7-2 赤い空の帝都
王都は滅び、時の流れにより風化し、栄華は色褪せても。人の手により再び命を吹き込まれる。
夜明けの空から、飛竜――バーミリオン卿の背に乗って、見下ろす都の姿は、ノアが知る最盛期の姿と比べるととても寂しく、滅亡を迎えて森に飲み込まれようとしていた時よりは栄えている。
このまま再建が進めば数年後にはかつての栄華を取り戻せているのだろうか。
(なんだか不思議な感じ)
帝都に行く前に王都の周りを一回りしてほしいとバーミリオン卿に頼んだが、こんな感傷を抱くことになるなんて。昨日懐かしい夢を見たからかもしれない。
ノアは亜空間ポーチの中から、小さな瓶をひとつ取り出す。薄緑色の液体が夜明けの光に照らされる。
「それは?」
後ろに座っているヴィクトルが尋ねてくる。
「ある病の特効薬……とは言っても、とっくに根絶された病のだけれど」
もう用済みになったものを後生大事に保管している。そんな自分を笑いたくなる。
わずかにふらついた身体を、ヴィクトルに支えられる。
「思い入れがあるのなら、大切にした方がいい」
「うん……」
背中を預けながら、瓶をポーチの中に戻す。
飛竜の背にはノアとヴィクトルの二人だけだ。二人で行くことは反対もされたが、これ以上は定員オーバーでもあるため渋々ながら承諾された。すぐに帰ってくることを条件に。
《カイウス――あれは破壊の導き手だ》
王城の上空を旋回しているとき、バーミリオン卿の声が響く。
帝都にいるはずのカイウスを、長い時を生きた飛竜はそう称する。ノアの甥であり、永遠の命を得たかつての王を。
帝国の皇帝の命を刈り取った姿はノアの記憶にも新しい。
《友は既に死んだも同然。助けは得られぬと思え》
「はい」
《いっそ別の地へと行くのはどうだ。世界はずっとずっと広いぞ》
――それは非常に魅力的な提案でもある。しかし。
「ありがとうございます。それでも、帝都へお願いします」
向き合うべき時が来たのだ。あの日の選択の結果と。
自身を封印して時の果てへ逃げたその結果と。
《難儀なことよ》
バーミリオン卿の鼻先が東へ向かう。昇ってくる太陽の方角へ。
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旧王都の空は、かつては赤かった。常に夕方かのように、恐ろしいほど美しい赤い空で覆われていた。とても、とても長い時間そうだったという。フローゼン領の空は血のように赤く、不吉な土地だと。
だがそれは旧王都の地下に眠っていた、異形と化したアレクシス・フローゼンを打ち倒したときに終わった。 透き通るような青い空を取り戻した。
しかしいま。
昼にもかかわらず、帝都の空は血のように赤く染まっていた。
「随分と懐かしい空だ」
異様な雰囲気に言葉を失うノアのすぐ後ろで、ヴィクトルが特に驚いた様子もなく呟く。
人体や生命に悪影響はないが、何かが起こっていることは間違いない。
「バーミリオン卿、この辺りで降ろしていただけますか」
郊外の森の上でバーミリオン卿に声をかけると、飛行速度がゆっくりと落ちていく。
地上に近づいたところで、ノアはヴィクトルに抱えられて飛び降りる。
《気をつけることだ》
無事に降り立ち、地面から見上げた時には、バーミリオン卿の大きな身体は空に溶けるように消えていた。
「ありがとう」
ヴィクトルの腕の中から下ろしてもらう。森の狭間からは帝都が見えた。
ここからは徒歩となる。帝都に入るまでで二時間くらいか。そこから侯爵邸や大皇宮に向かうとなると更に二時間ほどとなる。ゴーレムで移動したい距離だが、偵察は目立つと意味がない。
ヴィクトルは現状まだ皇帝殺しの犯人扱いにされているはずだ。それを企てた公爵は亡くなったが、まだその情報も帝都には届いていないだろう。すべてが明らかにされるためには、イヴァン皇太子の帝都帰還が必要になる。
今回はそのための下見を兼ねている。服装も目立たないように地味にしてある。表に見える武器も、ヴィクトルの二本の剣だけだ。それでもヴィクトル自身の気迫や気品はとても隠せるものではなかったが。
「それじゃあ、行きましょうか」
進もうとしたところで、ヴィクトルがノアの前に庇うように立つ。その時だった。
「待て」
矢を射るような鋭い声が飛んでくる。
茂みが揺れ、森の奥から人影がひとつ現れる。
「そこの者たち。ここは立ち入り禁止区域となっているのを知らぬのか」
凛々しい声を発しているのは、軍服の上に軽鎧を着た、二十代前半の女性の軍人だった。金色の巻き毛を首の後ろで一つにまとめている。
ノアはその女性に見覚えがあった。
レジーナのお茶会で紹介された、男爵位を継いだという女性――名前はゾフィア。武芸に優れているとは聞いていたが、軍人をしているとは思わなかった。
幸いにも、向こうはノアのことには気づいていない。ヴィクトルのことにもまだ気づいている様子はない。
それにしても立ち入り禁止区域とはどういうことなのか。
ここはただの森であり、周囲にも貴族の屋敷や軍事的な施設はないはずだ。そういう場所を選んで降りた。
そして気づけば周囲にも軍人が集まりつつあった。
この状況は非常に良くない。
「えっと、私たちは」
「言い分は後でゆっくりと聞こう。貴様らを拘束させてもらう」
話をする余地もない。
騒ぎが大きくなる前に、こちらの正体に気づかれる前に逃げよう――そう決めた時だった。
ゾフィアのヴィクトルを見つめる目が、訝しげなものに変わる。そして短く息を飲み、顔を青ざめさせる。
――やはり、隠せるものではないらしい。ヴィクトルの恵まれた体躯と整いすぎた顔立ち、そして銀の髪は目立ち過ぎた。
(やっぱり逃げよう)
そう決めた瞬間。
「し、失礼しました! どうぞお通りください」
ゾフィアは慌てて剣から手を放して、勢いよく頭を下げる。高位貴族への失礼を懸命に詫びるように。
(……どういうこと?)
完全に虚を突かれる。ヴィクトルは皇帝殺しの犯人にされているはずであり、帝国軍にとっては捕縛する対象であるはずだ。だがゾフィアの態度を見るに、まるで皇帝殺しなどなかったかのようである。
この赤い空といい、いったい何が起こっているのか。
「あらあら~? 職務怠慢ね、ゾフィアさん。誰も入れないでって、わたくし言わなかった?」
ふわり、と。
苛立ち混じりの声と共にゾフィアの上から人の形をしたものが降りてくる。
白いドレスと長い黒髪が、水中を漂うかのようにふわふわと舞っていた。
「グロリア様……」
ゾフィアは顔を真っ青にして、その名を呼んだ。






