5-22 英雄譚
「闘技場では、昔は――と言ってもつい最近までだけど、獣人の剣闘士による剣闘興行が行われていたのよ。もちろん命のやり取りがある最高にエキサイティングなやつ」
空中庭園でのささやかな茶会で語られた英雄譚は、始まりから物騒な気配に包まれていた。
レジーナは当然のことのように言うが、ノアはあまりの血生臭さに言葉が出なくなる。
「ある時、奴隷同然の待遇に不満を持っていた剣闘士たちが、一致団結して反乱を起こしたの。間が悪いことに、そのとき帝国は外からの侵攻に対応するために、既に三度目の大軍を出していて、帝都の軍はほぼ空っぽだったわけ」
間が悪いというより、そのタイミングを狙った蜂起だろうと思った。
衝動的ではなく、計算された反乱だと。もちろん、偶然の可能性もあるが。
「あわや帝都の特大ピンチ。そのとき、剣闘士リーダーを一騎打ちで倒して、反乱を鎮めた若者がいた。それが、爵位を継いだばかりのヴィクトル・フローゼン!」
バンっとテーブルを叩く。
ティーカップがカタカタと揺れた。
レジーナは更に熱の入った語り口で続ける。
「反乱を無事鎮圧後、皇帝陛下に褒美は何がいいか聞かれて、侯爵様は生き残った剣闘士たちの身柄を求めたの。しかも、この勲功で足りなければ、自分の首も差し出すと言って!」
「首をっ?」
コクリと頷く。
「結局その褒美は認められたわ」
結果はわかっていても、ほっと息をつく。
「そして反乱グループだけでなく、多くの獣人がフローゼン領へ行った。自分たちを命をかけてまで守ってくれようとした侯爵を慕って。めでたしめでたし」
ぱちぱち、とレジーナの拍手で物語は終わる。
確かにこれは、英雄譚――ヴィクトルが自領であれだけ領民に慕われている理由の一端がわかった気がした。
「ちなみにその時の外からの侵攻を撃退したのが、ノアのお義父様リカルド・ベリリウス元将軍よ。元将軍はこの勲功で爵位をいただいたの」
レジーナは優雅な所作でカップを手に取り、紅茶で喉を潤す。
「本物の武勲を持つお義父様に婚約者、素敵ね。羨ましいわ。あたしは絶対に嫌だけど」
正直が過ぎる。
「それにしても自分の命さえ賭けるとはね。侯爵様らしいけど、怖いもの知らずだわ」
「勝算は十分あったんでしょう。ヴィクトルの要求は為政者にとっても都合のいいことでしょうから」
「どうしてそう思うの?」
問われ、改めて頭の中を整理する。
「ひとりで反乱を鎮圧し、帝都を救った英雄を処断するリスク。獣人の地である旧王国領を治める侯爵を殺すリスク」
ひとつずつ口に出す。ノア自身が納得できる理由を。
「それらを考えると反乱グループの身柄くらい安いものでしょう。彼らが今後問題を起こしたとしても、その責任を丸投げできますし」
「でも、危険じゃない? 王国の末裔が更に力を持つことになるわ。本格的に反旗を翻しきちゃったらどうしようって思わない? その時は帝国軍の軍備も弱っていたわけだし」
「反乱グループって何人いたんですか?」
「百人くらい」
「それでは軍としてはそこまでの力にはなりません」
「うーん、それもそうか」
もうひとつ数字を確認する。
「その反乱での市民への被害は?」
「出る前に侯爵様が止めたからゼロ」
ならば計算は単純だ。
「ヴィクトルは被害を未然に食い止め、更に忠誠の証として、己の首をかけた。武功と忠誠、そのふたつを示されたのだから、処断するわけにはいかないでしょう」
侯爵の首はそこまで安くはない。
「要求を切り捨てて反乱グループを全員処断したとしても、それはそれで禍根が残ります。人数に見合わない禍根が」
「大損になるわねー」
レジーナの言うとおり。単純な計算ならば大損だ。
「加えて、フローゼンの旧王国領は大地の端、呪われた地。もし再び反乱を起こしたとしても、帝都からは距離があるから対策を打つ時間と兵力の余裕ができる。侯爵が反抗的な獣人をそこに押さえつけてくれるなら、やはり皇帝にはメリットしかないでしょう」
だから賭けの勝算は十分ある。それでも、結局は皇帝の心ひとつで決まることだが。
賭けとしては分が悪い。いま同じようなことをしようとすれば、確実に止めるだろう。
(ヴィクトルは、自分を冷静に値踏みしすぎ)
相手にとっての自分の価値を見極め、交渉のテーブルに躊躇なく乗せる。
一歩間違えればすべてを失う危険な賭けだ。とても危うい。
なんにせよ、ヴィクトルは賭けに勝った。そして栄光と実利と、貴族からの恨みを買った。
――それにしても。
流刑地にされた地を蔑み、それが育ち果実が実れば奪おうとする貴族の強欲さにめまいがする。
昏い恨みと打算は、本人だけではなく家族も巻き込み、不幸と苦しみを生み続けた。
この決闘も、無事で済むとは思えない。
(済むわけがない)
敵にとってはまたとない好機。観客の面前で、邪魔をされることなく、堂々と殺すことができる千載一遇の。
ヴィクトルは強い。だがそれはあくまで肉体的な強さだ。人と同じように病で、毒で、呪いで、怪我で死ぬ。
「――何か?」
レジーナが含み笑いをしていることが気になって、聞く。
「いやぁ、おもしろい視点してるなって。普通、王の立場から物事考えないわよ」
「そうですか?」
「自覚がないなら資質が、小さい時の教育ね。もしかして相当なお嬢様?」
だとしたら、昔受けた妃教育の成果だろうか。
ノアは答えを言葉にはせず、ただ微笑んだ。淑女の笑みで。
「うーん、喰えない。じゃあ英雄譚のお代にひとつ教えて。公爵家での生活ってどうだった?」
「そう取り立てて話すことは――あ。」
ノアは思わず立ち上がった。
テーブルに両手をついて、その姿勢のまま固まる。
「ど、どうしたの? やっぱり何かあった?」
(どうして――)
どうして忘れていたのか。離れの地下の武器庫のことを。そこにあったナイフを。
何の変哲もないナイフは、あれは、あれこそ、賢者の石の失敗作ではないのか――?
(成分まで、見れなかった、けど)
ヴィクトルは気づいていた。
飛竜と戦うための武器を取りに、武器庫に案内したとき、やはりと言って一本だけ確保していた。
もし本当にあれが、賢者の石の失敗作で、多くの人間を超越者に変えてきたものだったとしたら。
(回収して、確認しないと)
とにかくいますぐ大皇宮をどうにかして抜け出して、公爵家の離れに潜入し、疑惑のナイフをすべて亜空間ポーチの中に放り込んで――……
(いや……ヴィクトルなら……)
ヴィクトルは気づいていた。ならば、すでに行動を起こしているはず。
「あ、いや、思い出したくないならいいの」
「――レジーナさん」
「うわあ、嫌な予感」
「伝言をお願いしたいだけです」






