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6-22 消えた錬金術師




 トルネリアは約束を破るような人間ではない。世間知らずなところはあったが、彼女の性質は真面目そのものだ。

 だがその見立ては、侯爵邸の地下に戻った瞬間、打ち壊された。


「これは……」

 地下牢の鍵は壊され、捕らわれていたファントムは姿を消し、床には壊れた手錠の残骸が。そして壁には大きな穴と、腕を埋め込まれたクオンの姿があった。


「クオンさん!」

 意識はある。ただ石壁に左腕が飲み込まれている。泥の中に腕を入れたかのように。

 苦々しく呻くクオンの腕を覆う石を分解し、砂にする。

 取り出せた腕は傷ひとつなかった。クオンの身体も詳しく見てみるが、新しい傷はない。


「……トルネリアさんが、侵入者を連れて逃げました。止めようとしてこのザマですよ」

「追いかける」

 壁に開いた穴の先は既に埋められている。行き先は予測がつく。ルスラーン公子のところだ。ファントムを案内人にするつもりで連れ出したのだろう。


「待ってください。勝手な行動をしないでください」

「でも、このままじゃ――」

「追う必要はない」

 地下に響いた冷徹な声に、その言葉に、信じられない気持ちで振り返る。

「ヴィクトル……?」

 暗がりの中に、ヴィクトルが立っていた。後ろにニールを連れて。




 いまの言葉を聞き間違いと思いたい。それでも耳は確かにそう聞いた。

「必要ないってどういうこと?」

 確認のためにも聞くと、ヴィクトルは表情を変えることなく答えた。


「公爵の誓約は既に書面で記された。最早イヴァン様の皇位継承を邪魔するものは何もない」

(――いつの間に……)

 おそらく、ノアが眠っている間に。


「公爵家の軍隊と戦う必要もなくなった。ルスラーンが父親の意に沿えば、戦闘は起こらない。トルネリアがあなたとの約束を守れば、復讐も果たされることなく平和に解決する」

「どうしてそれを……」


 トルネリアとノアとの約束を知っているのかと、聞きかけてやめる。

 この家の中でのことで、ヴィクトルが知らないことがあるはずがない。

 ここは侯爵邸だ。しかも錬金術師なんて危険人物は、すべての行動も会話も把握されていて当然。警戒されていて当然。いざという時のために行動を抑制するための手段を講じておくのも、当然のことだ。


「監視していたのね」

 ここにいる使用人は、聴力や嗅覚、身体能力に優れた獣人ばかりで。

 錬金術師は最初から監視されていた。ノアも、トルネリアも、ファントムも。

 そしていまも。

 誰ひとりそれを否定しない。


 頭がくらくらする。

 泣きたいような、叫びたいような、負の感情が腹の中で渦巻く。

 嫌な考えばかりが浮かび上がる。

 ヴィクトルは、トルネリアがルスラーン公子を殺すことを容認しているのかもしれない――と。

 復讐を果たすのを認めているのではないかと。


(それが当然だ)

 ヴィクトルはトルネリアの気持ちを尊重し、肯定している。

(でも、私は――)

