1-12 再生
赤い空に、滅びた城。
キメラはどこかへ飛んでいってしまった。寝床で傷を癒やすのだろうか。
城の影が近くて遠い。
(もしかして、まだそこにいるの?)
アレクシスの気配を感じる。死の間際の夢だろうか。
できればもう一度くらい会って、話をしてみたかったけれど。
(もう会えそうにないわ)
ノアの身体はそのまま大地に受け止められた。
運がよかったのか悪かったのか、頭部は無事だったため、かろうじて意識はある。即死ではない。
だからこそ全身がずたずたに傷ついていることがわかった。
至るところで出血している。内臓も無事ではない。なのに痛みすら感じない。怪我人をたくさん見てきたから、わかる。
このままだと遠くない未来に確実に死ぬ。
自分で自分を治そうにも、身体が動かない。錬金術を使うための力も切れている。もう、どうしようもない。
――もういいんじゃないか、と。
諦めの感情が、やさしく囁き、意識をゆるゆると包み込んでいく。
これ以上、この世界で生きてどうするのか、と。
(エミィが死んだとき)
アレクシスは妻エミリアーナの実姉である自分を討伐しようとした。
何故そんなことになったのか、理不尽さに怒ったが、理由は誰も教えてはくれなかったし、自分でもわざと考えないようにしていた。
けれど、本当は何となく気づいていた。
エレノアールとエミリアーナは双子だ。
器の構成はまったく同じ。魂はまったく違うものだったけれど。
おそらくアレクシスは、ノアの肉体に妻の魂を入れようとした。同じ身体なら別人の魂も馴染むだろうと。そうやって愛する者を復活させようとした。
誰かに唆されたのか、自分で思いついたかはわからないけれど。
(本当にムカつく)
あの男は昔からそんな男だった。いつだってノアを見ようとはしなかった。
政略結婚の相手、恋人の姉、義姉、国家錬金術師、愛する者の器――……
キメラの言っていたように、いまもまだ生きていて、エミリアーナの器にしようという思惑を捨てていないのなら。
――いや、そんな馬鹿なことがあるはずがない。
アレクシス・フローゼンは息子のカイウス・フローゼンに討伐されて死んだ。
それがフローゼン家に伝わる歴史だ。
それでも。
まだアレクシスの意思がどこかに残っているのなら。それを引き継いでいるものがいたとしたら。
馬鹿馬鹿しい妄想だ。三百年もたっているのに。
それでも。
それでも、もしもそんな風に利用されてしまうくらいなら、いま死んでしまったほうがいいかもしれない。
死んだ人間は生き返らない。
しかし死にゆく者にとっては、それは救いにもなるのだと、いま実感する。
少しばかりの後悔はあるけれど。
(逃げた報いなのかしら)
話し合いをせずに、未来に逃げた報いがこの結末ならば。
あの時無理矢理にでも包囲を突破して、会って、きちんと向き合っていれば、何かが変わったのだろうか。
アレクシスが外に戦争を仕掛けることも、王国が滅びることも、悲しい人々が生まれることもなかったのだろうか。
いまとなればすべて幻想だ。
「ノア!」
よく通る声が荒れ地に響く。
王者の声だ。
ヴィクトルが駆けつけてくるのが気配でわかる。その顔が見えたとき、嬉しくなってしまった。
息が上がっている。どれだけ速く走ってきたのだろう。空を飛ぶ相手にこんなに速く追いついてくるなんて、身体能力はどうなっているのだろう。
ヴィクトルが、ノアが胸のポケットに入れた薬を取り出す。
――どんな病気も怪我も治す万能薬。
ノアの隣に膝をつき、小瓶の蓋を開ける。
「これを飲め」
(だめ。その薬、もうつくれないの)
材料がもうこの世に存在しない。
万病を治す薬なんて奇跡は、それ自体が強い力を持つ希少素材でしかつくることができない。
そんなものをノアに使わなくてもいい。妹に使ってほしくて渡したのだから。
止めようと思っても、声が出ない。溢れるのは血だけ。もう喋ることすらできない。
せめて口を閉じ、目を閉じ、拒絶の意思を示す。
「…………」
ヴィクトルは黙ったまま、ノアの上半身を両腕で抱え上げた。
唇に柔らかいものが触れたかと思うと、どろりとした液体が流れ込んでくる。
「――――!」
口移しで流れ込んでくるものを、思わず飲み込んでしまう。
それが体内に入った瞬間、身体が燃えるように熱くなった。
生命の力が溢れ、循環していく。
竜の力、精霊の力。
全身が焼け、痛みが生まれ、鈍痛となり。
鼓動が早まり、血が疾く巡る。
再生されていく。再びこの世界で生きていけるように。生けていけ、と言われているように。
涙が零れた。
「苦ぁあ……」
涙目を開くと、あの空のように青い瞳がすぐ近くにあった。
「そうだな。苦い」
安堵して気の抜けたような、どこか泣きそうな顔。
ヴィクトルはそのままノアを抱きしめた。存在を、命を確かめるように。
「すまなかった……」
すがるような指先から、深い後悔と懺悔が伝わってきた気がした。
この抱擁の意味はわからないけれど。
自分の命と相手の命がここにあることが、嬉しいと思った。