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1-16 侯爵様との契約交渉



 目が覚める。

 瞼を開くと、朝の光がカーテン越しに部屋を照らしていた。

 軽い頭痛と気だるい身体を抱えて起き上がる。

 これは二日酔い? あんな薄い蜂蜜酒で?

「身体に合わないのかな……」

 掠れかけた声で呟きながらベッドから降り、部屋に置かれている水差しで水をコップに入れて、ゆっくりと飲む。


「昨夜……ヴィクトルと飲んだような……」

 水が染み渡っていくのと反対に、だんだんと血の気が引いていく。昨夜のことはうっすらとしか覚えていない。夜中に屋敷内の散歩に出て、ヴィクトルと話をして、その後のことが記憶にない。

 覚えているのは、彼が病気を患っていて、それはもうノアがとっくに治していたことくらいだ。

「よし、忘れよう」

 忘れてしまったことは仕方がない。忘れたことを忘れ、昨夜のことはなかったことにする。


 窓際に行きカーテンを開け、空の赤さに胸が詰まる。

 そろそろ少しくらい慣れてもよさそうなのだが、どうしても慣れない。

 今日も世界はそこにある。

 何かの間違いで三百年前に戻っていたりなどしない。


 控えめなノックと、可愛らしい声。

「おはようございます。ノア様」

「どうぞ」

 アニラは落ち着いた茶色のドレスを持って入ってきた。

「旦那様が朝食をぜひご一緒にと。今日はこちらのお召し物をどうぞ」




 食堂にはヴィクトルが座っていて、茶ではない、湯気の立つ温かい飲料を飲みながら、文字が刻まれた紙の巻物らしきもの――後日それは新聞と呼ばれているものだと知る――を読んでいた。

「おはようございます。ヴィクトル様」

 ドレスの裾を持ち上げ挨拶をする。

 決して表には出していないが、何となくわかった。彼はがっかりしていた。


(ん? ん~~?)

 おぼろげな記憶を引っ張りだす。覚えていないこと、思い出したくないこと、たくさんあったが、確か何かを要求されていたような。

「ヴィクトル」

 咄嗟に、慎重に、呼び直してみる。

 恥ずかしい、というより胃のあたりがむずむずする。

「ああ。おはよう、ノア」

 決して態度には出ていないが、何となくわかった。彼は機嫌がよくなった。




 食堂でのふたりきりの食事も、かなり慣れてきた。

 今朝のスープは白いポタージュ。甘さと塩気が身体に染みる。ベーコンエッグもふわふわの焼き立てパンもどれもおいしくておいしくて、会話を忘れて夢中で食べてしまう。

 食事を終え、口元をナプキンで拭いてからノアは話を切り出した。


「ヴィクトル。私、王都の調査をしに行こうと思っているの」

 前回はほとんど通り過ぎただけだ。急いでいたので準備もままならなかった。

 自分が納得いくまで調べたい。

 死の間際に感じたアレクシスの気配の正体が知りたい。


「調査結果は全部報告するので、援助をしてほしい」

 交渉相手になんて口の利き方だろう。

 格式ばった話し方のほうがよっぽど気が楽だが、ヴィクトルはたぶん、ノアにはこういう態度の方を求めている。

 おかげで表情は強張るし、肩に力が入り、膝の上に置いた手は無意識に震えている。


 アニラがあたたかい飲み物を持ってくる。

 白いテーブルクロスの上に置かれたのは、黒い液体だった。深くて濃い、苦味のある香りに包み込まれる。

 これはいったいなんだろう。

「どうぞ、コーヒーです」

「コーヒー?」


 初めて出会うものに戸惑いながらも、深くまで染み透るような香りに惹かれて飲んでみる。

 熱い。そして、苦いような甘いような。

(この甘さは砂糖? すごい高級品では?)

