6-8 会議は踊る
城郭都市アリオスへの到着は夜だったにもかかわらず、街中から領民が押し寄せた。領主の帰還を心から喜んで。
人々が埋め尽くす沿道を一行は進む。騎乗するヴィクトルを先頭に、その後ろに巨大なゴーレムと、騎馬隊と馬車を引き連れて、アリオスの中心である侯爵邸に向かう。
侯爵邸の表ではアリオスの防衛隊と、市長、フローゼン領の管理官、そしてリカルド元将軍が待っていた。がっしりと鍛えられた体躯の、立派な髭を蓄えた、壮年の男性が。
リカルド元将軍は帝国軍の将軍を務めていたことがあり、過去には外からの侵攻を食い止めたことがある英雄で、ヴィクトルと親交があり、ノアの義父になってくれた人である。
こちらの状況は先に早馬で知らせてあった。
皇帝の死と、ヴィクトルが叛逆者の汚名を着せられたこと。そしてイヴァン皇太子が同行していること。そしてゴーレムのこと。
リカルド元将軍は、ヴィクトルの手を借りてゴーレムから降りてきたイヴァン皇太子に跪く。
「皇太子殿下、よくぞご無事で」
「うむ。皆のおかげである。楽しい旅路であったぞ」
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侯爵邸に戻ればゆっくりしたいとノアは思っていたのだが、戻ってからも大変だった。
到着したときは夜だったこともあり、まずは荷解きと情報の整理だけを素早く行い、長旅の疲れを癒すことになったのだが。
翌朝からはさっそく今後のことについて会議がされている。侯爵邸一階の執務室で。
ノアは会議には参加せず、侯爵邸の客室でのんびりとベッドに座っていた。
清潔なベッドシーツに爽やかな朝の光と鳥の声、そして淹れ立てのコーヒー。
「美味しい……!」
幸福に満たされながら、噛みしめる。
ニールが淹れてくれる、ミルクがたっぷりのコーヒーはやはり最高においしい。
こんなにもゆっくりとした贅沢な時間を過ごせるのはどれくらいぶりだろう。最高の贅沢に心も身体も癒されていく。
ノアが元々使っていたのは侯爵邸の女主人の部屋だったが、そこはいまイヴァン皇太子が使用している。
ヴィクトルの部屋の隣ならば、警備上も安全度が高い。
(――さて、これからどうしよう)
コーヒーの残り香を味わいながら、深く息をつく。
ヴィクトルと話をしたかったが、ヴィクトルはいまはリカルド元将軍と、防衛隊の隊長と、領の管理官、そしてアリオスの市長と共に会議中だ。問題が山積みのため、すぐには終わらないだろう。
会議には参加しなくても話す内容はある程度わかる。
ヴィクトルにかけられた皇帝殺しの冤罪をどう晴らすか、イヴァン皇太子に帝位を継がせるためにどう動くか、周辺の貴族への対処に、ボーンファイド公爵への対応。
侵攻を受けたときの対策。
今後の兵力や資金、食料、物資の蓄え。
物流も滞る危険性がある。商人がやってこなくなるということはないだろうが。
どれもすぐに答えの出ることではない問題ばかりだ。
解決にまで何年かかるだろう。火種を抱えたままどれだけの時間を過ごすことになるだろうか。
(ヴィクトルは、どうするつもりだろう)
黒いゴーレムの件の後、馬上で話して以来、ふたりきりでゆっくりと話すことはなかった。
これからも、そうそう時間は取れないだろう。部屋が離れれば尚更。
(私は、私のするべきことをしないと)
ベッドから立ち上がり、机に向かう。机の上に紙を置き、椅子に座ってペンを手に取る。
やるべきことが多すぎる。頭の中を整理していかないと。
――まずはこの地を、民を守ること。
戦争を起こさないこと。もし戦争が起こったら早期に終わらせること。犠牲を最小限に抑えること。そのための手段は問わない。
ヴィクトルの冤罪を晴らすこと。
イヴァン皇太子を玉座につけ、帝国に平穏を取り戻すこと。
そして、カイウスと話をすること。
どうして皇帝を殺したのか、何が狙いなのか。どうして賢者の石の失敗作を拡散させたのか……
カイウスの目的を聞いて、賛同できることなら手助けをする。
(期待はあまりできないけど……)
これまでのカイウスの行動は、血なまぐさいものばかりだ。ノアには許容できないことばかりだ。
その道の果てに何を成そうとするのか。
賛同できないことなら――
(命に代えても止める)
カイウスは自分の甥で、双子の妹であるエミリアーナと、あのアレクシスの子どもだ。
放っては置けない。グロリアのことも。
すべて書き終わったあと、ノアは窓を開く。紙を外に出し、燃やす。
発火させ、炭化させ、灰にして風に乗せる。誰にも見られないように。
空の青さが眩しかった。
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一階のホールに下りると、執務室から出てくるリカルド元将軍の姿が見えた。凝り固まった肩と首をほぐすように動かして、こちらの方に歩いてくる。ノアは思わず駆け寄った。
「お義父様。話し合いは終わったんですか?」
「いや、詰まってきたんで休憩だ、休憩」
言って首を捻る。骨の鳴る音がした。
「坊主から話は聞いた。まったく大したもんだ、俺の娘は」
顔をくしゃくしゃにして笑う。黙っていると威厳のある雰囲気なのだが、笑うととても愛嬌がある。
「イヴァン様と坊主たちを連れて帰ってきてくれてありがとよ」
ノアの口元にも笑みが溢れた。
嬉しい。この人に褒められるのはとても嬉しい。
そんな人と物騒な話はあまりしたくないが、相談相手としてはこれ以上の人はいない。
「お義父様、もし戦争が起こったとして、どうすれば一番早くに終わらせられるでしょうか」
「そりゃ大将の首を取っちまうことだな」
――大将。つまりボーンファイド公爵の首。
確かにそれができれば、公爵に強力な後継者が出てこない限り、イヴァン皇太子がスムーズに戴冠できるだろう。
皇太子が正式に皇帝となれば、ヴィクトルの冤罪も晴らすことができる。
「戦闘自体は敵味方どちらかに一割も被害が出りゃあ、その場は終わる。だがその場合はズルズル続く。一年、十年、百年続いてもおかしくねぇ。そうなりゃ、外は黙っていねぇだろうな」
難しい顔で言う。
リカルド元将軍が危惧しているのは、内乱よりもむしろ外からの侵攻の方のようだった。
かつて侵攻を押し返した英雄は、外敵の厄介さを良く知っているのだろう。
「あっちも同じことを考えてるかもなぁ。坊主の首か、イヴァン様の御命。どちらか取られりゃ、こっちの負けだ」
やれやれと軽く顎を上げて、キッチンの方へ歩いていく。
ノアは会釈をしてその後ろ姿を見送り、中庭の方へ向かった。






