1-14 錬金術師は前を向く
城郭都市アリオスに戻ってきたころには、すでに夜になっていた。
門の手前でゴーレムから降り、ゴーレムを地面の下に帰す。
侯爵家に入ると、玄関先で待っていたメイドのアニラが、ノアを見て満面の笑みを浮かべた。
「ノア様! おかえりなさいませ」
「……ただいま」
慣れない言葉を聞いて、ノアはかなり間を開けてから答えた。
おかえり、なんて言われたのは久しぶりだ。
ひとりきりの家で自分にただいま、とは言っていたが。寂しい生活を送っていたことが突きつけられて地味にダメージを受ける。そしておかえり、という言葉がとても暖かく感じた。
「旦那様とニールさんもおかえりなさいませ」
「ああ。簡単な食事を頼めるか」
「はい!」
――主人へのあいさつが後回しでいいのだろうか。余計な心配をしてしまったが、ヴィクトルはまったく気にしていない様子だった。これがフローゼン侯爵家の普通なのだろうか。
軽い夕食を台所の方でいただいてから、アニラに案内されて昨日泊まらせてもらった部屋に入る。
「お着替えを用意していますので、どうぞ」
出されたのは寝室用の水色のドレスだ。
まったくの新品だった。もしかして、わざわざ用意してくれたのだろうか。
促されるままにローブを脱いだ時、アニラが悲鳴を上げた。
震える指で差された先を見れば、服の大部分が赤黒く染まっていた。
――忘れていた。
「ななな何があったんですかぁ! お医者様、お医者様を!」
「だいじょうぶ。傷は治ってるから」
急いで服を脱いで肌を見せる。もう傷跡すらどこにもない。古い切り傷も、大昔のやけどのあとすら消えている。
「ね?」
「うわぁ、本当です。やっぱりノア様は聖女様なんですね」
まだ新しい血に染まっている服と肌を交互に見て、感嘆の声を上げる。
「聖女ではない」
「いえ、どう見ても聖女様ですよ?」
聖女ではない。その言葉は嫌いだ。
でも。
聖女ということにしておいた方が、不思議な力で怪我や病気を治しても一応説明がつく。きっと分不相応な尊敬もされる。生きていくにはその方がかんたんだ。
(でもなんだかこう、認めたら負け的な)
ヴィクトルもニールも、錬金術を受け入れてくれた。ニールはとてもあっさりと、人体修復もゴーレムも受け入れてくれた。
だから思ってしまった。
錬金術という言葉がいまは忌み嫌われていても、ノアが正しく生きていれば、少しずつ受け入れられていくのでは、と。
侯爵令嬢だったころに出会った錬金術で、ノアは心を救われた。
研究をすること、人を治すこと、すべての時間が貴重で愛しいものになった。のめり込んでいくことで家族は離れてしまったけれど。
後悔はしていない。
(錬金術師が私だもの)
誇りをくれた奇跡の力を、自分が誇れなくてどうする。
「アニラ。私は錬金術師だから、自分の怪我を治せるの」
「錬金術師ですか?」
きょとんと目を丸くする。
「それってもしかして金がつくれるんですか?」
「つくれるけど、たとえば金一個つくるのに、金が三百個必要になるくらい効率が悪いの」
「なんですかそれ」
首を傾げる。
確かに奇妙な話だと思う。理屈があっていない。だから、錬金術では研究目的や腕試し以外で黄金はつくらない。
「でも、金よりも大切なものをたくさん生み出せるのが錬金術よ。私はそう信じている」
黄金は黄金でしかない。
しかし人の命を救うことや、生きるための技術を発展させることは、黄金以上の価値があるとノアは信じている。
「怪我が治せるのでしたら、もしかしてベルナデッタお嬢様のことも治せるのでしょうか」
奇跡を願う眼差しが、まっすぐに向けられる。
ノアは静かに首を横に振った。
「残念だけれど、それはいまの私には無理なの。でも、錬金術や医療が発展していけば、いつか治せなかった病気も治せる日がくるかもしれない」
