5-24 錬金術師の本領
マグナファリスは大皇宮の五つの塔の内、ひとつを専有している。
帝国での権力の大きさが窺い知れる待遇だ。
塔の六階にある広い研究室に、ナギと共に入る。言われた通り、作業ができそうな服に着替えて。動きやすいシャツとスカート、上から調合用の黒いローブを羽織った姿で。
「やっと来たか」
マグナファリスは入口でそう言うと「少し待て」と部屋の奥の暗がりへと入っていく。
薄暗い部屋だった。光量が足りず、部屋の果てが見えない。窓は厚いカーテンに覆われている。足元だけ、淡い光が等間隔に並んでいた。錬金術の光だ。
研究室には他には誰もいない。
研究室だけではなく、貴賓室からここまで誰一人すれ違うこともなかった。
この塔では、使用人は下層の階で働き、上がってきても三階の居住区間までだ。四階からは、塔の主以外誰も足を踏み入れない。
ナギと共に入口近くの大きな作業台の前で待っていると、両脇にガラス容器を抱えたマグナファリスが戻ってくる。
机の上にやや乱暴にそれらを置く。
それは右手だった。
どちらのガラス容器にも、まったく同じ右手が浮かんでいた。
やや黄みを帯びた液体に満たされて。容器の底は白く輝き、その光が中のものを照らし出していた。
「片方は死んでいて、片方は生きている。こちらが本物」
死んでいると言った方を差す。
――昨日、レジーナが証拠品の横流しをしたと言っていたことをふと思い出す。
「そしてこっちはホムンクルスだ」
生きていると言った方の上に手を置く。
「すげー、本物みたいだ」
ナギは素直に驚いて見入っている。
「君はなかなか大物だな。欠損部位の移植にはホムンクルスを使う」
ナギの右手のホムンクルスを、失われた部分と繋ぐ。それはノアも思案していた義手の方法のひとつだ。問題は、ノアはホムンクルス技術には詳しくないことだ。
生きているように見える人形はつくれても、それに生命は吹き込めない。同じホムンクルスという呼び方でも、ノアのつくるそれはマグナファリスにとっては正しく人形のようなものだろう。
だからこそマグナファリスの誘いに乗ってここまで来たという経緯がある。
マグナファリスはホムンクルスのすべてを教えるとは言っていたが、まさか実際に作って見せてくれるところまでしてくれるとは思わなかった。
言葉が出ない。
(私のつくったものは、外見だけ真似た人形)
しかしこのホムンクルスの手は、本物とまったく一緒だった。その構成もすべて。わずかに違う場所があるとすれば、ホムンクルスの方だけ少しだけ手首部分が長いということか。
心臓が強く胸を打つ。高揚している。
「問題は繋げる方法だ。身体側の骨、神経、血管等々と繋ぎ合わせる。これには人体の知識と技術が必要だ。できるか? 黒のエレノアール」
「はい」
「結構なことだ」
瓶の上から手を離し、すっとノアの方へ押し出す。それの権利を手放したかのように。
「問題はもう一つある。ホムンクルスは成長しない」
静かな声は重大な欠点を告げる。
「ホムンクルスは培養液から出てしまえば、もう成長はない。つまり患者側の成長に合わせて作り直し、繋げ直す必要があるということだ。患者の成長が止まるまで、面倒を見てやらねばならん」
マグナファリスの視線が、ナギに向く。
「つまり、君は彼女を信用できるか、ということだ」
「ノア様のことは信じてるよ」
「命を預けられるほど? 少なくともあと十年ほどは付き合わねばならんぞ」
「十年だけ?」
「ハハッ! まあいい。患者が納得しているのなら問題ない。あとは、そこの錬金術師の仕事だ」
上半身の服を脱いだナギが、作業台の上に横たわる。意識は既にない。
マグナファリスはガラス容器の中からホムンクルスの手を取り出す。培養液の滴るそれを、生きている手を、ナギの右手があるべき場所に置く。
ノアはマグナファリスと立ち位置を変わり、ナギの横に立つ。
――錬金術師とは何だろう。
何のためにこの力は存在するのか。
それは錬金術に目覚めてから、幾度となく己に問いかけてきた疑問だった。
治せる傷。治せない傷。
助けられる人。死を看取ることしかできない人。
湧き上がる熱量と好奇心と共に、壊れていく倫理観。
線はどこにあるのか。境界はどこにあるのか。それを超えてこそ、新しい成果は得られる。失敗でも成功でも。だから錬金術師は一線を越える。
目の前の景色に、内から湧き上がる純粋な衝動に、すべてを忘れて集中する。
ナギの手首の切断痕――すでに皮膚で覆われている部分を傷つけ、各組織を露出させる。ホムンクルスの方も同様に。
本物を模して造られたそれは、本物と同じだった。
血管を繋ぎ合わせ、血流を確保する。太い血管から、細い血管まですべて。骨を繋ぎ、神経を繋ぎ。
ノアを突き動かすのは、新しいことへの挑戦。
ただ助けたいという気持ち。
罪を贖いたいという自己満足。
健やかに生きてほしいという願い。
きらきらとした黄金の光が、ナギの内側で輝いている。
魂の輝きとはなんて美しいのだろう。
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目が覚めたナギと、視線が合う。
「おはよう。成功したわ」
はっと息を飲み、身体を傾け、右腕を見る。接合痕が残る手首の先に、手があった。
「手だ……」
まだ夢を見ているかのような声。
「まだ仮止めといったところだな。完全に繋がるまでは、物を持つなどはしないことだ」
マグナファリスが冷静に注意事項を伝えていると、ナギの顔が太陽のように明るくなる。
「すげえ、すっげえ! 錬金術ってすげえんだな!」
「己の手のように動かすのには、まだまだ時間がかかるだろう」
「ありがとう! よし、これでもっと色んな仕事ができる!」
「聞け」
純粋に喜び、はしゃぐ姿に、目元が熱くなった。
「ありがとう……」
「な……なんでノア様が泣くんだよ……」
ナギが驚いている。自分でもわからない。だが止まらない。
一番は、ナギの心から喜んでいる姿が見られたこと。
次に、任せてもらえたこと、信頼してもらえたことに応えられた安心感だろうか。
わからない。
わからないけれど。
この涙は、あたたかい。
錬金術師になって良かったと思った。
そう。人を助けることができたから、ノアは錬金術師を続けることができた。人を癒やす錬金術師でいられた。
境界を超えても、人の理を壊しても。
錬金術師でいたいと思った。これからもずっと。
「忘れるな。ホムンクルスは成長しない」
「はい」
「患者の成長に合わせて作り直し、繋げ直し、患者はその度に訓練しなければならない。これからが大変だろう。患者も、君も」
「はい」
「作り方は明日から叩きこむ。せいぜい励むといい」
「ありがとうございます」
「まあ君ならそのうち、完全に作り直す以外の方法も見つけるかもしれないが」
マグナファリスは片づけを済ませ、研究室を出ていく、
「今日は患者を家まで送り届けてくれ。頼んだぞ、我が助手」
最後にそう言い残して。






