6-23 暴虐のスレイプニル
ゴーレムは夜の大地を駆ける。
馬を上回る速度で進む石人形にしがみつき、夜風に打たれながら、ノアは今後のことを考える。
公爵家の部隊との鉢合わせは避けたい。だがルスラーン公子は部隊と合流するだろうから、ルスラーン公子を追うトルネリアを追う以上、邂逅は避けられない。
少しでも見つかりにくくするため、農地を抜け次第、街道を避けて進む。
トルネリアも真っ向からルスラーン公子に突っ込んだりはしないだろう。万が一でも失敗しないように、周囲に潜んで機会を窺うはずだ。
実行までの間にトルネリアを見つけることができれば――……
(私は、どうするんだろう)
止めるつもりはない。止められない。復讐なんていけないことだと、軽々しく言えるはずがない。
(私がトルネリアの立場だったら……)
まずは事実確認を行う。
話を聞くために、まずは話ができる状況に持ち込む。すなわち誘拐だ。
話を聞いて許すことができなければ、手を下すだろう。
そのとき、誰かに止められたら、止まれるだろうか。
(――わからない)
すべてはその瞬間になるまで、わからない。
夜から朝へ。夜闇から淡い光へ。薄い霧の中、ノアは大きな木の根元で一旦ゴーレムを止めた。
いまだファントムとトルネリアの姿も、公爵家の部隊も見えない。
ゴーレムから降りて、大地を踏みしめる。
(身体中が痛い……)
乗り心地より速度を優先した状態で、一晩中移動し続けた弊害が出ている。
亜空間ポーチからカップを取り出し水を生成して中に満たし、茶葉を入れて煮立たせる。砕いた木の実や干した果実、蜂蜜、麦を固めた携帯食料を取り出し、端からかじる。かなり固いので茶でふやかして柔らかくしながら。身体に沁みる甘さだった。
その時、近くで人の気配がした。
ひとりではない。
地面を擦る足音に、鎧の金具がぶつかる音が混ざる。
木の陰からこっそりと顔を出し、音のする方向を見る。
負傷した兵が、何かから逃げるように西に向かっているのが見えた。一頭の馬と共に。
鎧はひしゃげている者や、全身は泥だらけの者、出血を応急処置している青い顔の者。六名全員、濃い疲労にまみれていて、何とか生きて歩けている、という状態だった。
その中の一人がノアの姿を見つけ、ぱっと生気を溢れさせた。
「――あ、あんた近くの村人か? 頼む、どうか助けてくれ!」
「どうしたんですか? もしかして、戦争……ですか?」
警戒しながら聞くと、慌てて首を横に振る。
「いや、違う。俺たちは誰とも戦っていない。化け物だ。突然現れた化け物のせいで……あんたも東にはいかない方がいい。いや、すぐに逃げた方が……」
悲痛な声は哀れなほどに震えている。感じたであろう恐怖は本物だった。
「化け物……ですか?」
「とてつもなくでかい馬だ。足が八本もある」
「十本じゃなかったか」
「いや六本だろう?」
本数談議で盛り上がる。とにかく、足の数が多い巨大な馬の化け物が暴れまわり、彼らは怪我をしたらしい。この分では部隊も壊滅状態なのだろうか。それとも彼らだけが逃げ出したのか。
「よくわかりました。まずは怪我の治療をしますね」
ノアは負傷兵たちの大きな怪我を少々荒っぽいながらも治療した。傷の化膿を治し、傷口を塞ぎ、骨折を治す。
「す、すげえ。あんたは聖女なのか……?」
首を横に振る。
「いえ、旅の錬金術師です」
「錬金術師だって?」
頷き、西の方角を指し示す。
「このまままっすぐ街道を西に向かえば、一日ほどでアリオスの街に着きます。アリオスに着いたら、戦う意志のないことを示してください。捕虜の扱いを受けられるはずです。これは水と食料、あと解熱剤です。熱や痛みがひどい時に飲んでください」
馬に積み込める量の物資を亜空間ポーチから取り出し、渡す。
馬が水を飲めるように地面に穴を開けて石でコーティングをし、そこを水で満たす。
「すまない、何から何まで……錬金術師にもあんたみたいなのがいるんだな……」
錬金術師の評判が悪すぎる。公爵の錬金術師はどんな態度を取っているのだろうか。
「あと、この子と同じようなものを見かけませんでしたか」
近くに座らせているゴーレムを指し示す。
「岩……? 妙なかたちの岩だな……」
停止中のゴーレムはまったく動かないため岩そのものだ。動かした方がイメージが湧くだろうかと動かそうとした時、兵のひとりが顔を上げた。
「俺は見たぞ。同じようなかたちの大きな影が、部隊から遠く離れた場所を走っていったのを」
「ありがとうございます!」
ゴーレムに飛び乗り、起動させる。
驚いて腰を抜かす兵たちに頭を下げ、東へ向き。
「どうかお気をつけて」
走り出す。
「あっ、おいっ! そっちには化け物が――!」
##
走る。走る。東に向かって。森を、平野を、丘を。
そして、それはほどなく見つかった。
探す必要のないほど目立っていた。
森よりも背が高く、獰猛にいななき、戯れるように時折高く跳ねる。
その姿は、離れた小高い丘の上からでもよく見えた。
八本足の蒼い馬が、部隊を蹂躙している姿が。
(なに、あれ……)
逃げてきた兵から聞いていた通りの姿。八本足の、巨大な馬。まるで伝説のスレイプニル。
負傷兵が言っていた化け物に間違いない。
そしてあの姿、理を超えたあの姿、賢者の石の失敗作の力で歪められた、超越者に間違いない。
スレイプニルの足下には逃げ惑う兵士たちがいる。
戦おうとしてもあまりにも大きさが違い過ぎて、戦いになっていない。統制も取れていない。これでは軍隊の利点はない。
スレイプニルは哀れな兵たちを追い立てて、遊んでいる。
走って逃げ道をつくっては、戻って逃がさないように回り込み、運の悪い人間を、踏み、砕き、弄んでいる。
地面には血や人間だったものがこびりついていた。風に乗って、死の匂いが流れてくる。
正に、暴虐の化身だった。
(止めないと……でも、あんなものどうやって)
対処法がいくつか頭に浮かぶが、どれも現実的ではない。
このまま突っ込んでいっても、何もできずに踏み潰されるだけだ。
――怖い。
いますぐ背を向けて逃げてしまいたい。身体が震えて動かない。
刹那、スレイプニルの眉間で爆発が起こる。
閃光が弾け、爆音が響き、巨体が仰け反った。
「トルネリア……」
その爆発は、トルネリアの使う錬金術での爆発によく似ていた。否、同じものだ。
(戦っている……)
トルネリアはあの場所で戦っている。スレイプニルに立ち向かっている。
全身が、かっと熱くなった。
(迷っている場合じゃない!)
ゴーレムを動かし、突き進む。
混乱のさなか、運命の渦中へ。






