6-30 終幕を告げるもの
乾いた拍手が、夜明けの光の中に無遠慮に響く。
何処からか現れたファントムは、地面に落ちたままの鉄くずを拾い上げた。自分が撃ち込んだ弾を。
「兄の婚約者への恋慕と、忠義からの身の破滅――喜劇にしては少し犠牲が多すぎたかな」
鉄くずを指で挟んで眺めながら歌う。
その周りを兵士たちが取り囲む。アリオスの兵だけではない。公爵兵も、ルスラーンの護衛だったふたりも怒りをにじませファントムを睨んでいた。
ファントムはそれらを楽しそうに眺め、ヴィクトルに向かって恭しく礼をした。
「――さて。まずはおめでとうございます、フローゼン侯。表立った政敵はことごとく消え、新皇帝の絶大な信頼を得て後見人となられる貴方に、敵はもういない」
張りのある声が響く。まるで舞台に立つ役者のような風情だった。
「見事な手腕、感服いたします。あとは帝都に凱旋されるのみ。最後まで見届けられないのが残念ですが」
軽く右手を上げる。
そこには短剣が握られていた。
「さて、これにて終幕だ」
低い声と共に、己の喉を突く。一瞬の躊躇いもなく。
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夜の中で目を覚ます。
あの夜の続きか、次の日の夜なのか、ノアには判別できない。痛む頭を押せながら、やわらかいベッドから身を起こす。
見慣れ、住み慣れた部屋だった。侯爵邸の客室だ。ベッドに座ったまま頭を抱える。
(戻らないと言っていたのに戻ってきている……)
自分の意思ではないと言えど。
服も寝着に着替えてある。自分で着替えた記憶はない。身体がだるい。頭が痛い。喉がカラカラだ。サイドテーブルに置いてあるコップに水を満たす。また、頭が痛む。
――導力切れがまだ回復していない証の痛み。
完全に導力が切れた瞬間までは覚えている。呪素が魂を食べようと忍び寄ってくる身体を、トルネリアと共に必死に修復して、修復して。
最後は倒れた。
そして侯爵邸に運び込まれてきたのだろう。
それにしてもいまは夕方なのか、明け方なのか、どれくらい寝ていたのか。
水を飲んで少し冴えてきた頭で、自分の身体を点検する。怪我はない。無事だ。ベッドから立ち上がる。歩ける。壁に掛けてあったガウンを羽織って、部屋から出た。
廊下を歩き、客室のひとつの前に立つ。中に人の気配があるのを確認して、扉をノックする。
「入るわよ」
返事を待たずに扉を開く。鍵は開いていた。
ベッドの上では首に包帯を巻いたファントムが、身体を起こして外を見ていた。
気力も生気もないその様は、まるで本当に亡霊のようだった。
ファントムが自分の首を斬った直後、ノアとトルネリアで懸命の治療を行い、ファントムは一命をとりとめた。
ルスラーンの護衛ふたりは毒で自死した。こちらは治療が間に合わなかった。助かる命もあれば、助からない命もある。その選別はまったくの偶然であり、奇跡の連続だ。錬金術師になっていままで、数えきれないほどそれを見てきた。
「本当、恥の多い人生だ」
窓の外を眺めたまま、枯れた声で呟く。その声からは、ファントムが持っていたどこか甘い響きは消えていた。
「生きているだけで奇跡的なことよ」
ノアはベッドの横の椅子に座る。
「喋れてよかった。声は、いつか治るかもしれないから」
「案外気に入っているよ、この声」
振り返る。顔色は悪いが、回復へ向かっているのがわかる。緑色の瞳は、やはり彼の姉であるレジーナのものとよく似ていた。
「どうして僕を助けたんだい」
「私の目の前で死にかけてたから。まだ助けられそうだったなら、助けた。あの時はただそれだけ」
「そうだね、君はそういう人だ……まるで贖罪のように人を救い続ける」
安心したような、寂しそうな顔で、静かに言う。
「贖罪……かはわからないけれど、誰かを助けることで私も助けられているかも」
「君らしいよ、まったく」
ファントムは困ったように笑う。
いまのファントムには拘束具はつけられていない。ヴィクトルが不要と判断したのだろうか。ファントム自身にも逃げるつもりはなさそうだった。
緑の瞳がノアを覗き込んでくる。こちらの心の中まで覗くように。
「それで、何を聞きたいんだい」
「ルスラーン様はどうしてあんなことをしたの」
弱った状態の患者に話を促すのはどうかと思ったが、話せそうなら聞いておきたかった。ルスラーン公子の凶行の理由を。
