表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
113/182

5-23 蜂蜜のクッキー



 空中庭園を出て、急いで賓客室へ向かう。

 どうして忘れていたのか。

 記憶を取り戻したとき、新しい情報と古い記憶が激しく混ざり、掻き回されて、流されてしまったのか。

 記憶を失っていたときはまったく気にしていなかったことが、この事態を招いた。

 あの時にちゃんと気にしていれば、どこかのタイミングで対処できたはず。


(とにかく、確認しないと)

 反省は後にする。

 まず公爵家から回収し、確認しなければ気が済まない。一度部屋に戻り、計画を立て、準備をして、着替えて――

「どこへ行く気だ」

 廊下を歩いていたノアを、落ち着いた声が咎めてくる。


「勝利の乙女が戦いの前に出歩くものではない。加護を与える相手を思い、おとなしく祈っておけ」

 マグナファリスが壁に肩を付きながら、こちらを眺めていた。

 抜け出そうとしていたことが読まれている。

 ノアは、迷った。

(先生に相談するべき?)


 マグナファリスも賢者の石の失敗作については気にしていた。だが、マグナファリスが誰の味方なのかが読みきれない。

 誰の味方でもないと思っていた。

 だから誰の敵にもなりえると。そういう政治的なものは気にせず、自由に生きていると。


「先生に預けたナイフのこと、覚えていますか?」

「……ああ、そういうものもあったな」

「でしたら――」

「エレノアール」

 話を遮られる。


「私は研究と平穏は好きだが、政治はどうでもいい。争いは好かん」

「決闘を勧めておいて?」

 この話の流れでは不要なことだったが、どうしても口を突いて出る。

「あれはそうした方があの場は平穏に収まりそうだったからだ」

 呆れたように息を吐く。


「君の攻撃的手法ではその場は切り抜けられても、すぐに別の問題が生まれる。それを攻撃的手法で突破して、突破して、行き着く先はどちらかの破滅だ」

 自嘲気味に笑う。

「私のも単なる時間稼ぎに過ぎないがな。時間があるということは、その間に対策が立てられるということだ」


「つまりいまは手を出すなと?」

「物事には優先順位がある」

「…………」

 マグナファリスは公爵家にあのナイフがあることを知っていて、明言しないようにしている。ノアが手を出さないように釘を刺してくる。


「先生らしくありませんね」

「君はいつまでもまっすぐだ。その刃は深く刺さる。が、横からの力で簡単に折れる。柔軟さを学べ。折れぬ柔軟さと、切れる鋭さを併せ持て」

 ――確かに、短慮ではある。


「もし君が行けば、私は君を捕まえに行く。公爵家に投げ渡す」

 そうなれば、その後に起こることは考えるまでもない。

「それが嫌なら私を出し抜く方法を考えるといい」

 マグナファリスは親切に忠告してくれている。それは本当なら感謝すべきことだ。


「それでも、このままにはしておけません」

「その情熱はどこから来るのか」

「超えてしまった人たちに会ったからです。あんなことはもう見過ごせない。先生こそ、どうして今更無関心になったのですか? 誰の味方ですか?」


「ふむ。ならば聞くが、目的のものを回収したとして、どう証明する? 誰に訴える? 誰が裁く。誰を?」

「それよりも、これ以上の拡散を止めることの方が大事です」

 言いながら気づいた。これは考え方の違いだ。


 ノアはいますぐ止めたい。マグナファリスは全容を見ることを望み、敢えていまは泳がせようとしている。そのためになら多少の犠牲が出ても仕方ない、と。

「私は誰の味方でもない……約束のものは明日には用意できる。おとなしく、楽しみにして待っておけ」



##



 結局、その夜は大皇宮で過ごした。マグナファリスの理屈に納得したわけではない。単純に、賓客室から出ることが不可能だった。

 室内の扉や壁や床や天井、窓は錬金術も物理的な力も通用せず、脱出ができなかった。さすがはマグナファリスの貴賓室である、と感心する。

 できないことはできない。早々に諦めて、翌日のために早めにベッドで横になった。


 扉の外から声が聞こえたのは、朝早くのことだった。

「ノア様、いる? 入っていい?」

(あれ……? いつの間にか、帰ってきてた……?)