 ノアには否定はできない。トルネリアの選択も、ヴィクトルの決定も。

 復讐はトルネリアの権利だ。ノアには止めることはできない。

 それでも。


「私は行くわ。約束したもの」

 それでも――約束をした。守ると。トルネリアには命を助けられた恩がある。病にかかったノアを、トルネリアは助けてくれた。

 そばにいたい。守りたい。だから行く。これがノアの選択だ。

 理屈も正義も戦略も関係ない。いま心臓を燃やしているこの炎だけが行動理由だ。他には何もいらない。


「さようなら」

 別れの挨拶を告げて、ヴィクトルとニールの横を通り抜ける。引き止められることも、何かが起こることもなかった。


 本気になった錬金術師を誰も止めることはできない。

 ヴィクトルがどんな顔をしていたかは見えない。見ない。

 固い床を踏みしめ、地上へ続く階段を上った。振り返ることなく、走る。




 夕闇が迫る中、中庭へ向かう。バーミリオン卿が休んでいる場所へ。小山のような巨躯は先程と変わらない姿のままそこにあった。瞼がぴったりと閉じて丸くなった姿で。

「バーミリオン卿!」


 返事はない。健やかな寝息だけが聞こえてくる。

「起きてください! 起ーきーてー!」

 起きない。

 起きる気配がまったくない。


 昨夜無理をさせたから仕方がない。疲れて満腹になって体力を回復している相手をどうして起こせようか。

 無理やり起こして不興を買い、今後の協力が得られなくなるのは怖い。

 起きるのを待つのも現実的ではない。いつ目を覚ますのかまったく予想がつかない。


 馬で行こうかとも考えたが、馬は借り物だ。当主の意に反した行動をするのだから、侯爵家にはもう頼ることはできない。ゴーレムも、街中で走らせるわけにはいかない。事故が起きる。

 最後に頼れるのは自分の足。脚力を強化して、外に繋がる門へ走る。


 東門は普段から人通りが多い。

 戦争に備えて検問も厳しくなっているだろうから混雑が予想されるが、南門から回っていくよりは早いはずだ。

 トルネリアとファントムは、おそらくゴーレムで移動している。ファントムのゴーレムはかなり速度が速い。早く動かなければ間に合わない。


 ――ルスラーン公子は。

 賢者の石の失敗作を持っている可能性がある。

 大部分はノアが封印したが、その残りを所持している可能性が。


 普通ならトルネリアは負けない。だが万が一、超越者がつくられたら。

(トルネリアに何かあったら……)

 まだ、助けてもらった恩も返し切れていないのに。




 走りながら人の流れをかき分けて、東門へ進む。途中何度か人にぶつかり、転びそうになりながらも、ひたすら走る。

 東門へ辿り着いたら門番に挨拶して、そのまま門を走り抜けて、検問を待つ行列を抜けて、街の外へ。すっかり顔は知れ渡っていて止められることはなかった。


 城壁の外に出たとき、空はすっかり夜の色になっていた。

 人通りがなくなってから、ノアはすぐさまゴーレムを作り出す。速度重視の一人用ゴーレムを。その上に飛び乗って、一気に最高速度で街道を走る。東へ。


 アリオスの城壁の外、街道の両隣には広大な農地が広がっている。いまの時期は青い麦が育っていて、秋になれば黄金色に色づき、アリオスの人々の食を支える麦となる。

 ゴーレムの上から揺れる麦畑を眺めながら、ノアは苦い気持ちになった。


 もし戦闘になるとすれば、籠城戦を行うのか、野戦になるのか。

 籠城戦のほうが圧倒的に有利だが、この農地を踏み荒らされることになるだろう。火をかけられるかもしれない。そうなれば、今年の収穫は絶望的になる。

 それに留まらず森を焼かれれば、どれだけの被害が出るだろう。


 公爵の誓約があるため戦闘にはならないとヴィクトルは言ったが、相手がどう動くか正確な予想をすることなんてできない。

 それに、いま最も警戒するべきは、超越者の存在だ。賢者の石の失敗作は回収したが、まだ世界に残っている可能性はある。ルスラーン公子が持っている可能性も十分にある。


 超越者を戦争で使えば、どれだけの戦力になるか――……

(王国は滅びたけれど……)

 どれだけ大きな力を持っていても、滅びるときは滅ぶ。

 それでも甚大な被害は免れない。


(そんなこと、させない)

 ただの杞憂で済むことを祈りながら、天を仰ぐ。

 目に映る夜の空は、三百年前と変わらないものだった。

 この空も、この大地も。三百年前と変わらない。国の名前や土地の名前、その上で生きる命が変わっても、この世界は変わらない。


 空と大地にとっては、三百年なんて瞬きの間の出来事なのかもしれない。

 そう思うと少しの寂しさと、よくわからない安堵が胸に込み上げた。

 何があっても空と大地は変わらないのだから、好きに足掻いて、生きればいいと。




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