 この一杯にかなりの量の砂糖が入っている。くらくらするような贅沢だ。

 もしかして砂糖の価値は大幅に下がったのだろうか。

 ヴィクトルも二杯目のコーヒーを優雅に飲む。

「続きは書斎で話そう」




 書斎に移動し、ノアは昨日と同じソファに座る。

 ヴィクトルは部屋の奥にある執務用の大きな机の横に立ち、体重を預けた姿勢で話し始めた。

「旧王都の調査はこちらも進めなければならないと思っていた」

「そうだったの?」

「ああ。現在確認できている危険種も排除できた。これからは順次整備していきたい。放置して賊に取られるわけにもいかないからな」


 確かに流れ者や賊の拠点にするにはうってつけの場所だ。広く、隠れる場所も多く、雨風もしのぎやすい。

 前回足を踏み入れたときはそんな気配がなかったのは、いままでは怪物が闊歩していたからだろう。

 最近荒らされたような跡はなく、古い戦争の痕跡しかなかった。

(結果的にキメラがあの場所を守っていたのね)


「あなたには先遣を頼みたい。金と人、あとは私の印章を用意しよう」

「後ろ盾になってくれるの? 嬉しいけれどトラブルがあった時に累が及ぶかもしれないわ」

 ヴィクトルは目元だけで笑う。

 ――そうだ。彼はそんなものを恐れる男ではない。むしろ楽しみにしているかのような表情だ。

「いくらでも私を使うといい」

(後が怖い)

 ともあれ手数は多いほうがいい。フローゼン侯爵に頼るのは最終手段として持っておく。


「一応確認なんだけれど、あの王都もフローゼンの領地よね」

 城郭都市アリオスはフローゼン侯爵の領地だが、王都が飛び地で誰かの、もしくは帝国の直轄地になっている可能性も否めない。

「ああ。あんな場所を欲しがる貴族はいない」

 あんな場所。

「失礼した。あなたの生まれ育った地だったな」

「あっ、いえ。気にしないで」

 謝られて初めて少し傷ついていたことに気づく。姿かたちが変わってしまってもやはり、王都は思い入れ深い場所だった。


「油断なきように。不吉な赤い空に、裏切り者の末裔が治める地だが、どんなものでも利用価値を見い出す者は存在する」

 ヴィクトルは机から革袋を取り出し、ノアの前の机に置いた。袋の中から金属がぶつかる高い音がした。

 ずっしりと重みのあるそれを持ち上げ、中を見る。

 銀貨だ。

「これは錬金獣討伐に対する正当な報酬だ」


 帝国が発行したのであろう銀貨を見て、この国この時代の通貨を持っていないことに気づいた。

「ありがとう。活用させてもらいます」

 礼を言ってしっかりと受け取る。

 キメラと戦ったのは成り行きとはいえ、成果に対する正当な報酬なら、受け取らない理由がない。

「あ、そうだ。ヴィクトル、私の持っている金貨って換金できる?」

「旧王国の金貨か?」

「うん、大金貨で――」

「待て」

 枚数を言おうとするとヴィクトルに止められる。

「それは聞かないことにする。あなたも軽々しく己の資産を言わない方がいい」


「あ、それもそうね……。ありがとう」

「換金は少しずつなら受けよう。必要になったら言ってくれ」

 もし換金できなくても、手持ちの金貨を現在流通している帝国金貨に姿を変えることはできる。新しく金を作るのは割に合わなくても、表面の形状を変えるだけなら簡単なことだ。


 他の金属の割合を増やして、変化した分の重さを調整して、枚数を増やす、ということも方法としては可能である。

 王国時代は貨幣に手を加えるのは重罪中の重罪で、偽造通貨を調べる方法も確立していたのでまともな錬金術師は誰も行わなかったが。


「契約金はまた後で渡す。それとは別に、調査の都度支援しよう」

(契約事はよくわからないけれど……)

 好待遇過ぎないだろうか。

 それだけ認めてもらえているということなら嬉しいけれど。

 なんとなく、庇護対象になっている気もする。

「契約書を作成しておくので、後でサインを。人の手配も少しだけ時間がかかる。明日まで待ってくれるか」

「うん。その間に準備しておくわ」




 書斎から出て、廊下を歩く。

 ともあれ、これで侯爵家雇われの錬金術師という立場だ。必要な調査が終わるまでとはいえ、できるたけ問題は起こさないように気をつけておかないと。

(まずは服)

 いままで着ていた服は血まみれな上に損傷がひどい。もちろん修復もできるが、心機一転するのも悪くない。この時代に合った動きやすい服を新調しよう。

 革袋を握りしめる。

(お買い物……わくわくする響きかも!)


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