6-11 条件交渉
息が詰まるような重い沈黙が続く。
突然、最高権力者の暗殺を依頼されて、すぐに決断できる人間がどこにいるだろうか。
窓辺にいたルスラーン公子が、座ったままのノアの方へ歩み寄ってくる。部屋の入り口にいるトルネリアがぴくりと動いた。
「神聖なる決闘の場で、皇帝陛下と皇太子殿下を殺害しようとしたのは誰だと思いますか」
公爵以外にいないだろう。皇帝が死んだあとの行動を見ればあからさまだ。
イヴァン皇太子の暗殺は失敗し、皇帝の暗殺はカイウスに乗っ取られたが。
――カイウスは今頃どうしているのだろう。ルスラーン公子は、カイウスのことを知っているのだろうか。
「矢に塗られた毒には気づいていましたか? これまでフローゼン侯に降りかかった数々の苦難、その首謀者は誰なのか、もうお判りでしょう」
次々と言葉が降ってくる。
「父はもう、その地位にいて良い人間ではありません」
言の葉ひとつひとつが氷のように冷たい。
ルスラーン公子は父親を完全に見限っている。
「父が皇帝になれば帝国は崩壊する。この地も、フローゼン侯も、滅亡するでしょう」
言いながら椅子に座り直し、長い足を組む。
これは脅しだ。依頼ではなく脅迫。
「……その提案を聞くよりも、あなたを人質にして皇太子殿下の戴冠を公爵に承諾させた方が、こちらの危険は少なくなりそうですが」
「私に人質の価値はありません」
きっぱりと言い切る。
「このまま私が戻らなければ、近日中に我が兵が動きます。この街を攻めるために。まあ、手ひどく負けるでしょうが」
「負けるとわかっていて、どうして」
「必要な犠牲というものです」
あっさりと答える。
「犠牲が出てしまえば、もう止まらない。戦の火蓋が切られ、内乱の火は瞬く間に燃え広がるでしょう。終わりのない戦乱の火が、大地に満ちる。それは私の望むところではありません」
それは初めて聞こえたルスラーン公子自身の望みだった。
内乱を避けたい――それが暗殺の依頼を決意させた理由。
「内乱になれば、どちらが勝ったとしても国は疲弊する。異国からの干渉でこの国は滅びるでしょう」
その未来はノアにも容易に想像できる。
それでも簡単に頷ける依頼ではない。
自分の手を握る。指先が冷たい。
錬金術師のできることは、暗殺にも適している。潜入も、実行も、普通の人間よりよほど成功率が高いだろう。 それでも、人を殺すことへの拒否感を消すことはできない。
適当に返事してアリオスから追い返すこともできるだろうが、それはそれで、次に何をしてくるかわからない。かといって変に言質を取られるわけにもいかない。
しかしその依頼は、成功すればこちら側にもメリットが大きいのも事実だった。
戦争を発生させずにすべてが解決するかもしれない。
そうなれば、どれだけの命が奪われずに済むだろう。
「……何故、公爵は皇帝になろうとしているのですか? 何故戦争を起こそうとしているのですか?」
「ただの野心ですよ。理解しがたいかもしれませんが」
「野心だけで、肉親を手にかけることも躊躇わないと?」
ルスラーン公子は躊躇なく頷く。
「父は、王国に関するものすべてを嫌っていた。すべてを消し去りたいと常々言っていました。そのあたりにも、フローゼン侯爵を目の敵にしていた理由があるかもしれませんが」
ならばどうして錬金術師を囲っているのか。マグナファリスとも懇意にしているのか。まさか錬金術と王国が無関係と思っているとでもいうのか。
問い詰めてみたかったが、はぐらかされるだろう。
「父だけではありません。古い貴族はほとんどがそうです。皇帝陛下も」
悪い冗談と思いたい。
だがノアが帝都で見てきた貴族たちの中には、確かにそういう人々がいた。
「そしていま、それが成されようとしている」
「…………」
「古き血を、その象徴を、終わらせてください。貴女の力で」
冷たい静寂が。
こちらの返答を促す沈黙が、部屋に満ちる。
「……報酬は?」
初めての前向きな言葉に、ルスラーン公子の口元が弧を描く。
「この地の安寧、フローゼン侯の冤罪を晴らすこと、皇太子殿下の戴冠をお約束します」
「足りません」
それらは大前提であり、当然のことだ。
それではルスラーン公子の懐は痛まない。
「では何をお望みですか」
「あなたの錬金術師、ファントムさんを私にください。もちろん成功報酬で構いません」
「ああ、そんなことですか。喜んで」
随分とあっさり承諾される。
「あと、こちらは前払いでお願いしたいのですが。マグナファリスの現在と、従者であったカイウスのことを何かご存じですか?」
ルスラーン公子は少し考え込むように首を捻り。
「いいえ、何も」
嘘を言っているようには見えなかった。
##
宿の外に出て、青い空と白い雲を見てほっと息をつく。
空の高さと風の感触が心地いい。あの部屋は、寒かった。空気が。
「あやつは毒だ」
侯爵邸へ向かう道すがら、隣を歩くトルネリアはルスラーン公子を評してそう言った。嫌悪感を隠さずに。
「嫌な臭いしかせん。どうする気だ」
「私の一存では決められない」
ノアの意思だけで言えばやりたくない。暗殺なんて、人殺しなんてやりたいはずがない。
だが個人の意思だけで決められる問題ではない。戦争にも繋がる問題だ。
「僕なんかにあの方の真意は理解できないけれど、戦争を避けたいのは事実だと思うよ。あの方は実利を何より重視するからね」
後ろを歩くファントムが言う。
部屋にいなかったのに内容をよく聞いている。
トルネリアは振り返り、ファントムを睨み上げた。
「そもそもどうしてお主がついてきている」
「案内役を仰せつかったからねぇ」
公爵の元への案内人として。依頼の見届け役として。ルスラーン公子はファントムをノアに付けた。監視の意味合いも強いだろうが。
「それに僕はもうノアの物みたいだし」
「成功報酬だろう! 厚かましい!」
怒りを炸裂させて叫ぶ。
「そもそもどうしてこんなものを要求した!」
吊り上がった目と、烈火のごとき怒りがノアに向けられる。
「え、えーと、なんとなく?」
「なんとなくで面倒事を抱えるな!」
「まあまあお嬢様」
「その言い方も気に喰わん」
「それではトルネリア」
「……なんだ」
「僕だって自分の立場は理解しているつもりだよ。せいぜい役に立ってみせるさ」






