは言えないが。
「いえ、やはりいいです」
確証は得られた。
「あと、もうひとつだけ確認なのですが」
剣を少し持ち上げて、また先を床に落とす。
やはり重い。
「野獣とは誰のことですか?」
頬と口元がまたピクピクと強張る。
「もちろん、あなたのお義父様のことです。エレノア・ベリリウス様」
――リカルド・ベリリウス帝国軍元将軍。現士爵。
ノアとは実の親子ではない。
ヴィクトルの婚約者役をするにあたり、便宜上でも身分が必要になり、ノアが知らない内に養子縁組が結ばれた。
実の親子ではないが、深い親しみを抱いている。尊敬している。
かつては異国からの侵攻を押し退けた英雄でもあり、帝国の盾と称されるに相応しい豪傑だ。
「あなたのお義父様のご活躍のおかげで、我が家の威光は地に堕ちました。軍事貴族にも関わらず武功を平民に奪われた家は、屈辱にまみれた日々を過ごしておりますの」
「馬鹿馬鹿しい」
「なんですって?」
甲高い声が広い空間に響き、またすぐ静寂に飲み込まれる。
激しい怒りを露わにするゾフィアを、ノアは臆せず睨んだ。
尊敬する相手を不当に貶められて、どうして黙っていられようか。
「まさか戦争はどれだけ血が貴いかで勝敗が決まるとでも? 武功を立てられなかった自分たちの弱さを省みるところなのに、国を守った英雄を逆恨みする意味がわかりません」
ゾフィアはひくひくと、口元を引きつらせる。
怒りをなんとか貴族の矜持と軍人の服に押し込めているようだった。
「媚びを売るしかできない小娘がわかったようなことを……撤回なさい!」
「お断りします。そちらこそ義父への侮辱を撤回してください」
ゾフィアは細剣の先端をノアに突きつけてくる。
そんなものは怖くない。
「あの野獣に、あなたの処刑を特等席で見せてやる」
「いったいどんな罪状ですか」
ゾフィアの顔を見つめながら問いかける。
「反逆罪に決まっているでしょう!」
その瞳で燃えているのは忠誠心ではなく、激しい復讐心だった。






