6-27 戦場の後始末
ヴィクトルとルスラーン公子の対面は、森の中で実現した。
「我々を助けていただきたい」
地面に手をつき、頭を深く下げ、ルスラーン公子は助けを乞う。
「通達もなく領地に部隊を踏み入れた時点で、このようなことを言う資格はありません。だが兵士に罪はない。すべて私の責任です。そちらの要求はすべて受け入れましょう。どうか、兵の命だけはいただきたい」
ヴィクトルは立ったまま、その降伏を聞いていた。
「すぐに我が兵がやってくる。それまでに負傷者の救助を進めておくことだ」
そして、戦場の後始末が始まった。
ノアはまだ気絶したままのトルネリアの無事を確認した後、ゴーレムにトルネリアを再び乗せて、負傷者の治療に向かった。
すでに公爵軍の兵たちの内、軽傷者が重傷者の救助を進めている。
ノアは水の手配と邪魔な穴の埋め立て、そして重傷者の治療をして回った。死なないように命を繋いだだけではあるが。
完全に治していく余力はなく、降伏したとはいえ敵兵力を治すことの危険性も理解していた。
その間、ヴィクトルはずっとノアの傍にいた。
お互いを守り合うためにもそれが一番都合がよかったが、誰もこちらに近づこうとはしなかった。
平原には常にバーミリオン卿から柔らかな風が吹き、死のにおいが充満することはなかった。
フローゼン侯爵兵が到着したのは昼すぎだった。あまりにも早い。もともと、公爵軍を迎え撃つため準備されていた部隊だろう。ノアがアリオスを飛び出してすぐに、ヴィクトルが出発させていたに違いない。
生き残った公爵兵は捕虜となりアリオスへ向かうこととなった。
二百人中、半数は死亡もしくは逃亡し、生存者のうちその半数が重傷だった。心に深い傷を負った者も多くいる。無事な兵はほぼいなかった。馬も多くが死に、もしくは再起不能になった。
死者の埋葬にはノアが開けた穴が使われた。死体の放置は疫病の発生に繋がる。
出発するときになっても、トルネリアはまだ目覚めなかった。
アリオス到着したのは、夜明け前。
城壁の外側にはたくさんの篝火が焚かれていて、天幕がいくつも張られている。これだけの数の捕虜を街の中に入れるわけにはいかない。大混乱になることが予想されるため、公爵兵は外に置かれることとなる。
重傷者用の天幕には医者が集められていて、次々と人が運び込まれていく。
アリオスは医者が多い。これで多くの人々が助かるだろう。
ノアはトルネリアをアリオス内の診療所に運んでから、再び外に出た。本部として立てられた天幕の外に座り、そこからずっとルスラーン公子の動きに気をつけていた。
しかし既にルスラーン公子は廃人同然になっていて、魂を失ったかのように気力をなくしてしまっていた。
壁を背にして、東の空をずっと眺めている。その周囲はアリオスの兵で固められ、武器は取り上げられ、当然ながら護衛とも引き離されてる。
その姿は周りの兵士からはどう見えているのだろうか。
天幕の中にニールが入っていく。ヴィクトルを呼びに来たのだろうか。ニールはほどなく出てきて、ノアの横へと来る。
「ノア様、トルネリアさんが目を覚ましました」
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城壁の中に戻り、トルネリアを預けた診療所へ走る。
大きい通りから横に入ったところにある、小さめの診療所。医師は公爵兵の治療に出ており、中には顔なじみの看護師が一人残っていた。
奥の部屋のベッドに向かうと、清潔な白いシーツの上で身体を起こそうとしているトルネリアの姿が目に入った。
「トルネリア!」
「ええい、うるさい……周りに迷惑だ」
声は枯れていたが、いつもの調子に安堵する。
「よかった。水は飲める? お腹は空いてない?」
「過保護……水をくれ」
コップに精製した水を満たし、塩分と糖分を混ぜてトルネリアに渡す。
