6-31 復讐の後味
「本当にこれで良かったのかだと? たわけ! 我が知ったことか」
歩いてきた廊下を戻る途中でのノアの独白に、隣にいたトルネリアが憤慨する。
「平和が戻ったのだから良いだろう」
「そうね」
力なく笑いながら頷く。
帝都を出てからずっと存在していた、ピリピリとした張り詰めた空気はもうない。ボーンファイド公爵とルスラーン公子の死で、すべては終わった。公爵兵はすっかりと意気消沈してしまい、再び戦いの火が燃え上がることはないだろう。
味方側にはほとんど被害も出ていない。出来過ぎと言っていいくらいの戦果だ。
「それにしても、復讐というものは……思ったほどではなかったな……」
トルネリアがぽつりと呟く。
「そう……」
最後はトルネリア自身の手で復讐相手であったルスラーン公子に止めを刺した。
その時トルネリアは泣いていた。手から血を流しながら苦しそうに泣いていた。
「……その瞬間は少しだけ気が晴れたが、一瞬だけだ。ひどい苦味だけが残った。これならばホムンクルスの研究をしていた方が有意義な時間の使い方であったな」
冗談めかして笑う顔は無理をしているのが見て取れて痛々しい。
「何故だろうかと、お主が眠っている間ずっと考えていた。そしてわかった。復讐はそこで終わりなのだと。その先がないのだと。だが研究は今の積み重ねと、未来しかない。どちらがいいのか考えるまでもない」
再び笑う。
今度は心からの喜びが溢れた笑みだった。
「研究をしていたときは、母が笑っているような感覚を覚えていた。復讐に走っていたときは、母の苦しそうな姿しか思い出せなかった……」
小さく首を振る。白い髪がさらさらと揺れる。
「あやつも同じではないかと思う。いまのあやつには未来が見えていない。だから、こき使って、使い倒して、先しか見えないようにしてやる。安心しろ」
「トルネリア、ありがとう」
「なんだ改まって……こちらこそ、だ。お主は少し、母に似ている。ほんの少しだけだがな」
それはトルネリアなりの最上の褒め言葉なのだと、照れたように微笑む顔を見ていれば、よくわかった。
「今更だが、悪かった。勝手なことをして。反省している……」
トルネリアのうなだれた頭を撫でる。さらさらとした感触が気持ちよかった。
「うん。これからもいっしょに頑張りましょう」
「……ああ」
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トルネリアと道を分かれ、ノアは廊下を進む。
ファントムの今後のことは気にはなるが、トルネリアに任せていれば大丈夫だろう。トルネリアはもうしっかりと前を向いている。
ファントムにはまだまだ周囲との軋轢もあるだろうが、ファントム――フェリクは、優秀な錬金術師だ。立ち回りも上手い。
その他の戦後の処理ことは、いまはあまり考えないようにする。
あまりにも多くの犠牲を見てしまった。王国はこんな戦争をずっと続けていたのだと思うと、陰鬱な気持ちにしかならない。だがいまはまだ足を止めるわけにはいかない。
イヴァン皇太子を帝都へ送り届け、この動乱を鎮める必要がある。そのためにはまず帝都へ赴き、現状を把握しなければならない。カイウスの真意を知らなければならない。
何を思い、何をしようとしているのか。
(――怖い)
公爵の話と、皇帝殺しの姿を思い出し、足が竦みそうになる。三百年前のあのときのように、また自身を封印して逃げられればどれだけ楽だろう。しかし再び目覚めたときの後悔を想像すれば、とても耐えられそうにない。
ふらつきそうになる足で廊下を進む。ノアの使っている部屋の前に、誰かがいた。
小柄な身体に、ウサギのような長い耳。
「アニラ」
名前を呼ぶと、アニラはぎこちなくこちらに顔を向けた。
「お、お食事をお持ちしました」
手に持ったトレイの上には、蓋を被った深い皿と、やわらかそうなパン、湯気の立つカップが置かれていた。
「……ありがとう、入って」
扉を開けて先に入ってから、アニラを部屋に迎える。
テーブルの椅子に座ると、ノアの目の前にトレイが置かれる。
カップを手に取り、あたたかい蜂蜜入りのミルクを一口飲む。やさしい甘さがじんわりと喉と胃を癒やしていく。懐かしい、好きな味だ。そのまま半分ほど飲む。
深皿の蓋をアニラが取ると、穀物と小さく切った野菜の入ったとろりとしたスープが姿を見せる。匂いに食欲が刺激され、スプーンを手に取る。
「おいしい」
食べるとじんわりと身体に沁みていく。作り手の気遣いが嬉しい。そして何よりおいしい。途中でパンとミルクを食べながら、あっという間に完食する。
食べ終わってアニラに食器を返そうとすると、アニラは目に涙を溜めていた。
「ノア様、あの、あたし、ただ心配で……」
目元を拭い、胸に詰まっていた言葉を口にし始めた。
「ノア様すぐに無理するし徹夜するし倒れるしどこかへ行ってしまわれるし、心配で……」
改めて聞かされるとひどい。あまりにも自分勝手で自由奔放すぎる。そのせいでアニラを泣かせていると思うと胸が痛んだ。
アニラのウサギのような長い耳は、遠くの音も良く聞こえるという。その耳でかつて家出をしたノアを見つけてくれたこともある。
アニラはきっと、地下を出ていく前のノアとヴィクトルとのやり取りを聞いていたのだろう。
「アニラは何も悪くないわ。いつもありがとう」
誰も悪くない。アニラもヴィクトルも。自分の仕事をしていただけだ。
悪いのは感情的になった自分だと、ノアもわかっていた。感情のままの選択に後悔はないけれど。
「――アニラの整えてくれる部屋はいつも居心地がいいわ」
「あ、ありがとうございます……」
「ニールさんの料理や気遣いにはいつも癒されているし、クオンさんの手先の器用さや、マリーのよく気が付くところにはすごく助けられている」
アニラの手を撫で、顔を見つめる。
「私はすごく幸せだと思う。だから、アニラは自分の仕事に誇りを持って」
「ノア様……あたし……あたし、かんばります……! もっともっと、もっと!」
「アニラは頑張ってくれているわ。ちゃんとわかってるから、無理はしないで。私も無理は控えるから」
「約束ですよ……」
ぽろぽろと零れた涙がノアの手に落ちる。やさしくてあたたかい涙だった。