 いまだまどろみの中にあって働かない頭で考えながら、瞼を開く。見えたのはやはり、大皇宮の貴賓室。


 慌ててベッドから飛び降り、部屋の中を走る。無駄なほどの広さをもどかしく感じながら。

 昨夜どれだけ苦労しても開かなかった扉は、中から引くとあっさりと開く。

「ナギ!」

「うわっ、なんて顔してんだよ。ちゃんと食べてんのか?」


 部屋の前にいたナギは、驚いた顔でノアを見上げる。大皇宮の中に相応しい、綺麗な服を着て。

 変わらない声に、様子に、胸が震える。

 会えなかったのは、ほんの数日のことなのに。


「ほら、ニールさんからの差し入れ」

 ナギは頭に被っていた帽子を脱いで脇に挟み、ポケットから白い布袋を取り出し、ノアに突き出す。

 懐かしい匂いが漂う。この甘い香りは、蜂蜜のクッキーだ。

 膝から力が抜け、その場に崩れ落ちるように座り込んだ。


「コーヒーが飲みたいぃ」

「はぁ? あの苦いやつの何がいいんだ?」




 賓客室のソファにナギと並んで座り、間に蜂蜜クッキーを置いて、懐かしい味を噛みしめる。フローゼン領にいた頃よく食べた味が、全身に染み渡る。

「やっぱりニールさんは天才! 美味しい!――それで、どうしてナギだけでここに?」

「使者にオレだけ呼ばれたんだよ……途中までは旦那様に送ってもらえたけど」


「ヴィクトルも来てるの?」

 近くにいるのなら、会いたい。

「建物の中に入るまでは、いっしょだった」

 そこで別れたのなら、この広大な大皇宮で出会える可能性は限りなく低い。残念だが諦める。


「それからはオレと年が近そうなやつに案内してもらった。変な仮面付けてたけど、割といいやつだったな……はぁー、ここに入る日が来るなんて思わなかったよ」


 帝都の路地裏暮らしのナギにとっては、ずっと見えていた場所であり、近くて一番遠い場所だったに違いない。

 ナギを呼んだのはマグナファリスだろう。でなければナギがノアのところに来られるはずがない。


「あ、旦那様からの伝言。ノア様の無くしたペーパーナイフ、見つかったけど装飾がちょっと欠けてるかもって」

「……ありがとう。良かった」

 昨日レジーナに頼んだ伝言の返答だ。


 ナイフとは、賢者の石の失敗作が塗られたナイフのことを指す。見つかった、というのは回収できているということ。欠けているかも、というのは全数回収できているかはわからない、ということだろう。


(とりあえず、良かった……)

 これ以上の拡散はひとまず抑えられるだろう。

 あとは事故が起こらないように封印しに行かなければならない。やはり今夜あたり抜け出すことに決める。朝までに戻ってくれば問題ない。


「家の方はどう?」

「んー、みんな何となくピリピリしてる。なんかバタバタしてるし。そろそろ領地に帰るのかも」

 帰り支度でもあるのだろうが。

 万が一のことが起こったときの準備でもあるのだろう。すぐに帝都を脱出できるように。


「ノア様も、早く帰ってこないと置いてかれるよ」

「それは困る……」

「オレが連れ出してやろうか」

 ノアは目を瞬かせ、ナギの顔を見つめる。

 ナギはとても真面目に言っている。


「ありがとう。でも、帰る時は自分でここを出ていくわ」

「ちぇっ、本気にしてないだろ」

「ううん。ちゃんと信じてる」


 ナギは強い。

 しかもどんどん逞しくなっていっている。これからの成長が本当に楽しみで、できればこれからも見守っていきたいと思う。

 ナギは拗ねたように顔を反対側に向けた。首が赤い。怒らせてしまったのだろうか。


 その時、ノックもなしに扉が開いた。

「――ああ、揃っているな」

 白いローブを着た女性、マグナファリスが蒼い髪をさらりと揺らして入ってくる。

「先生」

 立ち上がり、顔を見る。


 いつもと変わらない表情。何を考えているのかわからない顔。

 昨日の口論などなかったかのような、落ち着いた雰囲気だった。

 いまだにわだかまりを抱えているのはノアの方だけだ。それが少し腹立たしくもあり、寂しくもあった。


「服を着替えて、六階まで来い。約束の授業を始めよう」





評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。


次にくるライトノベル大賞2023にノミネートされました!!
「捨てられた聖女はダンジョンで覚醒しました」に清き一票をよろしくお願いいたします!!
sute01tugirano.jpg



書籍発売中です
著者サイトで単行本小話配信中です!

horobi600a.jpg

どうぞよろしくお願いします



◆◆◆ コミカライズ配信中です ◆◆◆

― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