トルネリアはそれを両手で受け取ると、少しずつ飲んで乾いた身体を潤す。
「トルネリア、もし話せそうなら何があったのか順番に教えて」
目覚めたばかりで無理はさせたくなかったが、いまはとにかく情報がほしい。
あの場所で何があったのか。あのスレイプニルが現れた原因を。
スレイプニルが超越者なのは間違いない。あの力も、再生力も。
だが何故あの場所に現れたのか。公爵軍しかいない場所に。ルスラーン公子かファントムの仕業だとしたら、わざと味方を壊滅させたということになる。それはあまりにも、有り得ない。
トルネリアは水を飲む手を止めて、ゆっくりと口を開いた。
「ファントムを連れ出して外に出てから……」
途切れ途切れにだが、はっきりとした言葉で。
「軍隊の中にいるルスラーンを見つけた。我らは森に潜み、ファントムが油断させるためにと言って、近づいて……」
「うん」
「何か話したあと、ルスラーンが馬に何かを――そうだ、何かが弾ける音がした。そうしたら、そうしたら……あの、化け物が……っ」
「トルネリア!」
水が零れ、トルネリアは頭を抱えて身体を大きく揺り動かす。強いストレス反応。
ノアは錯乱するトルネリアの身体を抱きしめた。
「わかった、もういい。もういいから」
どんな恐ろしい光景を見たのか、想像がつく。八本足の馬に蹂躙された人々と大地の姿を思い起こせば、簡単に。
(馬? 馬を超越者に?)
トルネリアの身体を抱きしめながら戦慄する。
八本の足をうまく使えていないと感じたが、元々が馬だったとしたら納得がいく。
弾ける音とはなんだろう。考えられるとしたら――銃だろうか。
だがルスラーン公子も、護衛も、ファントムも、銃など持っていなかった。身体検査をして武器になるものはすべて取り外した。あんな大きなもの、持っていればすぐに気づく。
銃でなければ何なのか。
銃だとしたらどこへ消えたのか。
「恐ろしい光景だった……逃げるしか、できなかった……そうしていたら、お主を見つけて――ああ、夢かと、思った……」
「夢じゃない。夢じゃないわ。私はここにいる。約束したもの」
涙の伝う頬を拭い、背中を撫でさする。
荒く浅くなっていた呼吸が、少しずつ落ち着いてくる。
「……混乱のさなかにファントムが戻ってきて、そこからの記憶はない……」
「…………」
ノアが見たとき、ファントムが気絶したトルネリアを守っていた。
ファントムがトルネリアを気絶させたのだろうか? だとしたら何故か。ノアに、トルネリアが見たものを知られたくなかったから?
ファントムはスレイプニルがいきなり現れたと言っていた。しかしトルネリアはファントムと話した後、ルスラーン公子が馬を超越者にしたと言っている。
(ルスラーン公子は、賢者の石の失敗作をまだ持っていた……)
そして、自分の家の兵士を壊滅させた。
(どうしてそんなことを……)
ファントムがルスラーン公子に伝えたのは、公爵が自領から攫われ侯爵邸に捕らわれている情報だろう。それが何故、自軍内で超越者を誕生させることに繋がるのか。
自暴自棄になったとしたとしても、あまりにも破滅的すぎる。
ルスラーン公子は内乱を避けようとしていただけのはずなのに。
(ルスラーン様の目的は、内乱を避けることじゃない……?)
思考するノアの腕に、トルネリアの指が食い込む。
「ノア、あやつに気をつけろ」
痛いほどの力が、指先にこもる。
「あやつの囁く声は――ファントムの声は、人を狂わせる」
――白のグロリアも、そんな声を持っていた。
「わかった。ありがとう、トルネリア」
トルネリアを抱きしめていた手を放す。
「待て、我も行く!」
外に出ようとしたノアを、必死な声が呼び止める。
振り返ると、トルネリアは徹夜で作業するときのための疲労回復薬を一気に飲み干し、ベッドから立ち上がった。二本の足でしっかりと。
「止めても無駄だぞ」