「そうだね……あの人が受けていた命令は、フローゼン領の村を焼くことだった。民を焼き出して、避難民をアリオスに集めることが、遊撃隊の仕事だった」
――恐ろしいことを考える。
騎馬を中心とした機動率の高さと少人数の利点を活かした戦術だ。食料は現地調達。いざとなれば超越者という兵器もある。
避難民を受け入れればアリオスに負荷がかかり、治安も悪化する。
「でも公爵は、暗殺されるどころか、人質なんかになってしまった。後続の兵も見込めない。僻地で見捨てられた状態だ。だから、預かっていた兵を壊滅させた。――ああ、理解できないって顔だ」
「できるわけがないでしょう」
「人はいつだって理性があるわけじゃない。自暴自棄になる瞬間もある。あ、もちろん僕は何もしていないよ。ただ公爵の現状を報告しただけさ。いや本当に」
嘘だとも思えないが、ファントムの行動を見ていれば、ルスラーン公子の忠実な部下ではなかったことは明白だ。
各々の思惑があの惨劇を生んだ。そして引き金を引いたのはルスラーン公子だ。
「それに、あの人には別の思惑もあった」
「どんな?」
「罪を犯さない内に無惨にやられれば、捕虜として受け入れてくれるかもしれない。そしてそれは叶った。うまく捕虜となり、父と対面できた。そして、あの演説を聞いて、とうとう爆発した」
「…………」
「あの人は皇帝陛下を敬愛していた。簒奪者となった父が、更に陛下の名を汚そうとしたのが許せなかったんだよ……忠義に厚い話さ。泣かせるよね」
笑ってはいるが揶揄するような響きはない。
「水、貰えるかな」
サイドテーブルのコップを取り、水を生成して満たす。喉に負担がかからないように常温にして、渡す。
ファントムは水を飲んで一息つくと、再び静かに話し始めた。
「あの人は、優秀な弟となるように育てられた。公爵になる兄を補佐する弟として」
――優秀な弟として育てられながら、しかしルスラーンはいつしか野望を持つようになってしまった。きっかけは、ルスラーンの幼馴染の女性が、兄ドミトリと婚約したことだったことだった。
どうしても諦めきれなかったのか、ルスラーンは少しずつ破滅的な思考を持つようになった。兄が次期当主としての資格を失えば、自身が公爵家を継ぎ、幼馴染の女性との婚約も引き継がれるはずだ、と。
兄がヴィクトルをライバル視しているのを利用して、ドミトリの仕業と見せかけて策を弄し、ヴィクトルを激怒させて兄を殺させようとした。
ヴィクトルが兄を殺せばヴィクトル自身も処刑は免れない。
それはフローゼンを嫌っていた父も喜ぶ。
ルスラーンの仕業とはわからないように、陰で策を弄し続けた。ヴィクトル・フローゼンを嫌っている貴族はたくさんいるため、身を隠すのには困らない。
そして行動は段々と過激になっていき、ルスラーンはやがて森に住む魔女から毒を入手した。トルネリアの母を殺して。
「毒を使って、手駒を増やしていった。従わなければ――ってね。僕もその一人さ」
自嘲気味に笑う。
その毒は、ヴィクトルの妹ベルナデッタも蝕んだ。
そしてニコライ・ボーンファイド公爵も。
「君に呪いを解いてもらってから、僕はあの人への復讐を考えた。いつ裏切るのが最も効果的か考えながら、あの人の下に居続けた」
「それは、レジーナさんのためでもあるんでしょう?」
「不意打ちだな……それ、姉さんには黙っておいてくれるかい」
否定はせずに口止めだけ求めてくる。ノアは首を傾げた。
「不肖の弟は、不肖の弟のままでいいのさ。光の下を歩くあの人とは生きる世界が違うんだから」
ファントムが呟いたその瞬間、扉が慌ただしく押し開けられた。
「何が生きる世界が違う、だ。馬鹿馬鹿しい!」
嵐のようなすべてを吹き飛ばす勢いで入ってきたのはトルネリアだった。
生命力に溢れた赤く輝く瞳がファントムを貫く。
「貴様の力は使える。だからしばらくは我が使ってやることにした。治療費の代わりだ」
口元に勝ち誇る笑みが浮かぶ。
「我の治療費は高くつくぞ。払い終わるまで逃さんからな」
「……生かされたからには、僕の命は君たちのものだ」
「そんなものはいらん。贖罪は命ではなく、行動で示せ。侯爵の許可も取ってある。思う存分、我に使われるがよいぞ!」
諦めたように苦笑するファントムの表情には、まるで夜明けのような穏やかさが浮かんでいた。