アニラは残念そうに肩を落とす。
「そうですかぁ……いつかそんな日がくるといいですね」
前向きな明るい笑顔がノアの心を揺り動かした。そして決めた。錬金術師として生きていこうと。
「それで、どうしてこんな大怪我を?」
「……高いところから落ちて」
「本当にもうどこも痛くないのでしょうか」
「痛くないわ。身体を拭きたいから、水とタオルを貸してもらえる?」
「お風呂の方がいいですよきっと。いま準備しますね」
##
すっかり夜も更け、街も寝静まったころ。
ノアは寝室用のドレスにガウンを羽織り、屋敷の中をふらふらと歩き回っていた。一応屋敷の中は自由にしていいと言われている。
徘徊癖があるわけではない。歩いている方が考え事がよく進む。
それにしても、侯爵家の中は今日も人の気配がない。やはり使用人はごく少数なのだろう。生活はそれで回るのだろうが、掃除は大変そうだなと思った。
(こういうのを見ると、ハルに相談したくなるなぁ)
国家錬金術師を目指して全自動ハタキがけゴーレムや全自動床拭きゴーレムを製作していたゴーレム使いの同僚を思い出す。果たして彼は夢を叶えることができたのだろうか。
自律型の小型ゴーレムは王城から庶民まで確実に需要があると言っていたが、いまなら何となくわかる。
(それにしても、お風呂やっぱり最高だったなぁ)
大きな浴場、広い湯舟、上質の温泉を思い出して頬が緩む。
あれはとても良いものだ。三百年前はあんな素敵なものはなかった。地中から湧き出してきたという温かい水は滑らかで、肌がつやつやになる。
聞けば街の中にも温泉を利用した浴場施設がいくつもあるらしい。
三百年前と比べると、廃れてしまった技術もあるが、新しく素晴らしい技術や文化もたくさん生まれている。
(やっぱり新しいものはいい! もっと多くの人を治すためには、もっと知識を増やして、たくさん実験をして、技術を高めていかないとならない……そのためには、最新の知識を学ぶのが近道よね)
しかしこの場所では錬金術の遺跡はあれど、最新の情報は望めない気がする。
帝国の中心部なら、また錬金術の状況も違うのだろうか。倫理観の持ち方によっては容易に禁忌に足を踏み入れる危険な学問だが、利用価値は高いと思う。
価値があるのなら需要が高まり、発展していくのではないかと思う。
(やっぱり帝国の首都の方にも行ってみないといけない)
ヴィクトルは帝国貴族だ。しかも侯爵という高い地位。帝都に行く機会も多いだろう。
(機会があったら連れて行ってもらおうかしら)
――いや、面倒ごとに巻き込まれたり、逆に巻き込んでしまうかもしれない。行くなら一人で行くべきだ。それでなくてもヴィクトルとは近づきすぎている。
(薬の飲ませ方はともかく)
あの後の抱擁はなんだったのか。思い出すだけで顔が熱くなる。
激しく首を横に振る。
余計なことは考えない。いま考えるべきは、滅びた王都のアレクシスのことだ。
彼との決着をつけなければ、ノアは前に進めない。
とにかく情報が必要だ。文献と現地調査。いまできることはこのふたつ。
「どうかしたのか」
「ひえっ!」
いきなり前方から声をかけられ、驚きすぎて変な声が出る。
廊下の先にいつからかヴィクトルが立っていた。
こんな静かな夜なのに、まったく気配が感じられなかった。
ゆったりとした服装は、ノアと同じく寝室用のものだろう。もしかして足音を聞いて様子を見にきたのかのだろうか。物音はほとんど立てていないはずなのに。
「散歩です」
できるだけ平静を装って答える。怪しく見えるかもしれないが本当にただの散歩である。
「そうか。眠れないのなら、一杯付き合ってくれないか」
声はとてもやさしいのに、胸がざわつくいてしまうのは警戒心からか。
それでも、断る発想は生まれなかった。