7-6 黄金の大皇宮
「ぴったりみたいね。よかったわ」
「あの、どうして私のサイズのドレスがあるのでしょうか?」
シシリィの手を借りて、ドレスを着て髪をまとめて化粧をされながら、率直な疑問を口にする。
オリガの付き人として大皇宮に行くことになったため、旅人のような姿ではいけないということで公爵家所有のドレスを借りることとなったのだが、そのサイズが測ったようにぴったりなのが解せない。
「ドミトリお兄様がつくらせていたのよ。貴女のドレスを何着も。お兄様は何故か忘れていらっしゃるけど」
一時的に記憶を失って公爵邸にいたときのことだろう。確かに、サイズを測られた記憶があった。あの時は特に疑問にも思っていなかったが。
支度が終わるころに、ヴィクトルの着替えも終わる。
ヴィクトルは護衛に変装することになり、公爵家の護衛の服と、紋章の入った腕章を身に着けている。剣帯も豪奢な特別製だ。
似合っている。似合っているが、雰囲気がありすぎる気がする。ヴィクトルを知っている人が見ればすぐに正体に気づくのではないだろうか。ゾフィアのように。
「うまくいくでしょうか……」
「だいじょうぶです。馴染みますわ。当家の護衛は美しさを基準に選定されていますから」
そういう問題ではない気がしたが、オリガは自信満々だ。
「それではわたくしも支度してきますので、少々お待ちくださいませ」
オリガの準備を待つ間、客間でヴィクトルとふたりきりとなる。
合わせる顔がなく、目元を伏せる。
「ごめんなさい……私のせいでオリガ様を巻き込むことに……」
イヴァン皇太子の名前を聞いたことで動揺が表に出てしまったせいで、オリガを巻き込むことになってしまった。そのことがヴィクトルにも公爵家にも申し訳ない。
己の未熟さを腹立たしく思う。感情のコントロールは貴族の嗜みだというのに。
「気にしなくていい。彼女も必死なのだろう」
どういうことかと顔を上げると目が合う。
「イヴァン様が心配ということもあるだろうが……事態が収拾しても、このままでは公爵家は取り潰しになりかねない。その前に何かしらで功績を立てようとしているのだろう」
祖父である皇帝の死亡に、父である公爵の死亡。皇帝と皇太子への暗殺疑惑、侯爵領への出兵と敗北。兄ルスラーンによる父殺し――……
状況はかなり悪い。
いまのオリガは、カイウスを倒すことに公爵家の活路を見い出しているのかもしれない。皇帝に直接的に手を下し、玉座と帝都を乗っ取ったカイウスを。
(オリガ様も戦っている……)
イヴァン皇太子の婚約者であり、いずれ皇后になることが決まっていた少女だ。覚悟が違った。
「帝都にいる人間のほとんどが記憶を書き換えられているみたいなのに、どうしてオリガ様は無事なんだろう……」
「皇帝の血筋に現れる紫の瞳には、魔を払う強い力があると言われている。その影響かもしれないな」
――魔眼。
本当にそんなものがあるのだろうか。確かにドミトリは青い瞳だ。ニコライ・ボーンファイド公爵もルスラーン公子も紫の瞳だった。
グロリアの言葉が不意に甦る。グロリアはノアに「邪魔な方たちも消してくれて」と言っていた。記憶の操作が通じないから邪魔だったということなのだろうか――いまとなっては永遠にわかりはしないが。
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大皇宮――帝都の中央に位置する、帝都で最も落ち着いた場所。
馬車で門の中に入り、そこからまた長い移動があり、馬車を降りてからも長く歩く。オリガとヴィクトル、そして侍女と護衛たちと共に。
ここに訪れたのは数えるぐらいしかないとはいえ、いまだに慣れない。
途方もなく広い上に複雑な構造をしており、更に同じような風景が続く。白と金、そして緑を基調にした風景が。
まるで迷宮のようだ。自分がどこにいるのかわからなくなる。
ここに訪れたのは数えるぐらいしかないとはいえ、大皇宮はいつも変わらない。
空が赤く染まっても、皇帝がすり替わっていても。
住む人々も働く人々も、帝国の中央で自信をみなぎらせて煌びやかに生きている。
記憶を操作されているとしても、誰も疑問に抱かないのだろうか。違和感を覚えないのだろうか。記憶の矛盾に気づかないのだろうか。
(おそらく、考えないようにされている)
矛盾を自然と補完して、一番都合のいい夢を見るように、操作されている。
いまの帝都は操られた夢の中なのだろう。
随分と長い間歩かされた後、控えの間に通される。
次は皇帝との謁見だが、公爵家の姫とはいえ簡単にいくのだろうか。かなり長い時間待つことになるのか、そもそも会えるのか。不安を感じつつ、部屋の中に入る。
その瞬間、ノアは異変に気づいた。
――誰もいない。
控えの間には誰もいない。同じ扉から揃って入ったはずなのに、オリガも侍女もヴィクトルも護衛も、誰ひとり。
(どうして――)
何が起きているのか理解できず、部屋の中を見回す。目に見えるのは、何ら異変のない普通の控えの間。扉は閉まった覚えもないのに固く閉じられていた。
先に入った人も後から入ってくる人もおらず、完全にひとりだった。
(分断された?)
部屋の入口部分でノアと他の人々で辿り着く空間を分けたという、およそ不可能としか思えないことくらいしか考えられない。
現実的ではない。だが実際にこうなっている。扉から廊下へ戻ろうとしても、扉は固く閉ざされていて、まったく動かない。
錬金術で扉を変形させようとしても、通じない。壁も、窓も、床も。何ひとつ。
――空間の錬金術。
マグナファリスが同じようなことをしていたことを思い出す。亜空間ポーチをつくったのもマグナファリスであり、バーミリオン卿をノアの目の前で異空間から呼んだのもマグナファリスだ。
(ここも、先生のつくった異空間?)
本来の世界から隔離された空間である可能性が高い。
(早く出ないと)
焦燥感に急かされるが、部屋のどこにも錬金術は通じない。となれば標的にするのは空間そのもの。
――とはいえ。
空間を構成するものとはなんだろう。
世界を構成するものとはなんだろう。
(そんなことがわかるのは神様くらいなんじゃ……)
似たような錬金術は知っている。
封印の錬金術と呼ばれるそれは、素材や完成品の鮮度を確保するための術であり、ノアはそれを使って自身を封印して、時代を超えていまここに生きている。
封印の錬金術は、マグナファリスから教わったものだ。理論を詳しく分解せず、ただやり方だけ教わったもの。仕組みを考えようともしなかった。
(違う……考えないようにしていた? 考えないように……させられていた……?)
この帝都の人々のように、ただ受け入れて、深く考えないで、過ごしていた?
どっと汗が吹き出す。心がざらざらと不協和音を立てて思考をざわめかせる。
(落ち着いて……)
いま重要なのはこの場所から脱出すること。
手を伸ばし、壁に触れ、空間を探る。
歪められたものなら元に戻すことはできるはず。構造を見ることさえできれば、違和感さえ見つけられれば、活路はある。
息を落ち着け、深く吸う。
深く吐き、また深く吸う。全身に力を巡らせるように。
更に意識を研ぎ澄ませようとした瞬間、奥の扉が音を立てて開いた。






