6-24 錬金術師は無力で無謀
ノアはゴーレムを走らせ、スレイプニルが暴れまわる平野を迂回しながら、爆発の起点となった場所へ急ぐ。
その路は凄惨極まりないものだった。踏み潰された死体だらけで、まだ生きている重傷者もいる。
いまなら助けられるかもしれない。だがここで立ち止まれば、ノアもスレイプニルに蹴り殺される。
地獄というのはこの路のようなものだろうか。
歯を食いしばってそれらに背を向け、森の中へ突入する。あの時見た爆発の位置関係と、トルネリアの射程を考えるに、この森の中にトルネリアが潜んでいる可能性が高い。
森の中も地獄そのものだった。
蹴り上げられ宙に舞った死体やその一部が枝にかかったり、落下していた。
赤黒い雨が、落ちる。
息が苦しい。
生存者のいない森の中を走る。刹那、鬱蒼とした暗がりに、更に濃い影が浮かび上がった。
黒い石の巨人の影が。
その背にはファントムと、トルネリアの姿があった。
ノアの姿を見たファントムの顔に、歓喜の色が浮かぶ。
「ああ! 女神様!」
ノアはゴーレムに乗ったまま、ファントムの黒ゴーレムの前に行き、横で停止させる。
「トルネリア!」
トルネリアはゴーレムの背の上でぐったりと倒れ、瞼を固く閉じていた。
「大丈夫、頭をぶつけて気絶しているだけさ」
更に近づいて手を伸ばし、頭の中を診る。内部に損傷はない。息や脈にも異常はない。安堵し、浅い傷だけ治療する。
あとは目覚めを待つだけだ。疲労が溜まっているため、少し時間はかかるかもしれないが、命に別状はない。
危険なのはむしろいまのこの状況だ。
あのスレイプニルもだが――
「ファントムさん、どうしてトルネリアを攫ったの」
「いやいや攫われたのは僕の方だよ。案内役としてね」
「そうなるように、トルネリアをそそのかしたでしょう? どういうつもり」
「いや、それよりもまずは生き残ることを考えようよ。僕のこととかは後で話すから!」
「……絶対だからね?」
ファントムはこくこくと頷く。
「まず、あの馬の化け物のことだけど。あれは森は何故か嫌がるみたいで、割と安全なんだ。完全にじゃないけれど。外に出て弄ばれるより長生きできると思うよ」
朗報なのか悲報なのか。どちらにせよ運命は暗い。
「いやぁしかし、どうしたものだろうね。こんな暴れ馬。逃げるにしても運が良くないとああなるし、僕は運が悪いし」
「あなたの仕業じゃないの?」
「まさか! あとでトルネリアにも聞いてくれていい。僕は無実だよ! 離れたところで様子を見ていたら、いきなりあれが現れたんだよ」
必死の弁明は、怪しいところはあるものの嘘にも見えない。
色々なことを聞きたいが、そんな時間はない。スレイプニルはいまだ猛り狂い、駆けまわっている。森の中が安全といえども、いつまでもそうである保証はない。
「で、どうする? 何か策はないのかい?」
「ない。ずっと考えてるけど、思いつかない」
きっぱりと言い切ると、ファントムは絶望的な苦笑を浮かべる。
「穴に落とすのは? いつものように」
「こんな大きいのは無理」
しかも相手は八本足。
数カ所に穴を空けて嵌めるにしても、同時に落とさなければ抜け出される。
「うわぁ、意外と普通なんだね……」
ファントムを穴に落としたくなる。
「ファントムさんこそ、超越者には詳しいんでしょう?」
「これが超越者なら、あのナイフを抜けば止まるはずなんだけど……どこだろうねぇ。まったく見当たらないんだよね」
命の危機にあるにも関わらず、のんきな顔で笑う。
ノアも同様に考えて、ナイフを探したがいまだに見つからない。
アリオスを焼いた、炎の魔人イフリートの時と同じように、体内に取り込まれてしまったのだろうか。そうなると摘出は絶望的だ。
重く響くのは、迫りくる死の足音。大地の悲鳴。破壊される音。理不尽そのものの音色。
「はぁ……錬金術師って暴力の前では無力だよ」
ファントムは何もかもを諦めて、世を儚むように呟く。
「同感」
錬金術師にすべてを解決するような力はない。錬金術師は女神ではない。
「でも僕はまだ死ねない。逃げてもいいかい?」
「いいわよ。あれは引き付けておく。だから、トルネリアをお願い」
ファントムは顔を強張らせ、ノアの顔を見つめた。すぐに逃走に向けて動くかと思ったが、動かない。その間も死の足音は無情に響き続ける。
「……脇役の身といえども、さすがに心が痛む」
口元に自嘲を刻んで、天を仰ぐ。
木々に覆われた天を。
「そうだな、たまには主役を演じてみせようか」
緑の瞳に光が灯る。
決意の眼差しが、ノアを見つめた。
「君はトルネリアを連れて逃げ――」
ぐいっと、ファントムの外套を引っ張りる。
「戦う気になったのなら手伝って」
「……せっかく決意したのに」
「無駄死にするのはもったいないわ。ひとりでは無力でも、ふたりならより大きいことができるかもしれない」
「君はどうしてそんなに強いのかな」
独り言のように言って、ため息を零す。気を取り直すように首を軽く振り。
「戦うって、どうやって?」
「足を一本ずつ折る。たぶんすぐに再生するでしょうけど、それしかない」
関節に鉄の棒などを刺せたら一番なのだが。傷ついた組織が再生すればするだけ動けなくなるような、深い楔を打ち込むことができる。しかし、誰がそれをできるだろうか。
「で、僕は何を?」
「ゴーレムに私を乗せて、あれの周りを動いてほしいの。私は地面に穴を開けて、足を嵌めるから」
ファントムは微妙そうな顔をする。
あまり意味がないと目が言っている。
「動きを見ていたけど、あの馬は増えた足はほとんど使っていない。元の四本の足を重点的に攻撃したら、勝機はあるかも」
「すぐに治ると思うよ」
「うん。治させないか、治っても無駄なようにしないといけないんだけど……」
案はある。実現性は不安だが。
できれば成功確率を少しでも上げたい。ノアも死にたくはない。
時間をかければかけるほど犠牲者が出ているのはわかっているが、確実性は少しでも上げておきたい。失敗すればすべて終わりなのだから。
「ファントムさん、この部隊は攻城兵器を持ってきていないの? 投石器とか弩弓とか」
城郭都市を攻めるのにまさか騎馬隊だけで来ているわけがない。先行隊だけなら、もしかしたらそうかもしれないが。
それがないならノアのゴーレムを酷使することになる。穴を掘る方に集中したいのだが。
「僕は従軍してないからねぇ……見かけた気もするけど、どこへ行ったか」
軽く肩を竦めて、周囲を見回す。すでに破壊されている可能性もあるが、あるならば希望は残っている。
「――それがあれば、この状況を変えられると言うのですか」
ノアの問いに反応したのは、ファントムではなかった。
奥の茂みが揺れ、三つの人影が現れる。服に血を滲ませ、腹部を押さえたルスラーン公子と、ふたりの護衛が。






