6-10 公子からの依頼
ファントムに案内されたのは、中央近くにあるアリオスで一番高級な宿だった。
その最上階にある一番高級な部屋に通される。高級なだけあって、部屋の調度品は侯爵邸と大差ない。裕福な商人や貴族のための部屋だ。
中にいたのは、黒髪紫眼の青年と二人の護衛だった。
椅子に座っている青年の両隣に立つ精悍な騎士たちは、鋭い視線でノアとトルネリアを威圧する。
「お久しぶりです、エレノア嬢」
どこからどう見ても旅行に来た良家の青年が、座ったままノアに声をかける。
ルスラーン・ボーンファイド公子。公爵の次男。
その面差しは、人の好い青年でも、世間知らずな貴族でも、無骨な武人でもない。
まるで絵画だ。
完璧なようでいて、人間の匂いがしない、一枚の絵画。
「ルスラーン様とここでお会いできるなんて、夢にも思いませんでした」
声は緊張を帯びていた。
予想はしていたが、まさか本当に彼がこの場所にいるとは。悪夢のようだ。帝都での出来事が遠い昔のことのように感じる。
帝都から脱出の際の、鬼気迫る姿も。
(ルスラーン様が、ファントムさんの主……)
向かい側の椅子を勧められ、座る。
ただしトルネリアは部屋の奥には行かず、入り口の横に立った。
トルネリアの錬金術の間合いは長い。この部屋すべて届くだろう。
ノアたちを部屋に通すと、ファントムはそのまま扉の外に出ていった。誰かが入ってこないか、部屋の外で見張るのだろうか。
「皇太子殿下をお救いした手際、本当にお見事でした」
「ありがとうございます」
「石の巨人に、橋を落とした術と機転、ここまで無事に辿り着いたこと、すべてが素晴らしい」
感嘆の声を漏らす。
ノアは小さく首を振った。
「私だけの力ではありません」
ひとりの錬金術で成し遂げられたことではない。
多くの人々の努力と協力があってこそだ。
でなければ、帝都からここまで全員で辿り着けなかった。
「しかも謙虚であるとは。まったく、貴女がこれほどの錬金術師だと知っていれば……惜しいことをしました」
「…………」
知っていればどうしたのか。何が惜しいのか。
――本当に、知らなかったのだろうか。
ファントムがノアのことをすべてルスラーン公子に報告していれば、こちらの実力を知らないはずがない。あえて知らないふりをしているのだろうか。
小さくため息をつく。
そこを突いても仕方ない。この場で大事なのは、隙を見せないことだ。
隙を見せれば、喰いつかれる。
「ルスラーン様が、私の記憶を消させたのですか」
話の延長の疑問を投げかけると、ルスラーン公子は苦笑する。心外だ、と言わんばかりに。
「兄は貴女に恋い焦がれていた」
「…………」
「しかし到底手に入らないことを知って、最後の手段としてマグナファリス殿に依頼したのでしょう」
マグナファリスは公爵家と関わりが深かった。自由に出入りしているほど。
依頼しようと思えばすぐにできただろう。ドミトリ公子も、ルスラーン公子も。
「もちろん私は貴女がフローゼン侯の婚約者だと気づいていましたが、兄の執着を見ていると私にはどうしようもできませんでした。貴女とフローゼン侯には申し訳ないことをした」
神妙な顔で、謝罪の言葉を口にする。
その言葉を、ノアは信じることはできなかった。
ドミトリ公子の性格上、マグナファリスに記憶を消す依頼したとは考えにくい。彼はあらゆる意味で真っ直ぐだ。記憶を操作するなんて回りくどいことをするだろうか。
ルスラーン公子の主導であると考えた方が、納得がいく。
ドミトリ公子がノアに興味を抱いていることに気づいた上で、『フローゼン侯爵の婚約者』を狙った。
そのためにマグナファリスに依頼し、わざわざ記憶を消して、公爵家に軟禁した――……ドミトリ公子の記憶も操作させて。
すべてはヴィクトルの怒りを買うために。
(私が渦中にいるのが信じられないけど……筋は通る)
あのときのマグナファリスなら、無茶苦茶な提案にも乗ったかもしれない。マグナファリスはノアとヴィクトルの関係をやけに気にしていた。
だが、何故?
何故、ヴィクトルの怒りを買おうとするのか。
(まるで……ドミトリ様を破滅に追い込もうとしているような……でも、実の兄弟で?)
ドミトリ公子が破滅すれば、跡継ぎの座はルスラーン公子に行くとはいえ。
そんなことのために、実の兄を陥れようとするものなのか。
「……わかりました。そういうことだと思っておきます」
納得はできないが、いまはそういうことにしておく。大事なことはこれではない。
「それで? 私にお話とは何でしょうか」
何のためにここまで来て、どんな理由でノアと話をしにきたのか。
ルスラーン公子が目配せすると、護衛ふたりが部屋の外へ出ていく。
トルネリアにも退室を促すかと思ったが、何も言わない。
トルネリアは自身が言っていたとおり口を開かないまま、だが冷たい眼差しでルスラーン公子を見ている。
ルスラーン公子の紫の瞳から、感情の色が消える。椅子から立ち上がると、窓辺に向かい、ノアに背を向けて外の景色を眺める。
城郭都市アリオスの姿を。
「フローゼンの錬金術師殿に依頼したい」
背中を向けたまま、言う。
嫌な予感がした。
ほとんどのことを己の思い通りにできる権力者からの依頼は、ややこしいものしかない。
経験上、よく知っている。
「我が父、公爵の暗殺を」
「…………」
ノアには理解できなかった。
公爵の暗殺依頼をその息子からされるなんて、想像の範疇を超えていた。
ルスラーン公子の表情は見えない。
「親子兄弟ゲンカは家庭内でしてください」
「そんなスケールの話だったらよかったのですが」
ルスラーン公子は背を向けたまま小さく笑う。
「父は今、帝国軍を掌握しようとしている。帝国軍と公爵家の兵が動けば、さすがのフローゼン侯も厳しいのでは? この街に、帝国全土を相手にする兵力はありますか?」
無理な話だとわかって言ってくる。
「父が死ねば、すべてが解決する。兄も立ち上がろうとはしないでしょう」
――もし戦争が起こったら。早期に決着させるにはどうすればいいか。
リカルド元将軍は大将の首を取ることだと言っていた。
まさかそれを敵の息子から提案されるなんて。
「ならあなたが実行されれば?」
冗談半分、本気半分で提案すると、ルスラーン公子は困ったように首を横に振った。
「私では、父の錬金術師に阻まれる」
「それでも、私よりも確実性は高いかと」
「錬金術師の貴女だからこそ、そんなことが言えるのですよ。私には力がない」
振り返る。その表情は、暗殺を依頼する前の表情と変わらない。
「平和のためです。錬金術師殿」
「平和……ですか」
その言葉と、そのための手段に、ひどく乖離がある気がした。
「貴女の愛するもののために、どうかご決断いただきたい」






